Sunny Day
晴れた日は、なんだかうきうきする。
別に理由なんかない。薄い水色の空を見上げれば、緩やかに雲が流れて行く。まだ黄色味の強い木々の若葉が、暖かな風に揺れている。舗装されたアスファルトの、ほんの僅かな隙間から小さな黄色い花を咲かせるタンポポが、道ゆく人々に春の訪れを知らせ、枯れ木ばかりだった公園は何時の間にか緑の林だ。
春、と言う季節は、ことの他命の力強さを感じる。
公園、と言うには些か物々しさを感じさせるフェンスに沿って植えられたケヤキの木の下で、若芽が出たばかりの芝生に寝転がった人影は、ただぼんやりと空を見上げてひとつ、欠伸をした。
「…春だなー」
遠くで厳しい号令が飛んでいる。およそ、零れた長閑な言葉とは縁がない。むしろ、場違いだ、と自分ですら思う。
今頃残して来た学生達は、面倒な課題にうなっているに違いない。ほんの少しだけ胸を張れる、得意分野でこれでもか、と言うほど難解な課題を押し付けて、キラはのんびりと木陰で過ごす緩やかな時間を愉しんでいた。つまり、簡単に言うと教官自らが率先してサボっている訳だが、自習、と言う名目を理由に狭い教室を抜け出した。副官が恨みがましそうな顔をしていたことを思い出すと、笑みが零れる。
本来ならば自習にした理由はきちんと存在するはずだったけれど、スケジュール調整のミスで思いもよらない空き時間が出来てしまった。これから地下に篭ることを考えたら、折角の良い天気なのだから遅い昼食を外で摂るのもいいかな、と思ってこの場所に腰を落ちつけた。芝生の上には小型のノートパソコンと幾つかのファイル、売店で買って来たロールサンドと紙パックのコーヒーがぞんざいに投げ出されている。
春になったかと思えば急激に気温が上がり、屋外では上着が邪魔になる日も少なくない。普段はきっちりと着込んだ制服をだらしなく肌蹴けさせて芝生に転がっているのがキラだと気付く人間はほとんど皆無に等しい。
ただひとりを除いては。
「…ワリと度胸あるな、お前さんは」
不意に影が落ちて、馴染んだ声が降って来た。薄く瞼を開けると、呆れ気味の笑みを履いたフラガが思ったよりも近いところまで覗き込んでいる。
「…あなたほどじゃあないですよ」
小さく笑ってから答えると、そりゃないでしょ、と言いながら隣りに腰を下ろした。
同じくわざわざ調整をする為に呼ばれた筈なのに、どうしてこんなところをほっつき歩いているのだろう。
「少佐、行かなくていいんですか?」
それとも終ったのかと問い掛ければ、フラガは実に爽やかな笑みを浮かべて「サボリに決まってんだろ」と言い放つ。
「大体、キラがいないってのに調整しに行ってどうすんの」
他人を捕まえて度胸があるなんて言った癖に、この人は自分のことは棚の上どころか遥か彼方に押し上げているに違いない。
「…まあ、イイですけど…」
唐突に圧し掛かって来た疲労感に、放り出したままだったサンドイッチをコーヒーに手を伸ばした。良く考えなくてもこれが残っているということは、つまり昼食を摂っていないと言うことで。
冷たかった筈なのに気温の所為でだいぶ温くなったコーヒーをすすり、サンドイッチのパッケージを破る。そこで妙に視線を感じて顔を上げると、楽しそうな顔にぶち当たった。
「…なんですか?」
怪訝そうな顔をしていたに違いない。別に、と言ったフラガは小さく笑みを零して、悪くないなと続ける。
「晴れた日に、外でランチってのもさ」
エンジニア達のチェックを通り、調整完了と書かれた書類を受け取って格納庫を後にする。何時の間にか巨大な地下格納庫には白い機体がふたつ並んでいて、必然的に定期メンテナンスは同時に行うことになった。その方が効率が良いからだ。講義中以外はほとんど一緒にいると言うのに、ここまでセットかよ、と軽く溜息を吐いて半歩前を行く鳶色の髪が揺れる様を眺める。似たようなクリップボードを持ったキラは、地上に続くエレベーターに向かいながら今日の夕飯なんにしよう、なんて呟いていた。
「ああ、そうだキラ、今日俺が作るよ」
何気なく放った言葉に、キラは珍しい、と顔全体にでかでかと書いてあるような表情で振り反ってたっぷり沈黙してから、そうですか、とだけ応える。
一応ひと通りの料理は出来るつもりだ。それが珍しい事態になるのは、ひとえに自分よりも、ましてやそこら辺のレストランよりも味も見た目も良い食事を当たり前のように用意する人間がいるからだ。目の前に。それに慣れてしまったら、自分でやろうと言う気が起きないだろうと思う。少なくとも、自分はそれに慣れ切っている。
「ま、たまには休暇をやらないとそのうち料金でも請求されそうだしなぁ」
冗談混じりの呟きが耳に届いたのか、キラはそれも良いですねぇ、なんて返事をして笑っている。
「…で、何が良い?」
聞いては見るものの、レパートリーは少ないし、聞かれたほうもそれは良く知っている。少しだけ考えてから、ふわり、とキラは微笑った。
「…じゃあ、ハヤシライス」
期待してます、と言う言葉と共に告げられたメニューは、キラの好物だ。
「了解」
そう言うんじゃないかと思ったと苦笑を零しながら。
スペシャルディ
本当に、きちんとした理由がある。
「別に突然言い出した訳じゃないぞ」
厚手の鍋にサラダ油を引いて呟いた。
滅多に使われることのない、濃紺のエプロン。それを首から下げて、大きめに切ったタマネギを勢い良く熱した鍋に入れる。威勢の良い音を立てるそれを焦げないように炒めて、透き通ってきたら薄切りの牛肉を入れて火を通す。
牛肉に火が通ったらコンソメを溶かしたスープを入れて、水煮のマッシュルームと湯剥きして種を取ったトマトのぶつ切りを放り込む。ローリエを一枚落として煮立たせ、丁寧に灰汁を掬った。
いつもならここに立っている筈のキラは、カウンターの向うにあるソファに転がってノートパソコンに向かっていた。
「…何がですか?」
作業に熱中しているのか、ワンテンポ遅れて帰って来た言葉に、やれやれ、と苦笑混じりの溜息を吐いた。
素人が作業効率を良くするために、煮立った鍋の火を一度止めて、固形のルーを放り込む。
「…実は明後日、出張入っちゃったんだよな」
だからお詫び、と続けるとキラはようやくモニタから視線を外して首を傾げる。
「…明後日?」
なんだっけ、と呟きながら漂って来たデミグラスソースの香りに二人分の食器を用意する。
「…あ」
思い当ったようにキラは気の抜けた声を出した。
「誕生日でしょうが、おまえさん」
後を拾うようにそう言うと、キラは微かに眉を寄せて、それからそうですねぇ、と呟く。
「…と、言うことは、いないんですね少佐は」
忘れてたからお互い様ですけど、と苦笑を零して。
「そ。だからちょっと早いけど、今日はサービスしときますよお客さん?」
片付けたテーブルの上を拭いていたキラはなんですかそれ、と言って笑った。
「…別に、小さい子供じゃないんですから。それに…」
覚えててくれたから良いですよ、とキラは続ける。
「でも折角だからサービスして貰います」
別に理由なんかない。薄い水色の空を見上げれば、緩やかに雲が流れて行く。まだ黄色味の強い木々の若葉が、暖かな風に揺れている。舗装されたアスファルトの、ほんの僅かな隙間から小さな黄色い花を咲かせるタンポポが、道ゆく人々に春の訪れを知らせ、枯れ木ばかりだった公園は何時の間にか緑の林だ。
春、と言う季節は、ことの他命の力強さを感じる。
公園、と言うには些か物々しさを感じさせるフェンスに沿って植えられたケヤキの木の下で、若芽が出たばかりの芝生に寝転がった人影は、ただぼんやりと空を見上げてひとつ、欠伸をした。
「…春だなー」
遠くで厳しい号令が飛んでいる。およそ、零れた長閑な言葉とは縁がない。むしろ、場違いだ、と自分ですら思う。
今頃残して来た学生達は、面倒な課題にうなっているに違いない。ほんの少しだけ胸を張れる、得意分野でこれでもか、と言うほど難解な課題を押し付けて、キラはのんびりと木陰で過ごす緩やかな時間を愉しんでいた。つまり、簡単に言うと教官自らが率先してサボっている訳だが、自習、と言う名目を理由に狭い教室を抜け出した。副官が恨みがましそうな顔をしていたことを思い出すと、笑みが零れる。
本来ならば自習にした理由はきちんと存在するはずだったけれど、スケジュール調整のミスで思いもよらない空き時間が出来てしまった。これから地下に篭ることを考えたら、折角の良い天気なのだから遅い昼食を外で摂るのもいいかな、と思ってこの場所に腰を落ちつけた。芝生の上には小型のノートパソコンと幾つかのファイル、売店で買って来たロールサンドと紙パックのコーヒーがぞんざいに投げ出されている。
春になったかと思えば急激に気温が上がり、屋外では上着が邪魔になる日も少なくない。普段はきっちりと着込んだ制服をだらしなく肌蹴けさせて芝生に転がっているのがキラだと気付く人間はほとんど皆無に等しい。
ただひとりを除いては。
「…ワリと度胸あるな、お前さんは」
不意に影が落ちて、馴染んだ声が降って来た。薄く瞼を開けると、呆れ気味の笑みを履いたフラガが思ったよりも近いところまで覗き込んでいる。
「…あなたほどじゃあないですよ」
小さく笑ってから答えると、そりゃないでしょ、と言いながら隣りに腰を下ろした。
同じくわざわざ調整をする為に呼ばれた筈なのに、どうしてこんなところをほっつき歩いているのだろう。
「少佐、行かなくていいんですか?」
それとも終ったのかと問い掛ければ、フラガは実に爽やかな笑みを浮かべて「サボリに決まってんだろ」と言い放つ。
「大体、キラがいないってのに調整しに行ってどうすんの」
他人を捕まえて度胸があるなんて言った癖に、この人は自分のことは棚の上どころか遥か彼方に押し上げているに違いない。
「…まあ、イイですけど…」
唐突に圧し掛かって来た疲労感に、放り出したままだったサンドイッチをコーヒーに手を伸ばした。良く考えなくてもこれが残っているということは、つまり昼食を摂っていないと言うことで。
冷たかった筈なのに気温の所為でだいぶ温くなったコーヒーをすすり、サンドイッチのパッケージを破る。そこで妙に視線を感じて顔を上げると、楽しそうな顔にぶち当たった。
「…なんですか?」
怪訝そうな顔をしていたに違いない。別に、と言ったフラガは小さく笑みを零して、悪くないなと続ける。
「晴れた日に、外でランチってのもさ」
エンジニア達のチェックを通り、調整完了と書かれた書類を受け取って格納庫を後にする。何時の間にか巨大な地下格納庫には白い機体がふたつ並んでいて、必然的に定期メンテナンスは同時に行うことになった。その方が効率が良いからだ。講義中以外はほとんど一緒にいると言うのに、ここまでセットかよ、と軽く溜息を吐いて半歩前を行く鳶色の髪が揺れる様を眺める。似たようなクリップボードを持ったキラは、地上に続くエレベーターに向かいながら今日の夕飯なんにしよう、なんて呟いていた。
「ああ、そうだキラ、今日俺が作るよ」
何気なく放った言葉に、キラは珍しい、と顔全体にでかでかと書いてあるような表情で振り反ってたっぷり沈黙してから、そうですか、とだけ応える。
一応ひと通りの料理は出来るつもりだ。それが珍しい事態になるのは、ひとえに自分よりも、ましてやそこら辺のレストランよりも味も見た目も良い食事を当たり前のように用意する人間がいるからだ。目の前に。それに慣れてしまったら、自分でやろうと言う気が起きないだろうと思う。少なくとも、自分はそれに慣れ切っている。
「ま、たまには休暇をやらないとそのうち料金でも請求されそうだしなぁ」
冗談混じりの呟きが耳に届いたのか、キラはそれも良いですねぇ、なんて返事をして笑っている。
「…で、何が良い?」
聞いては見るものの、レパートリーは少ないし、聞かれたほうもそれは良く知っている。少しだけ考えてから、ふわり、とキラは微笑った。
「…じゃあ、ハヤシライス」
期待してます、と言う言葉と共に告げられたメニューは、キラの好物だ。
「了解」
そう言うんじゃないかと思ったと苦笑を零しながら。
スペシャルディ
本当に、きちんとした理由がある。
「別に突然言い出した訳じゃないぞ」
厚手の鍋にサラダ油を引いて呟いた。
滅多に使われることのない、濃紺のエプロン。それを首から下げて、大きめに切ったタマネギを勢い良く熱した鍋に入れる。威勢の良い音を立てるそれを焦げないように炒めて、透き通ってきたら薄切りの牛肉を入れて火を通す。
牛肉に火が通ったらコンソメを溶かしたスープを入れて、水煮のマッシュルームと湯剥きして種を取ったトマトのぶつ切りを放り込む。ローリエを一枚落として煮立たせ、丁寧に灰汁を掬った。
いつもならここに立っている筈のキラは、カウンターの向うにあるソファに転がってノートパソコンに向かっていた。
「…何がですか?」
作業に熱中しているのか、ワンテンポ遅れて帰って来た言葉に、やれやれ、と苦笑混じりの溜息を吐いた。
素人が作業効率を良くするために、煮立った鍋の火を一度止めて、固形のルーを放り込む。
「…実は明後日、出張入っちゃったんだよな」
だからお詫び、と続けるとキラはようやくモニタから視線を外して首を傾げる。
「…明後日?」
なんだっけ、と呟きながら漂って来たデミグラスソースの香りに二人分の食器を用意する。
「…あ」
思い当ったようにキラは気の抜けた声を出した。
「誕生日でしょうが、おまえさん」
後を拾うようにそう言うと、キラは微かに眉を寄せて、それからそうですねぇ、と呟く。
「…と、言うことは、いないんですね少佐は」
忘れてたからお互い様ですけど、と苦笑を零して。
「そ。だからちょっと早いけど、今日はサービスしときますよお客さん?」
片付けたテーブルの上を拭いていたキラはなんですかそれ、と言って笑った。
「…別に、小さい子供じゃないんですから。それに…」
覚えててくれたから良いですよ、とキラは続ける。
「でも折角だからサービスして貰います」