コーヒーブレイク
横から覆いかぶさる赤林から逃れようと、ドアに取りつく。当然ながらロックがかかっていて、舌打ちをする。と、手をかけた上のスモークガラスの向こう、見慣れた金髪のバーテン服が、路地を抜けてこちらへと歩いてくるのが見えた。
「赤林さん」
警告を込めて呼んだのは紳士で優秀で表向きな運転手だった。
「何だよ良いとこなんだけど」
「すみません、ですが」
運転手も、まっすぐ近づいてくる静雄に気付いたのだろう。
赤林は視線を上げ、ふん、と鼻を鳴らす。
「外からは見えないよ。あのサングラスはスモーク中和する機能でもついてるってのかい」
「サングラスは普通のだけど」
赤林が引っ張ったせいで少し伸びた襟ぐりを正す。手にしていた缶コーヒーが足元に転がっていた。中身がこぼれて、赤林のスラックスに染みを作っているが、本人は気づいているのか、気にしていないのか。
車のすぐそばに立った静雄はためらうことなく、後部座席のドアに手をかけた。
「え」
「ロック、外した方が。って、もう遅いか」
めき、と異様な音がした。
ばき、めり、どご、ずずん。
最後のは、車体から外れたドアが地面に落ちる音。
「お待たせしました、トムさん」
防音とスモークガラスを無効化されて、静雄の声が届く。
外れたドアを倒して、両手で上部を掴み、中を覗き込んだ静雄は、赤林を認めてぎろりと睨みつける。
「あららら。借り物なのに・・・」
「家族旅行に行かれたんでしょ?帰ってくるまでに直せばいいじゃないですか」
「簡単に言うけど、ベンツって高いんだよ」
運転手は携帯電話を取り出して、どこかへ連絡をしている様子だった。多分JAFだろう。
はいはい、とおざなりに返事をして、静雄の体を押しやって車の外へと出る。
やはり暑い。
「被害状況は?」
短く問うと、静雄はぐ、と俯いた。
それから小さな声で、ぼそぼそと単語を呟く。
「マンホール、標識2本、ガードレール、自販機」
「ベンツのドアも入れてよ」
風通しのよくなった車内で、赤林が情けなそうにぼやく。
「ヤクザでも消費経済に参加していいんですよ」
たとえば高い車を修理に出すとかして。
「なんでわかっちゃったのかねぇ。喧嘩に夢中で気づかないと思ったんだけど、トムが乗り込むの、見えた?」
自分に尋ねられたとは思っていないのだろう、静雄はまだ地味に反省中だ。暫くはそうしているといい。
代わりに答えてやる。
「見てないと思いますよ。だけどこいつにはセンサーついてるらしいんで。俺がどこにいてもわかるんです」
「・・・・・・何それ、ノロケ?」
「そうですよ」
言い切ると、赤林はため息をついた。やってられない、と言いたげだ。
ちょいちょい、と指で呼ぶ仕草に、車内をうかがうと、腕を引かれた。
「トムさん!」
後ろで静雄が叫ぶ。耳元に、赤林が囁く。
「今度誘う時は、ブラックを用意しておくよ」
に、と口端を上げた笑みとともに、腕はすぐ放された。
「・・・どうも」
ドアを落としたまま発進させるわけにも行かないだろうし、ここはこちらから去るべきだろう。いきり立つ静雄を宥めて、被害現場の方へ向かう。
「トムさん、大丈夫でしたか、何もされませんでした?」
車とこちらを交互に伺いながら、半歩遅れて静雄がついてくる。
「されてねぇよ。むしろ俺のが加害者だよ、今のは」
どうせわからないだろうけど、と内心呟くと、案の定鈍い静雄は、「さすがっす、トムさん」などとサングラスの向こうで目をキラキラさせている。
あーあ、とため息を零す。
いくら他人にノロケてみたところで、相手がこうでは。
「まぁいいや。静雄、帰ったらたっぷりお仕置きしてやるからなー」
惨憺たる被害現場(もちろん当然のように、情報屋の姿は無い。無惨な死体でも晒されていれば少しは胸のすく思いができただろうが、それでは静雄が殺人犯だ)を見渡してそう宣言すると、静雄は端正な顔をひきつらせて、情けない声で謝罪をくりかえした。
その頬に赤みがさしているので、お仕置きの意味はわかっているらしい。ひひひ、とわざとらしく笑うと、小さく「トムさんのスケベ」と言ってくる。べつに否定しないけど、お前もな!と言いたい。
横倒しだった自販機は、ぼろぼろの体だったが一応縦に戻っていた。電気が通っていることを確認して、ポケットから小銭を取り出す。
面倒な仕事を再開する前に、コーヒーを飲み直すことにする。