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MY SWEET HOME

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「まぁ、いい。とにかく食事にしよう」
「ああ、そうだ。もう冷めてしまったかな? 少し暖めなおすか」
 リビングへと先に歩き出したグラハムが、ふと、立ち止まって振り返ってくる。
「なんだ?」
「まだ言ってなかったな、と思って。お帰り、刹那」
 戦闘から戻ってくる刹那に、グラハムはなんと言って声をかけるべきかで悩んでいた。よくやった。お疲れ様……。どれもしっくりこないと感じていた理由は、自分の腹が据わっていなかったからだ。
 けれどその立場もようやく定まった。彼を出迎える側のグラハムがかける言葉として、もっともしっくりくるのが「お帰り」だった。
 刹那は虚をつかれたように、一瞬だけ無防備になった後で、注意しなければ分からない程度の、例の小さな笑顔を見せた。
「ああ、ただいま、グラハム」
 戦い続ける男に必要なのは、励ましでも謝礼でも労いでもなく、ここへ帰ってくることを望む言葉だった。

   ◇◇◇

 グラハムの望みだった食後のコーヒーを静かに飲む時間は、ミッションがあったことを忘れさせるくらい、穏やかな心地をもたらすものであった。常に戦いの場に身を置くトレミー内では、こういった時間は作れない。刹那もこの場所のありがたさを実感していた。


「寝るな、グラハム」
「……勘弁してくれ……、無理だ、今日は、絶対に眠らないと、身体が持たない……」
 言っているそばから、グラハムの瞳が閉じられていく。ベッドの上で立膝を抱えている刹那は、隣で眠るグラハムの頬を軽く叩いた。
「寝るな。アンタの言いつけを守ったのに、アンタは無視する気か」
「……今日するとは、言ってない……」
 確かに食事が先だ、とは言ったけれど、それが交換条件だとは一言も言ってない。
「屁理屈を……。アンタがそんなに姑息な男だとは思わなかったな」
 刹那は、今度は挑発してみた。売り言葉に買い言葉で乗ってこないかと思ったが、グラハムは一瞬だけピクリと眉を反応させたけれど、すぐに目を閉じ、刹那の反対側に寝返りを打っている。
「おい」
「……頼む、寝かせてくれ。もう、三日、寝てないんだ……」
 ボソボソと呟くようにもれた言葉に、刹那も軽く目を瞠っていた。
「なんだ? やっぱり、カーテンが役に立ってないのか?」
 そう言った後で、それはおかしいなと気づいた。夜はカーテンのあるなしもあまり関係ないはずだ。グラハムはくぐもったような声を上げて、ゆっくりと目元を擦っている。
「違う……。君が変なことを、言ったりやったりして、私を悩ませたから、だ……」
 ゴロン、とまたこちら側に身体が向き直ってきた。
「変、とはなんだ……」
 刹那は文句を言いつつも、悩ませるという台詞には、自然と口角が持ち上がってしまう。
「好きだとか、一緒に住むとか、キスもされたし……ダメだ、眠い……」
 スーッと、眠りに落ちていく間際を捉えて、刹那はまたペチリとグラハムの頬を叩く。意地悪をしているような気分にもなるが、お預けを食らわされたのだから、多少の意趣返しくらいはしたっていいだろう。
「……ん、ん〜……」
 眠りたいのに眠らせてもらえないグラハムは、だんだんとぐずる子供のような声をあげだした。
「昨日はどうした? 俺もいなかったし、眠れないってことはなかっただろう?」
 刹那はセイロン島付近の空域で待機した後、トレミーと合流して、そこで連邦政府の動きを待っていたのだ。ロックオンと交代で休憩を取ったから、まったく眠っていないわけではない。
 安全なはずの家の中にいたグラハムがどうして眠らなかったのか、その理由が聞きたかった。
 グラハムは目を閉じたまま、ゆっくりと話しだす。
「君が……、どうしているのか、戦うのか……、心配……、……」
 その続きは、寝息によってかき消された。言われたことに驚いて、刹那が起こすのを忘れたからだ。
「起きろ、グラハム。続きを聞かせろ」
 ペチペチと何度か頬を叩いてみたが、もう手遅れで効果はない。固く閉じられた瞼は、何をしても開きそうになかった。
 グラハムの寝息が、静かに聞こえてくる。無防備なその姿に、いっそこのまま寝込みを襲ってやろうか、という気分にもなるが、それはできなかった。
 グラハムから感じる思考は観念と信頼。そして少しの不安だ。寝込みを襲うなんてしたら、せっかく勝ち取った彼の信頼を裏切ることになる。
 刹那は「ふぅ」と溜息をつき、仕方がないので、今日は諦めることにした。
 眠るグラハムの髪の毛が、新たに購入した枕の上に散らばっている。刹那はそのひと房を、そっと指に絡めてみた。
 懐かしい時間が蘇ってくる。かつて手にしていて、自ら壊してしまったものが、今ここにある。再び、刹那の手に戻ってきたのだ。
 くるくると指に巻きつけたり、櫛のように梳いてみたりを繰り返した後で、今度は頬のあたりに指を持ってきて軽く触れてみる。サラリと滑る感触が気持ちいい。
 右半身に残る傷跡は、もともと白い肌ゆえに痛ましい印象だ。この傷は、刹那がつけたものだった。治療する気がないのか、それとも治せないのかは分からないが、グラハムの傷跡を見るたびに、刹那は己の行ってきたことがどういうことなのかを認識する。
 謝ることはできない。謝ったところで、何が解決するわけでもないことを、刹那もグラハムも知ってしまっているからだ。
 過去は取り消すことも、巻戻すこともできない。でも、積み重ねた記憶の上に、また一からリスタートさせることはできる。
 経験と反省を生かして、この家で、刹那は過去をやり直すと決めた。幸せという言葉が持つ意味を、刹那にはない価値観を持つグラハムと共に暮らしていくことで、つかんでいきたい。
 今度は、絶対に失わないように。刹那は戦いながらもそれを守っていくことを、眠るグラハムの傷跡に誓った。


 了
作品名:MY SWEET HOME 作家名:ハルコ