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爪を切り損ねた。

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「ねえ、爪切り持ってないの」
 向かい合った場所からすこしだけ移動して、ナルトと肩をならべて腰をおろす。傷を間にはさむような位置は意図してのものだ。もしも攻撃を受けたとき、動きの鈍いだろう腕の方向を守るのはサクラの役目である。
「んー、持ってねえってばよー」
「役にたたないわね」
「そりゃヒデェよ、サクラちゃん」
 笑ってこたえながら傷ついた腕を動かし、なんどもこぶしをにぎってはひらく仕草。動作に不安はないか、神経に異常はないか、痛みはたえられる範囲か、注意深く確認する忍びの男がそこにいる。
 同じように動きを見守り、専門家としての目で観察しながら、サクラは陽にやけたおおきな手の骨の隆起を想った。肉厚な子供のそれとはもはやかけはなれた造形。忍具を持ち慣れた手のひらの堅さは実感として知っている。爪は短く、表面にはすじがはしり、平べったくつぶれた形、これがナルトの手だ。カカシの手はもっとしなやかで、指の長さが印象的だった。イルカの手は無骨だけれどやさしい。サイの手は白く細く、筆を操るさまがよく似合う。ヤマトは木々にふれる機会がおおい分、つねに皮膚がかさついていた。
 彼の手はどうだったか。サクラにはわからない。少年の手にふれたことはあった。ちいさな手に。まいあがって感触どころではなく、ただ思いのほかあたたかかったという記憶だけが鮮明だ。爪の形、指の長さ、肌の色、すべてが遠い。はじめから知らなかったものならば、こんなにも恋しくは思わないだろう。
「……爪が伸びてるって、時々怒られたの」
 誰に、とは言わなかった。言わずとも伝わる、いいしれない甘さと切なさのこもった声が出た。ナルトはだまってきいている。目を合わせないでくれることが、サクラにはなによりもありがたい。
「一生懸命手入れして、お気に入りのマニキュアを塗って。そのたびに、忍びの自覚がたりないって、ばかにした目で怒られたわ。それからずっと、爪は伸ばしてないの。色も塗らない。透明なマニキュアは単なる保護よ。形だけは、せめて整えるようにしてたんだけど」
 切ってくるの、忘れちゃった。また怒られるわね。忍びの手じゃないって。
「……女の指でいられないなら、せめて、忍びの手でいたかったのにな」
 ささくれだった自分の指を目の高さにもちあげる。五指をひらいて確認すると、変色した血の色が全体をおおっていた。ナルトの血だと思えばすこしの嫌悪も抱かない。守れなかったことを悔やむだけだ。星明かりにかざした手を、となりからぎゅっとにぎりこまれた。
「サクラちゃんの手は、大事な仲間の手だ。俺はちゃんと知ってる。サクラちゃんがどんなにがんばって、修行して、任務に出て、里の仲間を救ってるか、いっぱい知ってるってば」
 今のサクラちゃんのことなーんにもわかってねェあいつがさ。今度勝手なことぬかしやがったらさ。俺がタコ殴りにしてやっからさ。
「サクラちゃんのかっこいい手、次はぜってーあいつに見せつけてやろーぜ」
「…………」
 うん、と返事をしようとしたが、どうしても声にならなかった。かわりになんどもなんども頷いて、ナルトの肩に頭をあずけた。夜の風はつめたく、ふれたナルトの体温はあたたかい。今夜、彼がひとりでいなければいい。誰かの温度がそばにあればいい。祈るような気持ちで思って、サクラはそっと目をとじた。
作品名:爪を切り損ねた。 作家名:ましろ