Sunset
第1章 あの頃のふたり
「夏休みは長いんだ。どこかふたりで旅行へ行こうよ、ドラコ」
そう言いながらハリーは笑いかけてきた。
いつものあっけらかんとした、能天気な笑顔だ。
ドラコはテーブルを挟んで向かい合うように座ってむっつりとした顔で、相手をにらみつける。
「……夜にふくろうを飛ばして、「大切な用件があるんだ」と手紙を寄こしたから、わざわざ真夜中に来てやったというのに、まさかこれが「大切な用件」じゃないだろうな、ポッター?」
不機嫌に片方の眉だけ動かして、低く尋ねた。
「もちろん、これが今日の相談だよ。―――ねぇ、どこへ行く?」
手に持っていた旅行用のカタログをドサリと広げた。
「僕のオススメとしてはこのコーンウォール地方なんかがいいかなー。夏は涼しくていいらしいよ」
「そこは避暑で、毎年家族で行っている場所だ」
「……そっかぁー。じゃあ、デボン州は?海辺の町で海風が気持ちいいし、船に乗ったり、海岸で泳いだりもできると思うけど、―――どう?」
「そこも何度も行った。もう僕に尋ねるな。そんな観光地のほとんどは、何度も行ったことがあるから珍しくもない」
「ふぅー……。これだから、お金持ちのボンボンは困るんだよ。全くわがままなんだから」
ハリーは大げさにため息をついて肩をすくめる。
「―――じゃあ、いっそのこと、マグルの世界へ行ってみる?フランスがいいと思うよ。結構ここから近いし。君は絵画を見るのが好きだろ?マグルの絵は動かないけど、本当に美術館が多くて、芸術的な画家の作品がたくさんあるから、きっと気に入るさ」
色鮮やかなパンフレットを差し出す。
そこには「格安!夏のパリ5日間の旅」とか、書いてある。
ドラコは珍しそうにそれを見て頭を傾げた。
「……確かに絵画ツアーは面白そうだが、この「格安」っていうのは何でだ?」
「ああ、夏場のパリはね、ものすごく暑いんだ。蒸し風呂だよ。だから、わざわざそんな夏場にパリに行く人は少ないから、格安になるんだよ。しかもパリの人は避暑に出かけているから、街も閑散としていて、いろんな美術館に並ばずに入れて、いいと思うよ。オススメコースだっ!」
「……なんでそんな暑苦しいところへ、この僕が行かなきゃならないんだ。いやだねっ!」
フンと鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
「じゃあ、これは!これなんかどう?クジラを間近で見れるツアーは?」
次々とハリーはドラコの前にパンフレットを差し出す。
「魅惑のバリ」「ヒーリング体験、イルカと泳ごう」「アルプストレッキングツアー」だの、挙句の果てには「おふたりの甘いハネムーン。ロマンチックなハワイ7日間」だの、訳の分からないパンフレットが、ドラコの前に広がっている。
ドラコは呆れながら、それを見ていた。
動かないマグルの写真はいつ見ても、その瞬間の時間を切り取ったように見えて、ひどく不思議な気持ちになる。
普通に動いている写真はとても柔らかい印象なのに、この切り取られた画像は、時々一瞬の真実を写していてハッとさせられた。
──もし永遠というものがあるのならば、この中にあるのかもしれないと、ドラコは思う。
魔法界は世界中に広がってはいるが、そんなにネットワーク化されていないので、魔法使いの彼らは生涯、自分の生まれた国から出ることはまれだ。
国内移動ならば簡単に出来るが、海外となると俄然話がややこしくなってくる。
ドラコは国内のほとんどの地方を旅行で訪れたことがあったが、まだ国外へは行ったことがなかったので少しは興味もあったが、ややこしい手続きをしてまではわざわざ望んで行こうとは思っていなかった。
見たことがない服装をしている人や、読めない四角い文字が綴られた看板がぎっしりと並ぶ不思議な町並み。
路地にごった返す人波、光の渦のような輝く摩天楼など、色鮮やかな写真を興味深げに見つめていた。
「―――この信じられないくらい、大きな夕焼けはすごいな!」
ドラコは驚いた顔で、その中の一枚の写真を指差す。
「ああ、フィジーだね。南の島だよ。小さい島だけど、海岸線に何も遮るものがないし、赤道直下だから、真っ直ぐ水平線に落ちていく夕日は、大きくて本当にこんなに美しいんだろうね」
ハリーはにっこり笑った。
「どう、行ってみる、ドラコ?」
「―――いや、いい」
「マグルのお金なら心配しないで。親の遺産を換金して、なんとかっ!」
「バカか、お前!!」
ドラコは思い切り相手の頭をはたいた。
「ご両親は君のことを思って遺してくださったのだぞ。もっと有意義に使うことがあるだろ。それをこんな下らないことのために無駄遣いなどするな、まったくっ!」
「僕にとったら、全然無駄遣いじゃないのにな………」
ぶつぶつハリーは文句を言った。
「ドラコ、飛行機は乗れる?」
「聞いたことはあるが、乗ったことはない」
「実は僕も乗ったことがないけど、ヨーロッパ以外の国へ行くときはこれに乗らなきゃ移動できないよ。しかもこのフィジーへ行くには、多分10時間以上は飛行機の中で、じっとシートに座ってなけりゃいけないんだ」
「10時間も椅子に座りっぱなし?!―――信じられない」
ポートキーやフルーパウダーに慣れているドラコは、呆れた顔で首を振った。
「なんて、ひどい移動環境なんだ」
「魔法が使えないんだから仕方ないよ。―――ねえ、それよりも早く決めてよ」
ハリーはぐいぐい相手に、パンフレットやガイドブックの山を押し付ける。
「なに焦っているんだ、君は?」
「早くしなきゃ終ってしまうから、夏が!」
「―――夏が終る?まだ始まってもいないと思うけど?夏休みまで、1ヶ月以上あるじゃないか。学年末試験も済んでいないというのに、まったく!お気楽な君の頭の中では、もうサマーバカンスがはじまっているのか?いい気なもんだな、ハリー」
「だって、時間がない」
「旅行の申し込みの締め切りとかがか?」
「………いや、そうじゃない」
ハリーは頭を振って、相手をじっと見た。
深い緑の瞳はせつなそうに相手の顔ばかり見ている。
「―――そうか、僕たちの時間か」
ドラコは少しだけ笑うと、肩をすくめて視線を下に落とした。
ハリーはたまらず立ち上がると相手に近寄り、大きく腕を広げてぎゅっとドラコを抱きしめる。
その柔らかな金糸の髪に顔をうずめて、切羽詰った声でささやいた。
「今度の夏休みが終ると、君は本当に学校へ戻ってくるの?」
ドラコは何も答えない。
「もう本当は夏のあいだ、君を放したくない。ずっと独占していっしょにいたいんだ。いろんな場所へ出かけたり食事をしたり、ずっと君と過ごしたいんだ」
「―――最後の思い出作りか、ハリー……」
「ちがう!どうして、君はそんなことばかり言うの!!」
ハリーはドラコのほほを両手で包むと、ゆっくりとキスをする。
重ねてみるとひどくドラコの唇が乾いて、荒れていることに気づいた。
舌先でそれを癒すようにやさしく舐める。
「どれくらい、この形のいい唇を噛んだの?何か苦しいことがあったの?悩んでいることがあるの?いつも君は何もかも自分ひとりで抱え込んで、僕にひとつも教えてくれやしない」
「お前なんかに、話すことなどなにもない」
ドラコの冷たくて固い声はどこか震えていた。