唄う風
「さて、後始末もつけ易いようにしないとな。…聴いてたか、そっち?」
追い出したぞ、と無線に向かって伝えると、それを合図にキラは再びアクセルを踏んだ。アスファルトとタイヤが擦れる甲高い音を響かせて、出口のゲートに続く道を追い上げる。ほどなく見えてきたゲートと、ライトバン。手前で距離を取って車を止めると、包囲を始めた部隊を眺めてこれならもう出番ないかな、と呟いた。
「なくて結構です…大体、僕達今日は非番でしょう?」
緩く溜息を吐いたキラはそう言って、温くなったボトルの中身を啜っていた。
我ながら、すごい改造をしたものだと思うと苦笑が零れる。
薙ぎ倒したポールは、けしてこの程度の損害を車に与えただけで済むものではなく。それでも、愛車の被害は塗料が少し剥がれた程度で済んでいた。むしろ、ハイウェイの被害の方が大きいかも知れない。
危なげなく犯人を取り押さえた部隊は、フラガとキラに軽く挨拶をして撤収を始める。隊長に当たる人はフラガと仲のいい士官で、ともすれば横槍を入れたと大騒ぎになる事件は和やかに終息を迎える。
「…で、どういう改造したらこうなる訳?」
とても納得の行かない顔で、フラガはバンパーを睨んでいた。大した事ないですよ、と言ってキラは笑う。
「少佐、連合の三機、知ってますか?」
アスランと共に苦戦を強いられた機体。苦い記憶と共に、それでもその技術に関心を示した親友と、暇潰しに作ったもの。
「…これ、トランスフェイズシステム、積んでるんですよ。」
バッテリー消費が激しいから、普段は使ってないんですけど、と言うと、フラガはあのボタンかと呆れたように溜息を吐いた。
「お前ら…なんかやらかしてるとは思ったけど、さぁ…?」
本当はフェイズシフトを組もう、とアスランは言ったのだ。それではあまりにも効率が悪いし、バッテリーがもたない。だから、部分的に強度を上げるトランスフェイズを組み込んで、それだけを動かす為にもうひとつ小さなバッテリーを積んだ。電子工学が得意なアスランが、イイ物作ったんだととても楽しそうな顔で持ってきたのは、カーボンバッテリー。
「いくらなんでも、核動炉積む訳に行かないからな。」
当然の事をさらりと言い放つ親友に、この時ばかりはキラも呆然とするしかなかった。
そんな経緯をかいつまんで苦笑混じりに伝えると、フラガは勿体無いな、と言って笑う。
「そんな事出来るんだったら、いくらでも金儲け出来るぞ。」
軍人なんかやらなくてもな、と言うその人にコスト掛かりすぎて無理ですよ、と返して。
「…帰りましょう。こっち使えないんで、下から。」
洗濯しに行っただけだったのになあ、と呟いたフラガは、それでも楽しそうに笑っていた。
日が暮れて、菫色の夜を迎える。
ベランダの窓ガラスを開け放つと、少し冷たさの残る柔らかな風が通り抜けて行く。
濡れた髪をぞんざいにタオルで拭いながらリビングに戻ると、ソファの上で転がったその人は、とてもだらしない姿勢で缶ビールを傾けていた。控え目に流れるニュースは、昼間の事件。キラが壊したハイウェイの色々は、さり気なく伏せられていて、思わず苦笑してしまう。
バスルームから出てきた事に気付いたのか、テレビの画面を追っていた視線を引き剥がして、フラガは飲むかと言って缶を持った手を軽く揺すった。
「…未成年はこっちで我慢しておきますよ。」
冷蔵庫から出したジンジャーエールのボトルを指して、キラは苦笑を零す。
「昼間の、結構ニュースになってるんですね。」
ソファは占領されているから、仕方なく背中だけを預けて床に腰を下ろす。ほど良く効いた炭酸飲料を喉に流し込んで潤しながら、単調に繰り返される今日の出来事に耳を傾けた。
「…まあ、アレだけ派手なことやればな。実際、結構被害も大きかったみたいだぞ。」
お手柄だなと言ってフラガは喉の奥で笑った。
帰って来てから畳み直した洗濯物が、床の上に積まれている。
「…大変な一日でしたね。」
何処か感慨深げに呟くと、楽しかったじゃないか、と言う声が聞こえた。
「お前さんが、かなりの暴走癖があるって判ったし。フツーは走れないところも走ったし、滅多に行かないようなコインランドリーにも行ったし?」
愉快な休日だったな、と続けてフラガは身体を起こした。
「…そう、ですか、あ…?」
呟いて、振り返る前に両肩に掛かった重み。湿った髪が項を撫でて、くすぐったい。
「…少佐。」
抗議を込めて呟くと、フラガは抱き締める腕に力を込める。
「…そのうち、どっか行っちゃいそうだな、キラはさ。」
ぽつりと、そう言った。
「…行きませんよ、何処にも。」
たとえ、離れてしまっても。
「僕が戻ってくるところは、ここしかないですから。」
とても自然に、笑みが零れる。そう言って微笑んだキラに、フラガは満足そうにそうか、とだけ呟いた。
開け放たれた窓から、湿り気を帯びた夜風が流れ込む。
けれど、ふたりの間を通り抜ける事は出来なかった。