幻水短編詰め合わせ(主に坊さま)
arta utopio. (坊さまとトーマス)
その少年の存在はずいぶんと唐突、に感じられた。
客人は、ありがたいことに珍しいものではない。トーマスが城主として訪れた当初は人少なく荒れるに任せるようだったビュッデヒュッケ城も、「炎の運び手」の本拠となるのに前後して、仲間に加わりたいという者、店を開きたいという者が次々とやってくるようになっていた。
だから、見知らぬ者が来ることも、その相手が異国風の格好をしていようとも、不審に思うことはないはずなのに、何故か。
そぐわない、と、トーマスは感じたのだ。
ややくたびれた鳶色の外套に小さな荷物を肩から提げ、少しばかり色褪せた、それでも十分に鮮やかな若草と双藍に染められたバンダナだけが目を惹く。手に長い棒のようなものを携え、無表情に城を眺めるさまは、本当に、ただの旅人以外には見えないのに。
「あの……」
覚えた違和感を払うように少年に声をかけ、トーマスは思わずびくりと身をすくませた。
静かにこちらを向いた、琥珀の色をした瞳。
ビュッデヒュッケ城には様々な人がいる。岩をも叩き切るような勇士や技を誇る剣士、智謀をもって軍を動かす策士に、何百人もの人間をまとめ、率いる立場にある者。一国の代表と言える者だとて、一人ではない。
だから、ただ強い瞳、というのなら、トーマスはむしろ見慣れている。
それなのに。
不透明な色の至玉はあくまで無頓着に彼を眺めていたが、ややあって、すぅと眇められ、煌と光をもらした。薄く形良い口唇の片端がほんのわずか、吊りあがる。
「トーマス?」
奇麗な響きで、名を呼ばれた。同じ言葉のはずなのに、トーマスの知る誰が口にするのとも、違う気がした。
名を──呼ばれた。
「……どうして、僕の名前を……」
いつもと同じ、我ながら力のない声が出る。でも、何故か、目は。視線は、逸らせなかった。琥珀の瞳を受けて、受け止めて、まるで揺るぎないように。
逸らせないと、思う。逸らすわけにはいかない。
その必要など、どこにもない。
「刻んであったからな。あれに」
ごく軽い仕草で肩をすくめ、少年はちらりと視線を流す。その先は城から見て北方……それこそ城のものしか知らないような細い道を辿った先。
そこには、大きな、誰の手になるものか、何の為のものかすら、解らない石碑が、ある。
そしてそれには、確かにトーマスの名前が刻まれていたのだ。石碑の一番上、見上げなければならないような、高さ。まるで、第一位にある者の名の、ように。
「天魁星か」
呟かれる、聞き覚えのない言葉。
「え、てん……? 何ですか?」
「天魁星」
「……てんかいせい……」
「君が、この城の主だろう?」
問いかけられ、一瞬、返事を見失う。本来、それは実に明確なことのはずなのだけれど、未だトーマスは慣れない。
「今」は、尚更に。
「えっと、城主は、確かに僕ですけれど……」
「なるほど。今度は、こうきたか。まったくな」
そんなトーマスの困惑も屈託も関係なく、少年は口唇に苦笑を刻んだ。掴めない言葉と、表情。けれども、呆れたような感心したような声は、違和感なくトーマスに彼の感情を伝える。
興じている。
奇怪なほどに純粋に、彼はただ、トーマスの名があの石碑のあの位置に在ることを面白がっている 。
そのことを理解し、トーマスもまた、興を惹かれる。何が、この少年にこんな感情を持たせているのか。彼は何を知っているのか。あの石碑は、何なのか。何を意味するのか。
自分は──彼は、何なのか。
「あの……えっと。教えて、ください」
おずおずと、けれどはっきりと、トーマスはそう口にした。
応えるように首をかしげた少年の額を、バンダナからこぼれた髪がはらりと覆う。
きれいな黒髪だな、とちらりと思った。仲間のひとりである少女、ビッキーの長い黒髪もとてもきれいだと思っていたけれど、もっと……そう、色こそ違え、あの白の騎士団長、クリス・ライトフェローの見事な銀の髪にも劣らないほどの。
「あなたは……」
「ルイ」
「、え」
「俺の名前」
「あ、ルイさん、は……知っているんですか。あの石碑、が、何なのか」
「──まあ、そこそこ良く、な」
「じゃあ、教えてください。僕、知りたいんです」
知りたいことは、ひとつだ。
不可思議な、あの石碑。ビュッデヒュッケ城に人が集まり始めたのとほぼ時を同じくして現れた、あれと、そして、そこに刻まれた名。
何を聞くべきか、トーマスは、間違うことなく知っていた。
だから、訊いた。
「僕は、天魁星って──あなたも。何なんですか」
解るのだ。理屈じゃなく、間違いもなく。だから、躊躇う必要も、迷う理由もなく。トーマスは、不可思議な何かを孕んだ二粒の琥珀を、はっきりと見据える。
けして表面に出はしない、その中の内包物をこそ、しっかりと見極められるように。
少年──ルイは、一度だけ、まるでトーマスの言葉を咀嚼するようにゆっくりと瞬いて、答えた。
「天に在る、魁の星」
すっと、手にした黒い棒で、天の一点、ちょうどビュッデヒュッケ城を真下に見下ろす位置をぴたりと示す。
「たぶん、今はあの辺で光っているはずの、大きな赤い星だ。その星の性を持った人間が天魁星と呼ばれ、地にあって他の107の星を導き、乱を治へと戻す。──まあ、平たく言えば、戦乱が起こったら、それを収拾するように定められた英雄予備軍のことだな」
「英、雄」
でも、と咄嗟にトーマスは思う。
それなら、どうして自分なのだ。「彼」でなく……他の、その言葉に相応しい誰でもなく。
「もう、この城には、『炎の英雄』が……ヒューゴさんが、います。それなのに、僕が、天魁星なんですか?」
「そういうことだな」
「……どうして」
「さあな。俺は他の奴らを、今の『炎の英雄』とやらを直接知らないが。とりあえず、この城の主はお前だろう」
それに、と少年は付け加える。
目の前の、頼りなく見える城主、年若い、どこにでもいるような少年を見て、少しだけ笑う。
「そのヒューゴ、「炎の英雄」の天傷星は、天魁星にはなれなかったろうな。今はともかく、今後もあの紋章を支えきれるかどうかも怪しい。
あれは──ちがう」
あまりにも静かに、確かに、彼は断言した。言い切った。それは、たった今、この地をまとめ上げている『英雄』を、否定する言葉。
下ろした棒を身体の脇に伸ばし、おとなしげな茶色の、誰かに似た瞳を、少年は覗き込んだ。
琥珀と茶、二つの色に浮かぶ、よく似た、しかし決定的に違いすぎる光。
一方は苛烈。他方は拒絶。
ともに、同じ星を戴き、戴いたふたりの少年。
そうだ、ちがう──と、トーマスは思う。『炎の英雄』を否定するのではなく、ただ、目の前の少年と、ヒューゴは、あの草原の少年は、けして同じものにはならない。なれない。
自分は、同じだと、そう解ったのに。
作品名:幻水短編詰め合わせ(主に坊さま) 作家名:物体もじ。