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メイド・イン・ロッカールーム

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それが唯一絶対たる「価値」でしょう、とは、椎名は言わない。金曜日と月曜日の狭間に位置する土曜19:30のファーストフード店はひそかに卑俗にさんざめくのを隠そうともしないで、大人どもの居心地の悪さと、そこここにくすぶるインスタント的な孤独と、夜につれてふくらむ期待を誇らしげに放つ中高生どもの活気でないまぜになっていて、そうしてそれらすべてが絵画のように、画一的なケチャップの味にぬりつぶされている。ばかでかい携帯電話の着信音と、時間帯の所為か少しだけしなってきているポテトと、四人掛けの椅子を占領したル・コックブランドのてらてら光るスポーツバッグと、いつ食っても変わらないケチャップ・ソースの味。そして黒川の前にはおおむねいつも、やたらに小さいけれども王様然とした、少年の姿があった。
「柾輝――」
椎名が、放つ、少年たちの名まえはいつもふしぎな確かさと、力みたいなものできらきらと輝いていた。椎名はいつも少年たちの名を王様のように呼び捨てにしたけれど、彼が名まえで呼ぶ者にはそれなりのルールがあるらしいことを選抜に行って黒川ははじめて知った。「渋沢」、「水野」、「鳴海」、「将」。彼がうまいこと使い分ける数多の名まえの分類は、たぶんこうだ。『好き』と、『好ましい』と、『そうでもない』と、『嫌い』。その実直さから敵も多いだろう椎名は、だけれど、同じ分だけ愛情を注いだ相手からは愛されているのだと、思う。黒川は練習帰りのジャージの袖をまくりあげ、ラージサイズのコカ・コーラを飲みながら、目前の人間についてぼうやりと分岐する思考を止めようともしない。

「聞いてる?柾輝」
「え、ああ」
「話し甲斐がねえ奴。サッカーの話だったらもっと飛びついてくるくせに。そもそも質問を振ってきたのはお前だって知ってた?僕は今気がついたんだけど……、ああ、それで何の話だったっけ」

そこで豪快にシェイクを飲んで、一息。
マシンガンだの何だのと馬鹿にされる(あるいは恐れられる)椎名の言葉は要点さえかいつまんでしまえば8割方が修飾語に分類されるようなものであり、付き合いもやや長くなってきた黒川はそれを理解してはいるのだけれど、やはり初対面の人間を面食らわすには十分の長さの長台詞は、ある意味で椎名というパーソナリティを形づくる要点の一つである。ひとつではあるのだけれども、……
いやにきれいな姿勢で、ファーストフード店の明るいだけの照明に照らされて、椎名が今語ろうとしているのはものすごくくだらない話題である。黒川は適当に目線をそらしつつ、きっぱりとした声の大きさを落とそうともしない椎名の、これから紡がれる台詞を待っている。次に喋る言葉が予想もしないところから飛んでくるのも、まあこの先輩の魅力かと、思いながら。

「だからさあ人並みに性欲もあるしエロ本だって買ったことあるって」
「……いやだからあんた、その『性欲』っていう言い方がまず違う、そもそも違うっていう話だろうってロクは言ってんだけど。そもそもマスターベーションって単語を使う高校生がこの時代にどれだけいる?」
「なに。高校生らしい性のボンノー的なものを超越してるかんじだって、そういうこと?うんまあだからさ、ある程度お付き合いはするけど、煩わされたくないんだよね。まじめな話、サッカーに一番時間割きたいし」
「帰結点が違う」
「頭悪いくせに何かっこよさげな発言してるの」
「だから、論点が違う」
「……柾輝って本当は頭いいよね。あいつらの中では一番いい線いってるって、それはちゃんと信じてるよ。だからこうやって次のキャプテンにも指名したわけだし」
「翼」
「なに。まだ性欲の話続ける?」
「特に」
「賢明。よくできました」

椎名はあらゆる点で、飛葉中サッカー部キャプテンの座を降りた今とて黒川の中ではただ唯一の王者であった。性だのエロだの何だのをいとも簡単に口にしてみせる男子高校生という存在もまた特異ではあるけれども、彼がどれほどの決意と意志とで、性的フィジカル的なコンプレックスを乗り越えてきたことも短い仲ではない、知っている。高校生になり身長が多少伸びた今でもかわいいかわいいと騒がれる椎名の、いつか負った傷のことを黒川は知っているし見て来たし聞いたしもちろん覚えてもいる。実績と、愛情と、すこしの背反と、信頼。椎名は黒川のことを会って一か月のちには「柾輝」と呼んだし、少年たちだって同じように彼のことを「翼」と呼んだ。契約はたぶんそれでおしまいで、彼という王国に配置されたことを、黒川は僥倖だとも苦痛だとも感じていない。ただそこには累々と積み上げられた信頼があるだけだ。それから、過去への少しの憧憬とが。話題とはまるで関係のないことを考える黒川の前で、横に逸らせた話題を、自分で本筋まで戻してくれるのもまた、椎名翼の特性である。

「それで、何だったっけ。サッカーを止めたいだ?」

――経緯は省く。ただ、部活もサッカーも止めると言っている後輩がいる。あんたなら、どうする。何て言う?
高校サッカーと選抜で忙しく飛び回る椎名をひっ捕まえ、ここまで呼び出した黒川の今日の唯一の命題というならばそれで、「飛葉中元キャプテン」から「現キャプテン」への引き継ぎの一環みたいなものだと彼は軽いかんじで考えてもいる。実名や詳細な理由やコンプレックスや部の環境などの具体例を提示する気はそもそもなく、ただそれは椎名という人間への興味から、聞いてみたかった問いでもあった。すなわち――お前はサッカーと自己について、どう思っているのか、と。

「誰だっけそれ。一年?」
「そう」
「見たことある?僕」
「練習試合とかで、たぶんな」
「ふうん。止めたい止めたい、止めたい、ね」

椎名の、卒業後はなぜか伸ばしているために少しだけうるさそうな鮮やかな色の毛先が、ファーストフード店の卑俗な白いフロアに好き勝手に跳ねている。今日も適当なジャージ姿の黒川に対し、椎名は適度に着崩した高校のブレザーの、袖から伸びるしなやかな腕先で冷めかけたポテトを摘まんでは食う作業を繰り返す。
興味のない仕草をしていたって、彼の頭は、馬鹿みたいな速さで回転していることを黒川はまた知っていた。残り少なくなったシェイクを啜る小さな音。椎名の、芸能人というよりはむしろ一定の芸能事務所を想起させるようなばかでかい双眸が、やたらに白っぽい肌におちる睫の影が、周囲に与える影響力は果てしのないものだろう。頭もよい彼はたぶん、サッカーがなくても生きていけるような人間ではあるけれど、彼にはあくまでもサッカーが必要なのだと黒川は思っていた。
空気を遮る次のセンテンスで、降った言葉は単調だった。適度な放棄の態を装ってかけられた抑揚のない言葉に、黒川はにわかに、部活のロッカールームのことを思い出す。

「『価値』じゃないよ。サッカーは『価値』じゃないし救いでもないし掛けたものが戻ってくるものでもない」

しばらくの、時間があった。普段饒舌な椎名がめずらしくゆっくりした長さで言葉を紡ぐ時間と、黒川がその解釈を考える時間とが。