黒龍
次の瞬間、帝人は何が起こったのか理解できなかった。
一瞬にして目の前が黒い炎で埋め尽くされたかと思うと、
妖怪たちは跡形もなく姿を消していたのだ。
残っているのは、たぶん妖怪たちの影であろう焦げ跡だけ。
圧倒的なその力に帝人は瞬きを数度繰り返し、ぽつりと言葉を零した。
「すごい・・・」
「ふふ、ありがとう。っていっておこうかな?」
「っ」
帝人は青年の言葉に肩を震わし、恐る恐る己の後ろに立っている青年を見上げた。
青年は先ほどとは打って変わって凪いだ笑みを浮かべると、
ひょいっと帝人を抱え上げてしまう。
「え!?」
必然的に青年を見下ろすような体勢と、
妖怪たちを一瞬にして消してしまった青年に抱きかかえられているという恐怖で、
帝人は体をばたつかせた。
「おっと。危ないからジッとしていて。出ないと、落としちゃうでしょ?」
青年はどこか苦笑じみた笑いを零すと、優しく帝人を抱きかかえなおす。
そんな仕草に、帝人は呆けて抵抗することを忘れてしまった。
「えっと・・・」
「ん?あぁ、こんばんは。どう?ちょっとは落ち着いた?」
「あ、はい・・・」
「そう。それはよかったね帝人くん」
「・・・っ!?」
帝人は体の芯から冷えていく感覚を味わう。
どうして目の前の青年は自分の名前を知っているのだろう。
己は名乗っていない。断じて名乗っていない。それがどうして知っている?
そういえば先ほども自分の名前を呼んでいた。
恐怖がまた湧き上がり、帝人の体を震わせる。
「あぁ、怖がらないで。俺ってそういう存在だからさ。
まぁ、なんでも知っている情報通とでも思っておいてよ」
「え、あ、はぁ」
にこっと微笑まれ、帝人はまた肩から力を抜いた。
どういうわけか、この青年には毒気を抜かれる。
「ひっどい擦り傷だねぇ。
全く、君をこんな目に合わせる人間なんて俺が滅ぼしてやろうか?」
甘く微笑まれ、帝人は一瞬何を言われたかわからなかったが、
一拍おいてその意味が脳へと伝わると、
青年の言葉にブルリと体を揺らし、急いでかぶりを振った。
「そう?別に君のためならいくらでもこの力をふるうのになぁ」
「い、いいです!だ、大丈夫ですから!!」
「遠慮しなくていいんだよー?」
「してません!してません!」
妖怪たちを消し飛ばしてしまう力を持つ青年の言葉は、
たとえ冗談だとしても肝が冷えるものがある。
必死に首と手を振る帝人に、青年は声を上げて笑い出した。
(もしかして僕・・・からかわれてる?)
からかわれる、という行為自体が初めてなので帝人自身にはよくわからない。
それでもそういう単語があり、意味も知っていたので、多分そうだと思った。
「からかわないで・・・ください・・・」
なにかとても複雑な気分なんだなぁ、と思いながら未だに笑いやまず、
涙ぐんでさえいる青年に帝人はため息交じりにつぶやいた。
「ごめ、ごめんっ・・・あはは、いやぁ、まぁ冗談とかじゃないけど。
うん、帝人くんがいいならそれでいいよ」
青年はくすくすと笑いながら、帝人を抱えたまま急にどこかへ歩き出す。
「えっと、」
どこへ連れて行かれるのだろう、と不安に思いながら青年を見つめると、
青年は目を細めて、とても優しい笑みを浮かべる。
「出口、わからないでしょ。連れて行ってあげる」
「あ、ありがとうございます・・・!」
帝人は青年の言葉に漸く笑みをこぼした。
不思議とその青年といると、森に常に漂っている妖気を全く感じなかった。
どうしてだろうと不思議に思いながら、青年の言葉巧みな話術に、
初めて誰かと話すのが楽しいと帝人は思った。
森の出口について、別れると思うのが嫌なくらいに。
「はい、ここが森の出口。こっからは帰れるよね?枝も持ってるし」
「・・・はい」
青年は帝人を地面に下すと、俯いている帝人の頭を撫でた。
帝人は青年を見上げながら、軽い会釈をする。
「あの、ありがとうございました」
「どういたしまして。気を付けておかえり」
「はい・・・」
帝人は後ろ髪をひかれる思いで、森から己が住む館への帰路に足を延ばす。
ふと、そういえば青年の名前さえ自分は知らないのだと思い、後ろを振り返った。
帝人の瑠璃の瞳に黒い大きな影が映し出される。
夜空に浮かぶ月に照らされ、黒く、長く、うごめく影。
「黒龍・・・・」
帝人はその美しさにしばしたたずみ、そして何か見てはいけないものを見た気がして、
その場からすぐに立ち去ったのだった。
黒翔森の名前の由来、それは黒き龍が住まう森。