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物体もじ。
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幻水短編詰め合わせ(主に坊さま)

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 そして、そういうことなのだ、とトーマスは知る。ただ、『英雄』というだけの存在では、天魁星はないのだと。

 トーマスの理解が追いつくのを待っていたように、ルイは再び口を開く。



「『炎の英雄』は、この乱を収めるだろう。彼の名がこの地に残るだろう。そして、それをこの地に伝えるのは、お前と、この城。
 だから俺は、お前にひとつ、手札を与えようと思う」



 赤き巨星。既存権力にとっては、紛うことなき凶星を持つ少年は、そうトーマスに告げた。

 煌と、黄金に光る瞳に映す、興。



「俺という、札を。
 覚えておけ。ルイシャン・マクドールという名を。
 覚えておけ。この名を持つものが、今この時に、この地この城を訪れていたことを」



 どこかで聞いたことがある、と思った。名か、姓か……それとも、双方か。

 心の臓が、凶悪なまでに騒ぎ出す。不安と、畏れと、興奮と。とてつもないものを、たった今、自分はいとも無造作に与えられた。

 けれど、



「ただし、事が終わるまでは、切ることを許されない手札だが。俺という存在は、この件この時代には、本来関わりのないものだろうからな」



 それは同じ少年の手によって、封じられてしまう。


 ──否?


 そうではない。どのみち同じなのだ。どうせ、この最凶にして論外の切り札に、使い途みちなど、あるはずない。


 だって、彼は天魁星なのだ。

 今この時この地のものではない、凶星なのだ。



「──そんな、札を。いずれ、切る時があると言うんですか?」



 他の札を積み上げてきた場を、根本から破砕してしまうような札を。



「そんな時がいずれ来ると?」

「あくまで仮定であり、未定だが。いずれ、来るかもしれないというだけのこと。
 ただし、これはお前の自由裁量のうち。切るも捨てるも、お前次第」



 与えられた、というよりも放り投げられた手札の意味と、意図を噛み締める。


 ルイシャン・マクドール。かつての星。かつての争乱──それは。


 トーマスは知る。思い出す。

 遠い異国の地、起こった内乱。それを治めた、英雄。すでにして伝説とまで言われる、姿を消した指導者。どんな歴史書も彼について言及し、けれどその後を語らない。

 そして今、目の前に鮮やかな、琥珀。



「──トラン」



 得たり、と、笑みで少年はトーマスの呟きに応えた。



「そう、それが鍵だ」

「そうすれば、辿り着けますか?」

「それも、お前次第だな。お前が天魁星として生きるなら、容易いだろう。見せてみろ」



 勝ち気に腰に置かれた右腕。ふわりと揺れた鳶色の外套の中に、鮮烈な赤が、覗く。誰であっても目を奪われずにはいられない、暴力的な色。

 今、この地を覆おうとしている炎よりも、ずっとずっと圧倒的な。



「なら、僕は辿り着きます」



 それは、希望でも、努力の誓いでもなく、未来の推定。



「あなたの名の意味に。その使い途に。使い処に。この地にもたらすべき結果に。
──何より、僕の、希みに」

「ふ、ん」



 きらりと、少年の瞳が黄金に輝いた、ように見えた。くるりと幕をめくるように元のごとく興じる色を浮かべ、す、とその視線を動かす。誘われたその先は、トーマスの背後、古びた湖畔の城。



「俺も、ひとつだけ、訊いておこうか」



 形良い口唇に浮かぶ、柔らかい笑み。やさしいとさえ見える顔。出会いの瞬間からこの時まで、強すぎる瞳に邪魔されて意識に掛からなかった、秀麗としか言いようのない少年の容貌に、トーマスは初めて気づいた。

 姫君のように見事な黒髪に、多少は日に灼けながらもなお白い面輪。完璧な位置に配された目鼻、自然体だというのに、典雅な細い立ち姿。

 そして、それらすべてを裏切る二粒の琥珀。




「お前の願い、それはあの城に?」



 問いに、トーマスはふと笑う。



「はい。あそこに──他のどこにも、ない」

「その為に、使うか?」

「そう、なると思います。僕は、何としても、手に入れなければならないですから」

「そうか」



 トーマスは、ビュッデヒュッケ城を眺めた。古びた城。追い払う為に与えられた、けれど今では他の何よりも掛け替えのない、ただひとつの彼の城。


 その上で、彼の星が確かに輝いていると、言うのならば。



「何を、どこを巻き込むことになっても、なってでも、僕は」

「トーマス」



 背後から、少年の声。穏やかで、耳に心地好い声。すべてが奇麗な人なんだな、と埒もなく思う。

 ぱさりと、軽い衣擦れの音。



「お前は、思うとおりにすればいい。それを貫いたとき、おそらくお前の希みは叶うだろう。お前は、天魁星だから」

「──はい」 



 笑う気配がした。苦く、それでもおかしそうに、小さく。確かに。



「たぶん。あいつも、それを見てる」

「え」



 振り返る。ほんの一瞬。



「──ルイ、さん?」



 もう、どこにも、あの琥珀の少年の姿は、なかった。