太陽の唄
暗闇。
つらくて、苦しくて、何も見えない。
確かに、自分は今ここで生きているはずなのに。
それを確かめるために見つめた手のひら。指先から、少しづつ闇に融け始める。
悲鳴を上げた。
目を開けると、だいぶ見慣れた天井が映る。否、天井というよりも、配線の走ったコックピットのシートの頭上。毛布を挟んでいても、片方にかかる一方の自分の重みで、右肩が痺れていた。電源の落とされた室内は、非常灯の微かな灯りでかろうじて様子がわかる。
「…また…」
ため息をついて、額に浮かんだ汗をぬぐう。いやな汗を、全身にかいていた。体がひどく重く感じられて、居心地が悪い。
差し伸べられた手は、振り払ってしまった。軟らかな、暖かい手。たとえその思惑が別にあったとしても、それに縋っていなければ立っていられないほど、不安定だった自分。人が、信じられなくなっている自分。
目を閉じるたびに襲われる悪夢と、向けられる視線。
「…僕は、何がしたいんだろう…」
微かな呟きに、シートの片隅にいた鳥が答えるように鳴いた。
いつものようにコックピットを開けて、おやおや、とため息をついた。
無造作に畳まれた毛布と、シートの脇に転がっている飲料パックの残骸。八つ当たりのように握りつぶされたそれらを拾ってごみ袋に放り込みながら、それでも計器の類いがきれいに清掃されているのを見て苦笑する。
「…何がしたいんだか…」
あの位の年は難しいねぇ、と言ってシステムの電源を入れた。
「…あのぅ」
控えめに後ろからかけられた声に振り向くと、メガネをかけたさっきまでの文句の対象になっていた少年の友人が立っている。
「キラ、ここにいませんでしたか?」
さぁて、といってからついでとばかりに持っていたごみと毛布を押し付ける。
「いたみたいだけどな。丁度いいからこれ持ってってくれよ…それから、ここで泊まるなって、見かけたら言っといてくれ。」
こう、毎日じゃこっちの士気が下がるっての、と呟きながら足元にあった端末を開く。
「ちゃんと寝るところあるだろうに、そこまでこいつに拘ってるのかねぇ。」
すいません、と俯いたまま少年は苦笑した。
「ちゃんと、伝えます。…でも、あいつも、いろいろあるみたいだから。」
あいつのこと、お願いしますと頭を下げて、少年はタラップを蹴った。
その後姿を見送りながら、言う相手が違うんじゃあ、とつぶやいたところで苦笑する。
「…おまえらのほうが、よっぽど近くにいるんじゃないのかね?」
やっぱり、とため息をついて片手に持った毛布を見つめる。
「キラ、部屋に戻りたくないのか…。」
ここ数日、それとなく避けられていることは気づいていた。自分だけでなく、ほかの友人たちも同様だ。
居住区には、自分たちのほかに保護された民間人がいる。形式的に軍服を着ている自分たちとは多少離れているとはいえ、やはり落ち着かないのだろうか。それとも。
「…俺たちは、拘ってないぞ…。」
ラクス・クラインといるときに見せた笑顔。
ヘリオポリスにいたころと変わらない、やわらかな笑顔。いつから、自分たちには見せてくれなくなっただろう。
彼女といたときだけ、ほんの少し安堵したような表情を見せて。
同じコーディネーターだからか、親友を知るものだからか。
「…俺たちだって、友達だよな…?」
キラのことを、優しいと言ったラクス。それゆえに、自分たちにも気を遣っているのか。
主のいないベッドに毛布をおいて、繰り返す。
「…信じてるからな、キラ。」
だから、戻ってこいよ。
薄暗い通路の、窓の向こうに広がる漆黒の宇宙。
ひどく情けない顔をした自分が窓に映っていた。
緩やかに漂う自分。その、視線の先。広い宇宙を挟んで、向かい合う親友。
戦う必要があるのか、と叫んだ親友に答えることができなかった。戦争なんかしたくない、けれど、そう問われればそれを否定することもできない。
「…どうして…」
こんなことになってしまったんだろう。
自分は、自分たちは中立国の学生で、戦争していることは知っていても関係ないと思っていた。いきなり放り出された戦場で、親友に銃を向けるなんて思ってもみなかった。
アスランは親友で、大切だ。
この艦に乗っている、ヘリオポリスの友達も大切だ。
どれかひとつなんて選べない。
たとえば、今ここで逃げ出したら楽になるだろうか。救命ポッドに乗って、脱出するだけですむ。そんなに簡単なことなのに、そうしようとは思わない。戦いたくないと思いながら、ストライクに乗ることを拒めない。
「…君は、何を思っているんだろう…な。」
互いに敵として対峙した時の、泣きそうに歪んだ顔を思い出す。
冷たいガラスに頭を預けて、目を閉じる。
助けて、と声にならない呟きが虚空を漂った。
「…いや、ちょっと俺に言われても…本人に言ったほうがいいんじゃあ…」
いつものように機体の状態をチェックするために格納庫に入るなり、整備士に囲まれた。彼らは口々にストライクのパイロット、キラについて、多少無茶とも言える要求やら文句やらを言い出した。
曰く、調整を勝手にするな、夜中に格納庫をうろうろするな、整備時にはコクピットに待機してくれ、テストに協力してくれ、ストライクに泊まるな…などなど。
ろくにテストもしていない機体なだけに、戦闘データのみならずいろいろ試してみたいことがあるのだという。
それは判る。けれど自分に言うのは何かが間違ってはいないか。
「それはわかってます。でも、あの子に面と向かって話が出来るのは艦長と主任と大尉ぐらいですよ。」
主任、というのはマードック軍曹のことだろう。確かに彼ならキラにも屈託なく話し掛ける。
「だったら軍曹にそう言えばいいだろうに…」
ため息混じりにそう言うと、彼らはとんでもない、と口を揃えて言った。
「ただでさえ主任はほとんど一人で船の整備まで気を回してるんですから。」
「とてもそんなことまで頼めませんよ。」
そんなこと、ね。
明後日のほうを向いて少々呆れた。
「…つまりおまえさんたちには、俺が一番暇そうに見えると?」
そう言うと、整備士達は一瞬ひるんだ。
「…戦闘時は頼りにしてますよ!」
多少見当違いなフォローを入れた声に同調するように頷く。
「…それに、あの子はなんと言うか、壁を作っているように見えます。」
だから、我々には声を掛け辛いのかもしれません、と誰かが言った。
そうか、と呟いて頷く。
「…まあ、見かけたらそれとなく言っておく。」
渋々、といった表情が出ていたかもしれないが、彼らは一様に有り難うございますと頭を下げる。
「大尉は人タラシだって主任が言ってましたから。」
「それにあの子見つけるの巧いし。」
口々に好きなことを言いながら整備士達は散っていった。タラップのほうから聞こえた主任の怒鳴り声に慌てた様子もなく、それぞれの仕事に戻る。
「…なんて言ってるんだよ軍曹…。」
つらくて、苦しくて、何も見えない。
確かに、自分は今ここで生きているはずなのに。
それを確かめるために見つめた手のひら。指先から、少しづつ闇に融け始める。
悲鳴を上げた。
目を開けると、だいぶ見慣れた天井が映る。否、天井というよりも、配線の走ったコックピットのシートの頭上。毛布を挟んでいても、片方にかかる一方の自分の重みで、右肩が痺れていた。電源の落とされた室内は、非常灯の微かな灯りでかろうじて様子がわかる。
「…また…」
ため息をついて、額に浮かんだ汗をぬぐう。いやな汗を、全身にかいていた。体がひどく重く感じられて、居心地が悪い。
差し伸べられた手は、振り払ってしまった。軟らかな、暖かい手。たとえその思惑が別にあったとしても、それに縋っていなければ立っていられないほど、不安定だった自分。人が、信じられなくなっている自分。
目を閉じるたびに襲われる悪夢と、向けられる視線。
「…僕は、何がしたいんだろう…」
微かな呟きに、シートの片隅にいた鳥が答えるように鳴いた。
いつものようにコックピットを開けて、おやおや、とため息をついた。
無造作に畳まれた毛布と、シートの脇に転がっている飲料パックの残骸。八つ当たりのように握りつぶされたそれらを拾ってごみ袋に放り込みながら、それでも計器の類いがきれいに清掃されているのを見て苦笑する。
「…何がしたいんだか…」
あの位の年は難しいねぇ、と言ってシステムの電源を入れた。
「…あのぅ」
控えめに後ろからかけられた声に振り向くと、メガネをかけたさっきまでの文句の対象になっていた少年の友人が立っている。
「キラ、ここにいませんでしたか?」
さぁて、といってからついでとばかりに持っていたごみと毛布を押し付ける。
「いたみたいだけどな。丁度いいからこれ持ってってくれよ…それから、ここで泊まるなって、見かけたら言っといてくれ。」
こう、毎日じゃこっちの士気が下がるっての、と呟きながら足元にあった端末を開く。
「ちゃんと寝るところあるだろうに、そこまでこいつに拘ってるのかねぇ。」
すいません、と俯いたまま少年は苦笑した。
「ちゃんと、伝えます。…でも、あいつも、いろいろあるみたいだから。」
あいつのこと、お願いしますと頭を下げて、少年はタラップを蹴った。
その後姿を見送りながら、言う相手が違うんじゃあ、とつぶやいたところで苦笑する。
「…おまえらのほうが、よっぽど近くにいるんじゃないのかね?」
やっぱり、とため息をついて片手に持った毛布を見つめる。
「キラ、部屋に戻りたくないのか…。」
ここ数日、それとなく避けられていることは気づいていた。自分だけでなく、ほかの友人たちも同様だ。
居住区には、自分たちのほかに保護された民間人がいる。形式的に軍服を着ている自分たちとは多少離れているとはいえ、やはり落ち着かないのだろうか。それとも。
「…俺たちは、拘ってないぞ…。」
ラクス・クラインといるときに見せた笑顔。
ヘリオポリスにいたころと変わらない、やわらかな笑顔。いつから、自分たちには見せてくれなくなっただろう。
彼女といたときだけ、ほんの少し安堵したような表情を見せて。
同じコーディネーターだからか、親友を知るものだからか。
「…俺たちだって、友達だよな…?」
キラのことを、優しいと言ったラクス。それゆえに、自分たちにも気を遣っているのか。
主のいないベッドに毛布をおいて、繰り返す。
「…信じてるからな、キラ。」
だから、戻ってこいよ。
薄暗い通路の、窓の向こうに広がる漆黒の宇宙。
ひどく情けない顔をした自分が窓に映っていた。
緩やかに漂う自分。その、視線の先。広い宇宙を挟んで、向かい合う親友。
戦う必要があるのか、と叫んだ親友に答えることができなかった。戦争なんかしたくない、けれど、そう問われればそれを否定することもできない。
「…どうして…」
こんなことになってしまったんだろう。
自分は、自分たちは中立国の学生で、戦争していることは知っていても関係ないと思っていた。いきなり放り出された戦場で、親友に銃を向けるなんて思ってもみなかった。
アスランは親友で、大切だ。
この艦に乗っている、ヘリオポリスの友達も大切だ。
どれかひとつなんて選べない。
たとえば、今ここで逃げ出したら楽になるだろうか。救命ポッドに乗って、脱出するだけですむ。そんなに簡単なことなのに、そうしようとは思わない。戦いたくないと思いながら、ストライクに乗ることを拒めない。
「…君は、何を思っているんだろう…な。」
互いに敵として対峙した時の、泣きそうに歪んだ顔を思い出す。
冷たいガラスに頭を預けて、目を閉じる。
助けて、と声にならない呟きが虚空を漂った。
「…いや、ちょっと俺に言われても…本人に言ったほうがいいんじゃあ…」
いつものように機体の状態をチェックするために格納庫に入るなり、整備士に囲まれた。彼らは口々にストライクのパイロット、キラについて、多少無茶とも言える要求やら文句やらを言い出した。
曰く、調整を勝手にするな、夜中に格納庫をうろうろするな、整備時にはコクピットに待機してくれ、テストに協力してくれ、ストライクに泊まるな…などなど。
ろくにテストもしていない機体なだけに、戦闘データのみならずいろいろ試してみたいことがあるのだという。
それは判る。けれど自分に言うのは何かが間違ってはいないか。
「それはわかってます。でも、あの子に面と向かって話が出来るのは艦長と主任と大尉ぐらいですよ。」
主任、というのはマードック軍曹のことだろう。確かに彼ならキラにも屈託なく話し掛ける。
「だったら軍曹にそう言えばいいだろうに…」
ため息混じりにそう言うと、彼らはとんでもない、と口を揃えて言った。
「ただでさえ主任はほとんど一人で船の整備まで気を回してるんですから。」
「とてもそんなことまで頼めませんよ。」
そんなこと、ね。
明後日のほうを向いて少々呆れた。
「…つまりおまえさんたちには、俺が一番暇そうに見えると?」
そう言うと、整備士達は一瞬ひるんだ。
「…戦闘時は頼りにしてますよ!」
多少見当違いなフォローを入れた声に同調するように頷く。
「…それに、あの子はなんと言うか、壁を作っているように見えます。」
だから、我々には声を掛け辛いのかもしれません、と誰かが言った。
そうか、と呟いて頷く。
「…まあ、見かけたらそれとなく言っておく。」
渋々、といった表情が出ていたかもしれないが、彼らは一様に有り難うございますと頭を下げる。
「大尉は人タラシだって主任が言ってましたから。」
「それにあの子見つけるの巧いし。」
口々に好きなことを言いながら整備士達は散っていった。タラップのほうから聞こえた主任の怒鳴り声に慌てた様子もなく、それぞれの仕事に戻る。
「…なんて言ってるんだよ軍曹…。」