01/Tio estas farebla.
ただ、自分のすべてを懸けた結果が、これなのかと。
浅ましい己れを、力の許すかぎり、嘲笑いたかった。
「……ッド……?」
耳につく、ざあざあと言う雨の音。
それだけを残して、すべての音が遠くなった。
仰天したようなグレミオの叫び声が、それに答えて駆け寄るクレオとパーンの騒々しい足音が、すべてを拒絶しようとする鼓膜を揺さぶる。
抱き起こした手にぐったりとかかる、彼の体重に、自分のすべてが、冷えていくのを、感じた。
kara geamiko / 02.
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「どういうことだ……」
クレオの声が、固い。
テッドの全身に刻まれた、けして浅くない傷。
それが、剣でも槍でもなく、紋章の魔法によるものだとは。
それの、意味するところは。
寝台に寝かされたテッドの枕元に椅子を引き寄せ、ルイシャンは眠る彼の額にかかった髪を除けた。
あらわになった額にも、頬にも。掠ったような赤い痕が残り、湿った前髪は、いくらかざんばらになったようですら、ある。
誰が、何の目的で、テッドを。
クレオは強盗の仕業という可能性を示唆したが、それがほぼ有り得ないことは、分かっている。
テッドがテオに連れられてきてから、すでに2年。彼が大将軍テオ・マクドールの庇護を受ける存在であることは、そこそこに知られていることだ。
そんな少年に手を出すほど無謀な輩が、いかに後ろ暗い者たちであっても、否、そうであるからこそ、そんな迂闊な者がこの帝都グレッグミンスターに居ようとは、思われない。
それでなくとも、短くない時間を独りで生き延びてきたというテッドが、強盗ごときにここまで酷い傷を負うはずもなく、ましてや、城から直接帰ってきたのなら、いかに闇に閉ざされた道であったとしても……
「……う……ぅ……」
かぼそく、けれど確かに聴こえた声に、ルイシャンは手を離した。
彼と、部屋にいる全ての人間の視線を集めた先で、血の気の失せた瞼が、痙攣するように震える。
「…ル、……イ……?」
ひとつ、瞬いて、息を吐く。
それから、もう一度、湿った前髪を、静かに梳いてやった。
「ああ」
開かれた、力のない眼差しが、ルイシャンを捉えて、細められる。
目だけで笑い、テッドは、口唇を噛み締めた。
「テッドくん!! 大丈夫ですか? い、一体何が……」
それを見咎めたルイシャンが口を開くより先に、狼狽しきった世話役が、彼の肩越しに、身を乗り出す。
「グレミオさん……あいつらは……近衛隊、は……まだ、来てないみたい、ですね……」
呟くように、洩れた言葉。
ふ、と、テッドの薄茶の瞳に、力が戻る。
「……近衛隊……? おい、テッド、どういうことだ!?」
「ちょっと、パーン!」
激昂したような、食客の男と、それをたしなめる、声。
それらを、まるで舞台の外のように締め出して、テッドと、ルイシャンの視線が、絡められた。
遠雷のような憤りと、嵐のような葛藤と、すべてを、ざあざあと音を立てて降り続く雨の向こうに隠したような、薄茶の瞳が。
「…… ……」
ふっと、開きかけた口唇と、薄い瞼が、力を失ったように、前触れもなく、閉ざされる。
「テッド?」
「気を……失ったみたいですね。熱が出ているようですし……」
「……そう、か」
額を撫でた指に触れる肌が、確かに熱い。
薬を、と、世話役の青年に命じようとして、振り返った視線の先に、固い顔をした、食客の男の顔。
「……パーン」
「坊ちゃん……近衛隊に、知らせたほうが良くはありませんか?」
むっつりと、押し出された言葉に、過剰に反応したのは、親友を侮辱されたも同然のルイシャンではなく、その世話役のほうで。
「何てことを! テッドくんが、兵隊に追われるようなことをしたとでも言うんですか!?」
「どういうことだか、分かったものじゃないだろう。テオさまのお留守に、滅多なことがあっては困る」
「だからと言って!」
悲鳴のような声を上げた世話役の青年に、ルイシャンはひとつ、ため息をつく。
パーンへの批難をを顔全体で表したグレミオと、表情を崩さないパーンを眺めやり、それからまた、眠るテッドに視線を戻した。
「グレミオ、黙れ。テッドが起きる」
「ぼ、坊ちゃん!? でも……っ」
「パーン。それはテッドが目を覚まして、事情を訊いてからでも遅くはないだろう」
―――必要、ないとは思うが。
ふっと、閉ざされた瞼の奥の、瞳を見透かすように、凝視して。
呟いた言葉は、思惑通り、この部屋に立ち尽くす誰にも聞こえなかったようで、世話役の青年が、また批難がましい叫び声を上げた。
「……わかりました。坊ちゃんがそう、おっしゃるなら」
普段からは想像もつかないような、静かな足音と共に、彼が部屋の外へと行くのを、黙ったままで、送って。
ルイシャンは、やおら、テッドの枕元に残った世話役の青年と、もう一人、彼らの言い合いをただ黙って聞いていた女戦士を、見上げる。
「グレミオ、クレオ」
「あ、はい!? 何ですか、坊ちゃん??」
「はい」
「悪いが、しばらく出ていてくれるか」
「ぼぼぼぼ、坊ちゃん!? どうしてですか?」
「……お前が騒ぐと、テッドが起きるだろう」
「で、でででででですが……」
「出ていろ。クレオ、グレミオを連れて行け」
「はい」
「く、クレオさん! 離してくださ……」
「いい加減にしろ、グレミオ。坊ちゃんがああおっしゃってるんだ」
「わ、わかりましたから……坊ちゃん、何かあったらすぐに呼んでくださいね!?」
「さっさと行け」
「坊ちゃあああぁぁぁぁん……」
ぱたんと、扉が閉められ、物言いたげなクレオの視線と、情けないグレミオの声を、部屋から追い出す。
その気配がじゅうぶんに遠ざかるのを待ってから、バンダナを外し、無造作に髪をかき回しながら、ルイシャンは。
不機嫌極まりない声を、投げつけた。
「これでいいだろう。さっさと起きろ、テッド」
作品名:01/Tio estas farebla. 作家名:物体もじ。