パプリカ
本当は、ひとつくらいカッコ悪いところがあったってイイんだけど。
え、だってそうでしょう?
あのひと、悔しいくらいカッコイイんだもん。
これは惚気られている、と取ってもいいんだろうか。
夏も終わりに差し掛かったある日の午後、その人は唐突にそう言って、なにやら計画を練っている。ここはやはりもう少しツッコんでその理由を聞いて置くべきなんだろうか。
「………何が、カッコ悪いんです?」
ほんの少し逡巡したあと、そう聞いてみた。
「…えーと、言っても良いのかな…」
その年齢を裏切って時折見せる仕種は反則に近いだろう、と常々思っている。小首を傾げて、大きな瞳を瞬かせて。もちろん本人には言えないけれど。そんな心配だか嫉妬だか良く分からない事を考えている間にキラは小さく笑ってなにやら納得したように頷いた。
「うん、きっとあなたになら大丈夫。」
僕が喋ったって黙ってて下さいね、と前置きしてから、キラはとても不思議な事を言った。と言うより、あまりにも突拍子もないと言うか、イメージと掛け離れ過ぎていて、一瞬理解出来なかった。
「フラガ中佐、ピーマン嫌いなんです。」
だから克服してもらおうと思って、とその人は妙に張り切っている。その言葉を頭の中で反芻してようやく理解した時には、深く溜息を吐きながら大きく肩を落とした。
「…いや、それはおもしろ…いえ、誰にだって苦手なものくらいあるんじゃないですか?」
無理に克服させなくても、と続けるとキラは首を横に振る。
「だって僕は好きなのに、食材として使えないなんて寂しいじゃないですか。」
大体好き嫌いは良くないですよね、と言って微笑うキラの表情には、否定は許されない気がした。得体の知れない迫力が漂っているからだ。それに気圧されたように、そうですね、とうっかり呟いてしまった事を、彼は暫く経ってから後悔する事になる。なるけれど、この時はまだ知らないから、とても軽い気持ちでその単語を唇に乗せた。
「…それなら、パプリカ辺りで試してみたらどうです?」
パプリカ、と鸚鵡返しに呟いたキラはそれは良いかも、と言って笑みを浮かべる。
「うん、それじゃあ試してみます。」
良いアドバイスを有り難う、と言って執務室を出て行ったキラの背中を見送って、残された副官には大きな脱力感が襲い掛かる。
「…他に悩むところないのか…」
そのくらい、平和なのだと言う事だ。
パプリカ。赤や黄色、オレンジといったカラフルで巨大なピーマン達。形こそピーマンそっくりだけれど、あの野菜特有の苦味や青臭さが極端に少ない為、サラダやマリネなどの生食に向いている。甘味が強く、ピーマンが嫌い、と言う人達でもその形が判らなければ比較的抵抗なく食べる事が出来る、らしい。
仮定形なのは、キラにとってピーマンが嫌い、と言う人達の気持ちが分からないからだ。最初から自分は平気なものを、嫌いだと言う他人の気持ちを組み取る事はとても難しい。
例によって、頻繁に利用する郊外のショッピングセンターに来ていたキラは、野菜売り場の一角に山と詰まれたカラフルで巨大なピーマンを睨んでいた。すっかり通っている形になっている為、今更何を買って来ようともフラガはなにも言わない。冷蔵庫に詰まっている食材の殆ど全て、キラがこうして週末ごとに補充しているからだ。なにも言わない、とは言え、自分の嫌いなものが山ほど詰まった冷蔵庫を見たら、真面目になにか仕返しされそうで嫌だ。
「…と、りあえず…三個くらいかなあ…?」
色の違うパプリカを籠に放り込み、キラは何処かうきうきとした気分で店を後にする。肩にかかったデイパックには、しっかりと新しい料理テキストが詰まっていた。
そう、なんとかしようとは思っている。思うだけで中々進まないのが大人の大人たるところだ。誰かに好き嫌いは良くないと言われる事がないから、嫌いなものは最初から目に入れなければ良い。食事の仕度も自分でするなら、それを使わなければいいだけの話だ。
ところが少しばかり事情が変わった。見掛けからは想像もつかないけれど、とてもしっかりした腕の良い専属コックが週末ごとにその腕を振るってくれる。そこまではとても幸せな光景だったのだけれど。
「…まさか、ねぇ…?」
困った事に自分の大嫌いなあの野菜は、キラの大好物なのだ。
嫌いなものは嫌いだ、と言張って一度大ゲンカになって以来、お互いに妥協しているのが現在の状況。キラがそれを使えば、フラガは無言で残す。それに根負けしたのか、最近キラは殆どピーマンを使わない。
なんで嫌いになったのか、正確なところは忘れてしまったけれど、出来れば見るのも遠慮したいところなのだ。それでも、フラガは今ショッピングセンターの野菜売り場にいた。自分が一人でここに来る事自体、とても珍しい。同僚に会ったら嫌だなあと思いつつ、目的の野菜を目指して主婦の間を縫うように進んでいく。
艶やかな緑色の野菜達が皮肉混じりに満面の笑みを浮かべている気がする。
大真面目にそんな事を考えながらも、山のように詰まれたそれに手を伸ばし掛け、反対側に形こそ一緒だけれど色の違う野菜が目に入った。野菜、と言うよりもその色や大きさだけを見れば果物のようだ。
「…なんだ、これ。」
野菜の入ったワゴンを回り込むように移動すると、それを一つ手にとってしげしげと眺めた。値札に書かれた商品名と見比べながら、どうやらあの緑色の野菜に近くて異なるものだと言う事を理解する。色分けされたそれらの中には、当然同じ大きさの緑色の物体も在ったけれど、それは綺麗に視界から消し去って。
「お仲間って事で…許してくんないかなあ…」
溜息混じりに呟いて、取り敢えず手に持ったままだった赤いパプリカをレジに運ぶ。取り敢えずこっそり冷蔵庫に入れて反応を見よう、とフラガにしてはとても弱気な決心をして。
そのすぐ後にワゴンを覗き込んだ青年の姿は、主婦の壁に阻まれてお互いに気付く事はなく。
夕暮れのエントランスを通り抜ける時、顔馴染みの管理人から部屋の主が在室である事を教えてもらった。それに軽く頭を下げて礼を言うと、エレベーターに乗って押し慣れたボタンを軽く押す。スーパーの袋が、がさがさと音を立てた。
インターフォンを押すと、ドアのロックが外れる音がする。抱えた荷物を支えて器用にドアを開けると、玄関先にその人は立っていた。
「…どうか、しました?」
その様子が、何処か落ち着かないように感じられたから、そう訊いた。なんでもない、と言ってフラガは曖昧に笑みを浮かべて、リビングへと引き返す。キラの手に抱えられた買い物袋を取り上げるのも忘れない。
それはいつものことで、良く知っていたからキラは予めパプリカの入った袋を別に分けておいた。ここで見付かってしまえば、また大ゲンカが再現されてしまう。そう思っていたのに、キラの予想した事態はとてつもなく明後日の方向に飛んで行ってしまった。
え、だってそうでしょう?
あのひと、悔しいくらいカッコイイんだもん。
これは惚気られている、と取ってもいいんだろうか。
夏も終わりに差し掛かったある日の午後、その人は唐突にそう言って、なにやら計画を練っている。ここはやはりもう少しツッコんでその理由を聞いて置くべきなんだろうか。
「………何が、カッコ悪いんです?」
ほんの少し逡巡したあと、そう聞いてみた。
「…えーと、言っても良いのかな…」
その年齢を裏切って時折見せる仕種は反則に近いだろう、と常々思っている。小首を傾げて、大きな瞳を瞬かせて。もちろん本人には言えないけれど。そんな心配だか嫉妬だか良く分からない事を考えている間にキラは小さく笑ってなにやら納得したように頷いた。
「うん、きっとあなたになら大丈夫。」
僕が喋ったって黙ってて下さいね、と前置きしてから、キラはとても不思議な事を言った。と言うより、あまりにも突拍子もないと言うか、イメージと掛け離れ過ぎていて、一瞬理解出来なかった。
「フラガ中佐、ピーマン嫌いなんです。」
だから克服してもらおうと思って、とその人は妙に張り切っている。その言葉を頭の中で反芻してようやく理解した時には、深く溜息を吐きながら大きく肩を落とした。
「…いや、それはおもしろ…いえ、誰にだって苦手なものくらいあるんじゃないですか?」
無理に克服させなくても、と続けるとキラは首を横に振る。
「だって僕は好きなのに、食材として使えないなんて寂しいじゃないですか。」
大体好き嫌いは良くないですよね、と言って微笑うキラの表情には、否定は許されない気がした。得体の知れない迫力が漂っているからだ。それに気圧されたように、そうですね、とうっかり呟いてしまった事を、彼は暫く経ってから後悔する事になる。なるけれど、この時はまだ知らないから、とても軽い気持ちでその単語を唇に乗せた。
「…それなら、パプリカ辺りで試してみたらどうです?」
パプリカ、と鸚鵡返しに呟いたキラはそれは良いかも、と言って笑みを浮かべる。
「うん、それじゃあ試してみます。」
良いアドバイスを有り難う、と言って執務室を出て行ったキラの背中を見送って、残された副官には大きな脱力感が襲い掛かる。
「…他に悩むところないのか…」
そのくらい、平和なのだと言う事だ。
パプリカ。赤や黄色、オレンジといったカラフルで巨大なピーマン達。形こそピーマンそっくりだけれど、あの野菜特有の苦味や青臭さが極端に少ない為、サラダやマリネなどの生食に向いている。甘味が強く、ピーマンが嫌い、と言う人達でもその形が判らなければ比較的抵抗なく食べる事が出来る、らしい。
仮定形なのは、キラにとってピーマンが嫌い、と言う人達の気持ちが分からないからだ。最初から自分は平気なものを、嫌いだと言う他人の気持ちを組み取る事はとても難しい。
例によって、頻繁に利用する郊外のショッピングセンターに来ていたキラは、野菜売り場の一角に山と詰まれたカラフルで巨大なピーマンを睨んでいた。すっかり通っている形になっている為、今更何を買って来ようともフラガはなにも言わない。冷蔵庫に詰まっている食材の殆ど全て、キラがこうして週末ごとに補充しているからだ。なにも言わない、とは言え、自分の嫌いなものが山ほど詰まった冷蔵庫を見たら、真面目になにか仕返しされそうで嫌だ。
「…と、りあえず…三個くらいかなあ…?」
色の違うパプリカを籠に放り込み、キラは何処かうきうきとした気分で店を後にする。肩にかかったデイパックには、しっかりと新しい料理テキストが詰まっていた。
そう、なんとかしようとは思っている。思うだけで中々進まないのが大人の大人たるところだ。誰かに好き嫌いは良くないと言われる事がないから、嫌いなものは最初から目に入れなければ良い。食事の仕度も自分でするなら、それを使わなければいいだけの話だ。
ところが少しばかり事情が変わった。見掛けからは想像もつかないけれど、とてもしっかりした腕の良い専属コックが週末ごとにその腕を振るってくれる。そこまではとても幸せな光景だったのだけれど。
「…まさか、ねぇ…?」
困った事に自分の大嫌いなあの野菜は、キラの大好物なのだ。
嫌いなものは嫌いだ、と言張って一度大ゲンカになって以来、お互いに妥協しているのが現在の状況。キラがそれを使えば、フラガは無言で残す。それに根負けしたのか、最近キラは殆どピーマンを使わない。
なんで嫌いになったのか、正確なところは忘れてしまったけれど、出来れば見るのも遠慮したいところなのだ。それでも、フラガは今ショッピングセンターの野菜売り場にいた。自分が一人でここに来る事自体、とても珍しい。同僚に会ったら嫌だなあと思いつつ、目的の野菜を目指して主婦の間を縫うように進んでいく。
艶やかな緑色の野菜達が皮肉混じりに満面の笑みを浮かべている気がする。
大真面目にそんな事を考えながらも、山のように詰まれたそれに手を伸ばし掛け、反対側に形こそ一緒だけれど色の違う野菜が目に入った。野菜、と言うよりもその色や大きさだけを見れば果物のようだ。
「…なんだ、これ。」
野菜の入ったワゴンを回り込むように移動すると、それを一つ手にとってしげしげと眺めた。値札に書かれた商品名と見比べながら、どうやらあの緑色の野菜に近くて異なるものだと言う事を理解する。色分けされたそれらの中には、当然同じ大きさの緑色の物体も在ったけれど、それは綺麗に視界から消し去って。
「お仲間って事で…許してくんないかなあ…」
溜息混じりに呟いて、取り敢えず手に持ったままだった赤いパプリカをレジに運ぶ。取り敢えずこっそり冷蔵庫に入れて反応を見よう、とフラガにしてはとても弱気な決心をして。
そのすぐ後にワゴンを覗き込んだ青年の姿は、主婦の壁に阻まれてお互いに気付く事はなく。
夕暮れのエントランスを通り抜ける時、顔馴染みの管理人から部屋の主が在室である事を教えてもらった。それに軽く頭を下げて礼を言うと、エレベーターに乗って押し慣れたボタンを軽く押す。スーパーの袋が、がさがさと音を立てた。
インターフォンを押すと、ドアのロックが外れる音がする。抱えた荷物を支えて器用にドアを開けると、玄関先にその人は立っていた。
「…どうか、しました?」
その様子が、何処か落ち着かないように感じられたから、そう訊いた。なんでもない、と言ってフラガは曖昧に笑みを浮かべて、リビングへと引き返す。キラの手に抱えられた買い物袋を取り上げるのも忘れない。
それはいつものことで、良く知っていたからキラは予めパプリカの入った袋を別に分けておいた。ここで見付かってしまえば、また大ゲンカが再現されてしまう。そう思っていたのに、キラの予想した事態はとてつもなく明後日の方向に飛んで行ってしまった。