Hello, Again1
「元に戻すことは出来なくても、彼らが彼らだけでやっていける場所を作る手助けをする。最後には彼らだけでまたやっていけるようにする。それが一番いいんじゃないだろうか…」
ロイは苦笑して、腰を上げた。
「謝って済むならいくらでも頭を下げる。しかし、それで満たされるのが私の罪悪感だけというのでは、あんまりお粗末すぎる」
再び外套をかぶりながら、ロイはマルコーに会釈した。
「大体、聞きたいことは聞けました。とりあえず今日のところは一度帰って、部下とも相談したいと思います。ありがとう」
「お一人で大丈夫ですか?」
「あなたよりは多分頑丈ですよ」
そうではなく、という言葉をマルコーは飲み込んだ。
マルコーはアメストリス人としてではなく医者としてこの地の人々に認識され始めている。そのマルコーが連れていれば、こいつも医者か医者に関係するのだろうと見られることもあるだろう。だが、一人でロイが歩いていて、顔を隠しているからといって本当にトラブルに巻き込まれないわけがあるのだろうか。そこを考えると大いに不安だった。不安だったが、しかし…。
「大丈夫。ちょっと見てから帰るだけですから」
にこやかな表情の裏にある拒絶が、マルコーの手をさまよわせ、結局ロイは一人で帰っていった。
渡された地図を頭の中で照会しながら歩くが、街路や地勢はめちゃくちゃに変えられている気配があった。
「……」
あまり長く立ち止まっていると不審だろう。そう思いながらも、足取りは重くなる。建物の影にうずくまる子供の目はうつろで、どんな言葉よりも強くロイを責める。
あちこちから異臭がして、あまりにも劣悪な環境だ。だが、悲観する気持ちとはまた別に、どうなっても人間は生きていくんだな、とどこか達観した気持ちも湧いてきていた。
それでも、と思う。それでも皆生きているし、これからも生きていく。それをどうにかするのが、どうにかなるようにするのがロイの今後の人生を賭ける仕事になった。この先のどこかでそれが変わることがあるのかどうかは今はまだわからないが、少なくとも当面、こういう場所をなくしていくのが彼の仕事なのだといえる。
ひとつ頭を振ってロイは歩き出した。感傷に浸っていても何にもならない。
「…そういえば、」
不意に思い出したことがある。
エドワードと初めて会った時、何もかもに絶望していた子供に、今思えば随分大人気ないことを言ったものだった。泥の河でも、とは、正に今の自分にこそ相応しい。
たった一年で、彼は大人でも投げ出す辛いリハビリをこなして自分の前にやってきた。あの時の感動が再び蘇る。もしかしたら当事より今の方が感動してしまうかもしれない。その後の困難な旅のことも、今は全部知っているからだろうか。
「君に笑われてしまうな…」
不遜に自分を見上げていた子供があの時どういう気持ちだったかはわからない。もしかしたら見た目よりずっと緊張していたのかもしれない。だがそれでも、あの生意気な様子を思い出すとなぜか元気が出るから不思議だった。
弱音なんて吐いてはいられない。
ロイの視察のスケジュールはハボックにも伝えられていた。予定表と睨めっこしながらエドワードを探していたハボックが、遂に目的の相手を捕まえるのに成功したのは、ロイが出発した日のことだった。
「久しぶり!」
よっ、とハボックの店に現れたエドワードに、ハボックはほっとした様子で大きく息を吐いた。
「…何? どうかしたわけ?」
当然、エドワードにとっては不審以外の何物でもない。怪訝そうにハボックの顔を覗き込む。
「どうもこうも、…ああ、いや、こっち入らねえか、茶でも飲んでけ」
「ええ〜? 急用だっていうから来たのに…」
エドワードは拗ねたように口を尖らせたが、まあまあ、と宥めれば案外気さくについてきた。
「でも驚いた。しょう…、じゃないか、ええと…」
ホークアイのように呼び名に苦慮しているらしい青年に、ハボックは笑いかけた。
「別にいいぜ。少尉でも」
言ってやれば、明らかにほっとした顔で「そっか」なんて言うもので、ハボックは笑ってしまった。
「んで、少尉は何でまたオレのこと探してたんだ?」
店の奥に入りきった所で、その質問はハボックにきちんと手渡された。ハボックはお茶を出してやりながら、用意していた答えを返す。
「ああ、実は頼みがあってよ」
「頼み? オレに?」
エドワードはぽかんとした顔で首を傾げた。まさかそういう風に頼られるとは思っても見なかったので。
「おう。大将にしか頼めない」
「…やばいこと?」
慎重な表情で問い返すのに、ハボックは「違う違う」と笑う。
「そうじゃねえよ。いくらなんでも、そんな危ねえことなんざよ、頼まねえな」
「そ、そうか」
だよなあ、とエドワードは何となく照れくさそうに頭をかいた。
「…まあ、といっても、絶対安全、っていうんでもないんだが」
「え?」
ハボックはそこで真面目な顔になった。
「大将、これはおまえさんの好意をあてにして俺が言うことだ。無理なら、断ってくれ」
「…少尉?」
エドワードは面食らった顔でぽかんとする。ハボックは困ったような表情で笑いかけて、そして続けた。
「准将が、な」
「…」
二人の間で「准将」といえば、それはロイしかいない。
「…あいつがどうかしたのかよ」
馴れた呼び方に、ハボックは「おや」という顔で小さく笑う。
「その、あいつ、がな。随分難しい街に視察に行ってんだよ」
「…イシュヴァール絡み?」
ハボックは黙って頷いた。エドワードは苦笑するしかない。
「大変なこって」
「俺も直接行ったわけじゃないが、ひどいもんらしい。…それに、あの人は居るだけで命を狙われるだろうよ」
「……」
それは何となくわかるような気がした。何しろ、今でこそ徹底的に弾圧されてきたイシュヴァール及び国内少数部族への一転した融和、親和対策で知られる男だが、本をただせば「イシュヴァールの英雄」だ。未だに恨みは根深いだろう。内乱の責任が個人に帰属するわけがないが、それでも目に見えるはっきりしたものを憎しみの対象とするのはわかりやすすぎる心理であろう。
「なあ。大将。あの人んとこ、様子見にいってくれねえかな?」
「……は?」
エドワードは耳を疑った。ハボックが何を言い出すのか、いや、何を言うのかは何となく想像がついていなかったわけでもないが、それでもやはり実際に聞いたら驚かずにいられなかった。
エドワードに一体何が出来るだろう。もう、錬金術もないのに。
そう思うといやな気持ちになった。あの時の決断を悔やむ気持ちなんてないのに、これではまるで後悔しているみたいではないか。
内心の動揺を隠して、エドワードはハボックに聞き返す。
「…なんで、オレに?」
ハボックは笑わなかった。真面目な顔で告げる。
「大将じゃなきゃだめなんだ」
「……なんで、」
途方に暮れたような声が出て、エドワードは自分で驚いてしまう。そんなに動揺してしまっていたということに。
作品名:Hello, Again1 作家名:スサ