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物体もじ。
物体もじ。
novelistID. 17678
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01/Tio estas farebla.

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kara geamiko / 紋章継承と逃亡の始まり




 声より何より雄弁に、叫んでいた、あの瞳が離れない。





(……っくしょ…気分……悪ぃ……)



 ざあざあと、降り続く雨の音が、いやに耳につく。

 まるでそれ以外の感覚を閉ざされてしまったようだと思って、すぐに、それが紛れもない事実なのだと気づく。

 傷を負った身体は地面に投げ出され、冷え切った指先は、もうほんのわずかに土を掻く力すら、残っていそうにない。

 目の前に落ちた雨粒が跳ね上げた土埃が、頬に張り付いて、すぐに流される。


 ああ、今の自分は、このちっぽけな滴よりも無力な存在なのだと。


 揺れて戸惑う、痛いばかりの眼差しが、目の前にちらつく。



(逃げろよ……ルイ)



 だけど、だけど本当は。


 ざあざあと、降り続く雨の音を掻き消す、無粋で騒々しい足音が、近づいてきた。



「……わかって……、る」



 本当に久しぶりに、雨粒を受けた、右の掌が……冷たかった。





kara geamiko / 01

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 油断、本当に、油断だった。


 迫る人の気配と、それよりも、まるでどこまでも追いかけてくるような紋章の気配から逃げながら、舌打ちする間も惜しんで、テッドは頭を廻らせていた。


 どこへ、どこから、どう。

 逃げれば、もっとも効率よく、追っ手を撒くことが出来るか。

 あの女は、一体どこまで紋章の気配を感じ取ることが出来るのか。

 紋章の気配を封じるのが先か、それとも、今まさに自分を捕らえようとしている人間たちを黙らせるのが、先か。


 忙しく優先順位を弾き出しながら、それでも、思考の片隅に居ついて離れないのが、自分への叱咤と、心を寄せる、人たちへの謝罪。


 大将軍という地位にも関わらず、自分のような、ただの戦災孤児にしか見えない子どもを拾い、保障を与えてくれた、テオ・マクドール。

 そんな主人の気紛れにも真面目に付き合い、家族のように接してくれた、3人の戦士たち。


 それから、何より。


 この2年というもの、何をするにも一緒だった、大切な「親友」。

 黙っていれば文句なしに可愛らしい顔と、将軍家の子息とは思えないような性格の、ルイシャン。

 たくさんのことを与え合った、かけがえのない「相棒」。



 守れるか?

 守れるのか。



 ざあざあと降りしきる雨の中、ぐっしょりと濡れた皮手袋の下で、300年。共に生きてきた存在が、己れを訴える。



「しばらく黙ってろ。お前は、ルイを守るのに役に立つわけじゃないだろう……!!」



 違う。

 「あの時」だけは、確かに、この存在のおかげで、自分は、ルイシャンを失くさずに済んだのだ。


 だから、油断した。

 ルイシャンを守れたのだと、そのことに喜び、驕り、挙げ句の果てに、最も招いてはならない事態を、自ら引き寄せた。


 すべて、自分の責任だ。


 泣き出したい、くらいに。



「っぐ……」



 不意に、がくりと膝が崩れそうになった。



(冗談じゃ……)



 受けた傷、失った血液、雨に奪われる体温。

 すべてに持ち去られていく力を、ただ、足にだけ、込める。

 逃走経路を弾き出していた思考も、慙愧に耐えない思いに囚われていた心も、すべてを手放して。


 テッドは、ただ、足だけを、止めなかった。





 ざあざあと、降り続く雨の音が、やけに耳につく。

 そこに混じり始めた遠い雷鳴に、ルイシャンはふと顔を上げた。

 食堂にはすでにシチューのいい香りが漂い、目の前に座った大食らいの居候は、皿にさえ齧りつかんばかりの形相でテーブルに突っ伏している。


 昼過ぎから降り始めた雨は、夕闇の迫る時間になっても止む気配もなく、それよりも、雨雲が見えるよりも前に別れた友人が未だに戻って来ないことが、自分でもおかしいくらいに気がかりで。

 緩んできたバンダナを結び直しながら、ルイシャンは根の見えない苛立ちに眉を寄せた。



「どうしたんでしょうねえ、テッドくん。シチューが冷めてしまいます」

「そもそも、何でテッドくんを連れていったんだ、あの酒樽は?」

「ク、クレオさん……仮にも上司にあたるんですから……」

「あんなもの、酒樽で十分だろう」

「……ほんとうに、どうしたんでしょうね、テッドくん……」



 そうだ、と、ルイシャンは口の中だけで呟く。

 クレオ曰くの酒樽、近衛隊副官のカナンは、権力に媚びへつらう以外の行動パターンがないような男だが、それだけに、読みやすい。

 だが、テッドを連れていった理由、それだけは、どう考えても、わからない。


 清風山でクイーンアントを消滅させた、テッドの力。

 恐らくは何かの紋章の力なのだろうが、それに目をつけて、子飼いにでもしようと目論んだのかとも思ったが、それにしては、テッドの帰りが遅すぎる。



 ―――何を、やってるんだ、お前は?



 あの洞窟の中、どれだけ挑んでも斃れる気配すらない怪物相手に、らしくもなく覚悟を固めた、その目の前で、あれだけ鮮やかにそれを覆してみせて。

 その直後に見せた、今までのどんな顔とも違った、会心の笑み。


 あんな顔で、話があるから、待っていろと、言ったくせに。



「……いつまで待たせる気だ、阿呆が」



 呟いた言葉が、苦かった。

 可笑しい。

 まるで、親の帰りを待つ子どものように、不安に満ちた声ではないか?

 らしくもない。



「あ……坊ちゃん?」



 ため息をついて、席を立ったルイシャンに、母親代わりとして世話を焼く青年が、慌てたように振りかえる。



「見てくる」



 ひとこと、言い置いて、温かな匂いの満ちた食堂を、後にした。

 自室の脇を通り、少しだけ考えて、結局、手ぶらのままで、階下にある玄関へと足を向る。



 ざあざあと降り続く雨の音が、少しだけ、近くなった。


作品名:01/Tio estas farebla. 作家名:物体もじ。