ファイト一発!
土方は、公園のベンチに座って空を見上げていた。
秋晴れの高い空には、薄い雲がそっと掃かれ、日々の生活でささくれ立った心を撫で癒してくれるかのように流れていく。
夏の頃は暑さのせいで、睨みつけるようにしか見なかった。
それがこんな穏やかな気持ちで見上げられるようになるとは。
季節の移り変わりは、どれだけ大きな影響を人に与えるのか。
ふと空から目を移すと、数歩離れた場所に少女が一人立っていた。
雨も振っていないのに、大きな番傘を差している。
柔らかな日差しの下でも傘を手放せないその少女を、土方は知っていた。
何か用事があるのかと思い、見ていると、少女は言った。
「ねェ、おじちゃん。どうしておじちゃんは昼間から公園でごろごろしてるの?」
「おじちゃんとか言うなよ、まだ。傷つくだろ」
「ねェ、おじちゃん。おじちゃんは働かない上司と凶悪な部下に挟まれて良いように使われた挙げ句、 疲れ果ててノイローゼになったってホントなの?」
「疲れてはいるけど、ココロまで病んでねェよ!何だよ、その中間管理職の最期みたいな設定!」
「ねェ、おじちゃん。おじちゃんは神社の石段のてっぺんから衝動的に自殺を図ろうと転がり落ちて精神的に病んでるって 診断されて仕事干されて強制的に休暇取らされて今労災訴訟中ってホントなの?」
「ただの有休消化中だよ!こう見えても俺、公務員なんだよ!公務員はちゃんと有休使わないと怒られるんだよ! っつーか、誰だ!お前にそんなウソ情報流したの!?天パの野郎か?あァ?確かに俺は転んだよ! 御用改めで行った神社の階段で転んだ上に総悟に蹴り飛ばされて加速ついて石段の上から下まで落ちたよ! でもアレはただの事故とただの悪質な危険行為で決して自傷行為じゃねェ! ――誰だ。俺を社会的に抹殺しようとする噂流してんのは」
「てめェんとこのどSアル」
「あの悪魔っ子ーーーーーーーォ!!!」
土方は、くわえていた煙草を地面に叩きつけた。
「――いつまでも母ちゃんのおっぱい吸うみたいにマヨネーズちゅっちゅやってるから、あんな三下に舐められるアル」
神楽は、怒りの雄叫びを上げている土方と、その懐から見えるマヨネーズを見、け、と吐き捨て、踵を返した。
「じゃあなァ。職場に居場所があるうちに復帰しろヨ。マヨネーズばっか吸ってるダメなおっさん、略してマダオ」
「ま、マダ…!?」
少女にマダオ呼ばわりされたショックで、土方は呆然と空を見上げた。
空は変わらない姿で、土方の上にあった。
空は変わらない。
変わったのは、土方の方だ。
さっきまではあんなに心を癒してくれていたのに、今は物悲しさしか感じない。
刷毛ではいたような雲は、儚い己の存在を表しているようにしか見えない。
土方の視界が、うる、とぼやけてきた。
「あれ…おかしいな…、ヤニが、目に染みやがる…ちくしょー…」
どれくらい経っただろうか。
ふと見ると、数歩離れた場所に猫が二匹、座っていた。
もっさもさの白いブサ猫と、きりっとした顔立ちの黒い猫。
二匹はじっと土方を見ていた。
「何だよ、見せ物じゃねェぞ。あっちいけ」
しっし、と手を振るが、二匹は動こうとしない。
「何だよ。腹減ってんのか?」
野良猫が人に近づいてくる理由といえば、そんなものだろう。
土方は、懐からマヨネーズを取り出した。
その瞬間、黒猫が飛んだ。
「にゃ!」
という気合い一閃で、土方の手からマヨネーズを弾き飛ばす、強烈な猫パンチを繰り出した。
マヨネーズは土方の手を離れ、数メートル地面を滑り、回転しながら止まった。
「――何だよ、お前等までマヨネーズを否定するのか…。どいつもこいつもマヨネーズバカにしやがって。 マヨネーズのない世界なんて、水の無い世界のようなもんだぞ…。NOマヨネーズNOライフって言葉を知らねぇのか…」
二匹の猫は、そろって首を振った。
「そうだよな、知らねぇよな。…猫だもんな」
ふぅ、とため息をつくと、合わせたように、ぐぅ、と腹が鳴った。
「コンビニでも行くか」
よっこいしょ、と立ち上がり歩き出すと、猫たちがついてきた。
「何だよ。来ても何にもやらねぇぞ。マヨネーズしかやらねぇぞ」
それでも二匹は付いてくる。
コンビニの前まで来ると、土方は足を止めて猫を振り返った。
「何か買ってきてやるから、ここで待ってろ。動物はコンビニに入れねぇからな」
だが、自動ドアを開けた途端、土方の足下をすり抜け、二匹の猫は店内に駆け込んだ。
「あ、お前ら!」
白猫はプチシュークリーム10個入りに、黒猫はざるそばのトレイにそれぞれ駆けより――前足でひょい、 と品物を掴み、後ろ足で立ち上がって店の外に走って行った。
「つ、掴んだ…そして、走ったァ!?なぁ…、って、ちょっと待て、お前ら!」
土方は後を追って走り出そうとしたが、コンビニの店員に腕を掴まれ、「お勘定」と言われ立ち止まった。
「あ、はい。もちろん。もちろん払います。あ、これも一緒に。Suicaで」
店を出ると、二匹の猫はまだそこにいた。
猫が手に物を持って、後ろ足で立ち上がっている図というのは、何かのキャラクターならかわいいものだが、 実際に目の当たりにすると、少し気味が悪い。
さすがにこの二匹と連れだって歩くのは、絵的にシュールすぎる。
土方は「おい」と促し、二匹の持ち物を自分の袋に入れさせた。
土方は、シュークリームとざるぞばをむさぼり食う二匹を、目の前でじっと見ていた。
二匹の猫がベンチに乗り、人間の自分が地面に座っている。
猫と同じ目の高さで物を食うというこの不思議な構図に首を捻っていた。
土方は自分の弁当を突付きながら、猫に話しかけた。
「うまいか?」
猫たちはちらりと土方に目を向け、「ナァ」と鳴き、食事を続けた。
「そうか」
土方は箸を止め、シュークリームとざるそばという種類はともかく、がつがつと無心に食べる猫たちを見た。
そして、「猫も悪くないかもな」と、ぽつりとつぶやいた。
二匹は土方を見た。
「いや、今の暮らしが嫌だって訳じゃないぞ。ガラは悪ィがみんな良い奴だ。 仕事だって、やりがいはあるし。そりゃ市民に好かれちゃいねェってのはわかってるよ。 だけど、だれかがやらなきゃなんねェことだ。嫌われたって、俺はやるさ。――でもなァ…俺、疲れてんのかなァ…」
土方はふぅ、と大きなため息を付いた。
「近藤さんは女のケツ追いかけ回してばっかりだし、総悟は俺の命を狙ってばっかりだし。 石段で転んだ時だって、近藤さんが溜めた書類を徹夜で仕上げた後で、俺、一睡もしてなくてよォ、 しかもその前の晩は総悟がちょっかい掛けてきて、よく眠れなかったし…。 睡眠不足に過労が祟って、ちょっと足下がふらっと来たんだよ。 そしたら、総悟の野郎、『あ、何か足が滑ったァ』って、人のこと蹴り落とした挙げ句その隙に突入しやがって、 俺は放置だ。何なんだよ、この仕打ちは。その上、山崎と来たらミントンしかしやしねェし、原田はハゲだし。 あいつはスキンヘッドだって言い張ってるけど、あれ絶対ハゲだって。そうだろ?ハゲだよなァ」
溜めに溜めた愚痴を吐き出し土方は、ごん、とベンチに頭を乗せた。