太陽の唄
それだけでひどく疲労感が襲った。ようやく自分の機体にまで辿り着くと、日常点検の項目にチェックを入れながら時折ストライクに視線を移す。いつもならいるはずの小柄な姿はなく、何人かの技術者たちが周りをうろついているだけだった。
「どうですか大尉、調子は?」
頭の上から降ってきた声に、盛大にため息をついた。
「…本日も完璧です。が、連中に何て言ってるんだよ、俺のこと。」
軽く伸びをして、シートから立ち上がりながら言った。
「…何のことですかね。」
とぼけた様子に、こいつも食えねぇやつだな、と苦笑する。
「…あいつ、ストライクに泊まってるっての、本当か?」
先ほどの整備士達が言った言葉の中に、引っかかることがあった。
ストライクに泊まるな。
つまり、あの中で寝泊りするな、ということだ。
ううん、といって整備主任は少し難しい顔をした。
「多分、ここの所毎日、でしょうね。それに、私らがここに来る頃にはもういないんですよ。確認はしてませんが、痕跡があるってのは確かですよ。」
困ったやつですね、と苦笑する。
「…ふうん…やっぱりそうなるか…」
友人たちとも最近、距離を置いている。それが傍目に見ても判るくらいだから、彼らはもっとはっきりと感じているだろう。それ以外にも、ろくに人と会話している姿を見かけない。
人質解放の件で、避難民の一部からだいぶ非難が出ていることも知っている。元々好き好んで彼らと友好を深めようとも思っていないはずだから今更だけれど、キラに対してあからさまに突っかかろうとするものも少なくない。そういう輩を避けて、今までは格納庫の隅でストライクを見ていることの多かった少年が、最近はここにも姿を見せない。
「どちらにしろ、あんまりよくないですよ。こいつは最高機密だし、今は軍人扱いでもぼうずは民間人ですからね。」
今更、ただの民間人、というのもおかしい気もするけれど、それは事実だ。
「…仕方ないな、あいつ最近ほかの友達とも距離置きたがってるし。部屋、一緒だと居辛いんじゃないか?」
壁作ってるって、さっきあいつらに言われたよとため息混じりにいうと、仕方ないですねぇと返ってきた。
「この戦争の、根っこみたいなものですよ私らとあの子は。」
だからこそ大尉に頼むんです、と言って笑う。
「多分、一番近くで見てるんですから。」
少女は、大人たちが寄り集まって何か話しているところをずっと見ていた。
まだ幼い彼女には、話の内容は解らない。けれど、大人たちがひどく恐い顔をしていることはわかった。顔をそむけて、母親にしがみつく。
恐い事が起きる、それだけしかわからなかった。
どうしてこう、あいつ見つけるの巧いんだろうな。
あまり人気のない、通路の片隅。大きく窓の採られた、艦の最後尾近く。窓に額を押し付けて、きつく眉を寄せている小柄な姿。
その姿を見るのが嫌で、勤めて明るくキラ、と声を掛ける。その声に反応して、ゆっくりと目を開けたその表情に、微かな痛みを感じた。
泣きそうな瞳と、それすらも放棄するような諦め。
瞬きをする間にそれはいつもの少年の顔に戻る。
「…どう、したんですか、大尉?」
薄く微笑んですら見せる少年の問いかけに、眉を寄せた。
「…どうって…」
そんな顔をするくせに、自覚がないのだろうか。こんなところに一人でいるくせに、どうして笑みを浮かべることができるのか。
「…おまえ、最近部屋に戻ってないのか?」
軽くため息をつきながら聞くと、苦笑した。
「ああ…すみません、ちょっと…いろいろあって。」
部屋に戻るわけにいかないんです、といった少年はうつむいた。
「だからって…あんなせっまいところにいることないだろ。」
成長期なんだから、と続けて軽くキラの頭を撫でる。
「…そうか、どうせならこっち来るか?たくさん空いてるぞ、仕官ってのは少ないからな。俺の隣、使えるように艦長に頼んでやるから。」
仕官宿舎が欲しい、と軽口を叩いていた事を思い出して、言った。
反応を窺うように、俯いた顔を覗き込むと、少年はこらえきれずに吹き出した。
「…こら。」
真面目に言ってるんだぞ俺は、と言って肩を震わせる少年の額をつつく。
「すみません、でも…覚えててくれたんだなと思って。」
本当に嬉しいですよ、といって顔を上げた。
「…たった二、三日前の話だろ。まさかおまえがあそこに寝泊りしてるとは思わなかったからな。」
あきれたように言うと、それもそうですね、と言ってまた微笑んだ。
「…大尉は、僕のこと…怖くないんですか?」
不意にその口から漏れた言葉。無理をして微笑んだまま、問われた言葉は、その答えを聞くことに恐れすら抱いていることを感じさせる。
あまりにも難しい質問。今の自分たちにとって、確かにコーディネーターは脅威だった。だからと言って、目の前の少年が怖いか、と聞かれれば必ずしもそうではない。
「…よく、わかんねぇ、よ。」
そう、声を絞り出すのが精一杯だった。
そうですか、と呟いた少年の瞳が、揺れていた。
遺伝子いじって手に入れたものなのかな。
本人に自覚はなくとも、その言葉はコーディネーターである自分にとって、心の深いところを抉る様に響いた。それは、決して忘れることの出来ない衝撃。
戦争とは無関係の国で過ごした日々の中で、コーディネーターであるという事実はほとんど意味を成していなかった。あえてそれを口にする人すらいなかったのだから当然といえる。唐突に変わった世界の中で、友人たちもどこかが変わったように見える。それとも自分がひどく変わってしまったのか。
気付けば、距離を置いていた。くっきりと線でも引いてあるように、そこから先には踏み込めない。
自分のために心を砕いてくれていることは知っている。孤立しないように、気を使ってくれていることも。それでも、当たり前のように違いを口にする。
何も変わらない、と信じていたことが崩れていく。自分と、友人たちは違うということを認めなくてはいけないということを自覚した。
たった二週間ほど。それだけで、自分の中の何かが壊れていった。
「…遺伝子いじらなくても、戦争してるじゃないか…」
そう呟いて、ひざを抱いた。
相変わらず人気のない通路は、低くエンジンの唸る音だけが響いている。頼りなく足元だけを照らす明かりの他には、何もない。
つい先ほどまでそこにいた人は、ひどく優しく自分の頭を撫でてから行ってしまった。
「今日から、寝るところ作っておくからな。」
ちゃんと来いよ、と言い残していった。
気づくと、自分の中は灰色の嫌な気分で一杯だった。あの人と居る時だけは、不思議とそれが明るくなるような気がした。
「…フラガ、大尉…」
柔らかく、時に強い空気を持つひと。
「…あなたは、本当にそう言ってくれますか…」
自分が怖くないのか、と聞いたときの答え。柔らかな微笑。判らないと言いながら、変わらないと肯定してくれたひと。
その言葉を、信じてもいいですか。
何も信じられなくなってしまった自分の、たったひとつ、信じられること。
膝を抱える腕に、力が入った。
また涙があふれそうになって、目を閉じる。