2人の距離
2人の距離
何かの音が鳴っている。
ハッと目を覚まし辺りを見回す。よく見知った天井と部屋の中だ。
己の状況を確認する。
どうやら昨日シャワーを浴びてそのままソファで眠ってしまったらしい。酷い格好だった。
そんな事をぼんやり考えている間も音は鳴り続けている。そうしてやたらと携帯が鳴っている事に漸く気がついた。
休暇中は切っている筈なのに―――――ああそうか、シャムロックにだけプライベート用の携帯ナンバーを教えたんだった、と思い出して。
この音は祖母の為にと習得したナンバーの着信音。もう鳴る事は無い。それなのに鳴ったから驚いて飛び起きた。
再びそんな考えに没頭している間も携帯は鳴っている。仕方なくタリズマンは携帯の通話ボタンを押した。
「はい、」
「やっと出たか!」
寝起きに怒声はあんまりだと思う。
思わず携帯を少し耳から離してしまった。
「おはよう、どうしたんだ?」
「どうしたも何も。今日は僕の家に昼食を食べに来ると言ったのはきみだろう? 作って待っていたのに、今何時だと思ってるんだ?」
言われて時計を見る。
祖母が愛していた古い時計は夕方になろうかという15時半だ。・・・・これは物凄い遅刻。今から用意をしてシャムロックの家に向かえばまるで夜である。
「すまない、今起きた」
「いい。何かあったのかと心配したよ。夕食にシフトしようか?」
「あ、いや・・・その・・・」
約束をしたのは今シャムロックが住んでいる家の近辺に用事があったから。そして昼と指定したのもその時間でないといけないから。
「どうした?」
何かを悟ったらしい、携帯の向こうのシャムロックの声が一段優しくなる。それを感じ取ってタリズマンは小さく息を吐いた。その音が聞こえないように。
「夜は駄目なんだ」
断ると暫く間が空いてから「わかったよ。じゃあまた今度」と通話は切れてしまった。
自分から声をかけて、遅刻しておいて、相手の誘いを断るなんて最低だな。
タリズマンは誰もいない家の中を見渡す。
慣れたと思っても、中々。
今頃シャムロックも寂しい思いをしているのだろうか。彼も家族を大切にしていた。こういう時こそ傍にいるべきなのに、けれど今日は無理だ。
「さて、用意するか」
独りごちてタリズマンは立ちあがった。
※※※
「ははーん? 振られたんだろ」
後ろから聞こえるアバランチの声が酷く腹立たしい。
電話を切って溜息を突いている様子に、結果どうなったのかぐらい誰でも解かるというのだが・・・否定はできない。
彼は突然シャムロックの家に押しかけて居座っている訳だが、止めても無駄なのでタリズマンと食べる予定だった昼食はアバランチの腹におさまりつつある。
「・・・声が沈んでたんだけど、何かあったのかな」
「じゃあそう聞いてやれば良かったんじゃねえか」
「聞ける雰囲気じゃなかったぞ」
「お前がそうやって遠慮するから、あいつも言いだせないんじゃないか?」
ごちそうさん、とアバランチは食べ終えてしまった。
シャムロックの料理の腕は中々だ。かつては家族サービスが趣味の1つだったらしい彼は、家に戻ればもちろん家事もこなしていたらしい。
アバランチは僅かに目を細める。
もし、その対象をタリズマンに替えただけだというのなら、酷な事だと思いながら。
「何か知ってる風に聞こえるんだけどね?」
タリズマンが夜は駄目だと言った事について。
シャムロックが聞き返すと、アバランチは肩を竦める。
普段人懐こく仲間を大切にするタリズマンだが、意外と己の事は何も話さない。付き合いの長いアバランチでさえ、行動を見知って漸く気付いたぐらいだ。
さて、それを教えてやるべきだろうか?
いくらガルーダ隊が”仲良し”だとしても、それでも伝えていない事を。
もしかしたらタリズマンも気付いているのだろうか。シャムロックの行動の原因になっているものが。
・・・考えすぎか。
「そういう事は本人から聞け・・・と言いたい所だが、そうだな教えてやろう」
どうだ感謝しろよ? 貸しにしといてやるぜ?
アバランチはニカッと悪気の無い笑みを浮かべた。
※※※
家の片づけは済んだ。掃除した。
時計を見ると21時。そろそろ腹が減る。
オーブンから良い匂いが漂って来た。ミートパイは上手く焼けたようだ。
祖母から直伝で教わったこれだけは自慢できる。・・・しかして自慢する相手はいない。
まあいい。いつものことだ。
食事の準備をしていざ食べようとした時だった。
ジリリリリ!
家のチャイムが鳴る。
それも、何度も何度も。
最初こそ無視していたタリズマンだったが、流石にイライラし始めたので玄関まで出向いた。一体誰だこんな夜に!
「誰だ、」
と声をかけると同時に、
「タリズマン!」
扉の向こうから聞き知った声がするではないか。
驚いて扉を開ける。するとその通りの人物がいた。
「え・・・は?」
「酷いじゃないか、きみはどうして何でもかんでも秘密にしてしまうんだ?」
「ひみつ?」
「今日が誕生日だったって、言ってくれたら良かったのに!」
怒るシャムロックにタリズマンはそれこそ驚いて、その後腹を抱えて笑いだした。「ああ、そんなことをシャムロックに吹き込んだのはアバランチだな?」と言いながら。
「確かに今日は誕生日だ。ただし、祖母の」
まあ入ってくれとタリズマンはシャムロックを中へと促した。
「・・・お祖母さんの?」
騙された。
シャムロックは頭を抱え込む。
「毎年この日は休暇を取っててね。アバランチはそれを知ってるんだろう。今年も取らないといけない気がして、つい休暇願を出してしまったんだが、どうしたものかと思ってた所だ」
「そうだったのか」
「・・・昼の詫びじゃないが、夕食、食べていくか?」
玄関先ではあったが、奥の部屋から良い匂いが漂ってきていた。
シャムロックはああと頷いた。
「随分古い家だね」
食事をしながらシャムロックが言った。
タリズマンも頷く。祖父母が結婚したときに買った家なのだと。
その通り木造の古い家だった。少し進めば近代的なマンションが立ち並ぶ住宅街ある。開発が進むグレースメリアの古い歴史を残す一角だ。
「雨漏りが酷いんだ。何度修理してもあっちこっちと」
そろそろリフォームすべきかな。
けれどそこでタリズマンの言葉は途切れる。その気持ちがシャムロックには痛いほど理解できた。
ここは思い出なのだ。
家族との思い出。繋がり。だから変えたくない。
家も家族も失ってしまったシャムロックには、痛いほど解かった。
けれど思い出だけがこうした形で残っているタリズマンの心境はどうしたものだろうか?
たった1人でこの場所に佇んでいた彼の気持ちは?
「シャムロック、そんな顔しないでくれ。もう大丈夫なんだ」
散々泣いたから。
「タリズマン、僕は、」
「できることとできないことは沢山ある。そして一度にあれもこれもできはしない。1つ1つでいい。俺も・・・それを実践している」
「いつも思うんだが」
シャムロックは馳走になっているミートパイを食べながら呟いた。