伝説のキノコの伝説
「ピクニック行こう」
そんな一言で始まった。
「…えーと、つまりどうしてそういう結果に?」
空が高い。夏が終わりを告げ、次第に空気が冷たく透き通っていく。刺すような日差しが柔らかく降り注ぐ暖かな光に変わる、昼下がり。
ぽっかりと明いた講義の合間に、いつものように他人の執務室に入り浸ってだらけていた人が唐突に「ピクニックに行こう」なんて言い出したら、おそらくキラでなくとも疑いの眼差しを向けたはずだ。
「は?だってせっかく暑さも和らいだしさあ、あんまり出かけてないしさあ」
それは確かに肯けるけれど、そもそもこの人がそんなかわいらしい単語を発すること自体が珍しい。というか、およそ似合わない。
「…ていうか、多分ピクニックじゃなくてサバイバルになるような気が…」
ぼそりと零れた呟きは、コーヒーを運んできた副官の言葉だ。それに苦笑交じりだけれど思わず肯いてしまった。
「なんだよ、ピクニックだぞ。弁当持ってちょっと山歩きするだけじゃないか」
多分それはハイキングだと思います、という突っ込みは心の中においておくことにして、どうも山に行きたいらしい、と思った。
きちんとした登山レベルの標高ならばともかく、まだ市街地に近いこのあたりでは日中少し暑いくらいで、当然ながら紅葉とか、そういう見学するような景色にはなっていない。そもそもそんなに頑張って行くほどの場所まで遠出する気もない。基本的に引き篭り要素満載のキラにとって、「外出」は「面倒臭い」ものでしかなかったりするのもまた事実。だって超がつくほどのインドア派なのだ、仕方がない。
逆に、真夏でも外に出ていたり、多分正しい職業軍人としてきちんと基本的な訓練を受けていたりするフラガは、よく学生に混じってサッカーをしていたりするアウトドア派だ。
実はパイロットという職業はとても体力を消耗する。動かす部位は少なくとも、それに付随する「思考」と命を張っているんだという「緊張」、場合によっては苛酷な環境で任務に就かなければならないからだ。
身体が資本だからな、と言ってはいるものの、現在はほとんど趣味としか思えない体力作りも訓練も、本来ならば前線に出るべきパイロットとしての正しい姿に見えなくもないし、休日にちょっと山歩き、というのも他の誰かが聞いていたならごく普通の趣味だ。若干、年齢のわりにおじさん臭いが。
「きっと知らないからそう思うんだろうな…」
溜息混じりに呟くキラに心底同情したような顔を向ける副官は、それでも「絶対付き合いませんよ」と視線だけで主張している。彼は一度、「現場実習」と称したピクニックでサバイバル体験をしている。
「何だよ疑り深いな。ちゃんとコースもあるとこだぞ」
じっとり、と視線だけで拒絶されたフラガはどこから用意したのかプリントアウトされた用紙を広げて「ほら見ろ」とばかりに笑みを浮かべる。
そこは親子連れにも人気のハイキングコースで、なだらかな丘陵と、それを囲む林が大半を占める自然公園。林の中にはトレッキングコースも設置されている。インフォメーションサイトを出力したらしいその紙を見る限り、サバイバルと化しそうな状況は想定されない。
「…分かりました」
長い溜息の後にそう応えると、フラガはとても嬉しそうに頷き、カイはそっと目を伏せた。あとで彼はこっそりと言いふらしては同僚と涙を拭うに違いない。
「別にそんなに貧弱って言うわけでもないんだけどな」
色々不名誉な「伝説」も数多く積み上げてしまったキラは、同僚どころか学生の間でも「実は病弱」説が蔓延している。とても不本意だ。
ぶつぶつ呟きながらもダイニングキッチンで食パンの耳を落とし、ゆで卵の殻を剥く。おそらく本人にしかわからない秩序で所狭しと並んだ食材は、ランチに化けるべく順番を待っている。
刻んだタマネギとゆで卵、塩コショウとマヨネーズに乾燥パセリを振って混ぜ、一つ目の具は出来上がり。ツナの缶詰を開けてペーパータオルに広げ余分な油を切ってから、刻んだタマネギと塩、粉末のパプリカを振ってマスタードとマヨネーズで和える。これが二つ目。冷水に放してあったレタスをザルに揚げて、熱したフライパンでベーコンをかりっとソテーする。トマトは水分が出るからパンに挟む直前にスライスすることにして、そこまでで使った器具をすべて洗う。
「さて、と…」
濡れた両手をタオルで拭いて、なま物の入ったパックを開ける。
一口大に切った白身の魚に塩と白ワインを振ってなじませ、骨付きのチキンには塩コショウと赤唐辛子、セージとタイムを加えて軽く揉んでおく。
剥きエビを荒く刻んでから包丁の背で叩いて粘り気を出し、おろし生姜を少し、片栗粉と塩コショウ、酒を加えて混ぜる。薄く切ったレンコンの間にエビを挟んで片栗粉をまぶし、溶き卵をくぐらせてパン粉をつけたものを手際よく並べていく。
揚げ物用の鍋にサラダ油とオリーブオイルを混ぜて火にかけ、小麦粉のようなものが入った二つのビニール袋を用意して、下味をつけてあった肴と鶏肉の水分をペーパータオルで丁寧に拭ってそれぞれの袋に入れた。
充分に衣をまぶして、熱した油にパン粉を落として温度を確かめる。骨付きのチキンを油に投入すると、威勢のいい音と香ばしい香りが部屋中に広がった。
「…なんだ結構乗り気じゃないか」
遅れること2時間、自分で言い出したくせにようやく起きだしてきたフラガに「せっかくですから」と振り返りもせずに答える。揚げ物は目を離したら大惨事だ。
「そこらへんのお惣菜じゃあつまらないじゃないですか」
最近、あまりキッチンに立っていなかったことを思い出した。せっかくだからせめてランチくらいは自分で作ってもいいじゃないか、と思って昨日の夕方買出しをしておいた。
「道理で大量のはずだ」
苦笑とともにカウンターの上にあったおかずに出された手を菜ばしで叩き、「つまみ食い禁止」とだけ言い渡す。
「いいから、支度してください。どうせお昼には八割、あなたの胃に収まるんですから」
それに、ピクニックという単語にあわせて小洒落たランチを用意しておけば、少なくともサバイバルに発展するようなことはないだろう、というちょっと卑怯な理由もあった。
比較的上機嫌で浮き上がってきたチキンを引き上げ、魚とレンコンを揚げ始める。充分に油を切ってからペーパータオルを敷いた器に詰め込む。
揚げ物が終わってから室温で柔らかくしたバターを軽く練って食パンに伸ばし、用意しておいた具を挟んでサンドイッチを作る。ラップと布巾で包んでまな板の重石をのせ、茹でて冷ましておいた温野菜サラダをタッパーに詰め込む。ドレッシングのビンは小さなものを用意して、プラスチックのフォークや紙のお皿、お手拭といったアウトドア御用達の細かなものとともに大きなバスケットに放り込む。自分だったら遠慮したいところだけれど、フラガなら自分の食料くらい平気な顔で運んでゆくのだろう。飲み物だけは途中で買うとして、重石をして馴染ませておいたサンドイッチを切り分けて小さなバスケットに詰めると、つぶれないように一番上に乗せた。
「完成ッと」
そんな一言で始まった。
「…えーと、つまりどうしてそういう結果に?」
空が高い。夏が終わりを告げ、次第に空気が冷たく透き通っていく。刺すような日差しが柔らかく降り注ぐ暖かな光に変わる、昼下がり。
ぽっかりと明いた講義の合間に、いつものように他人の執務室に入り浸ってだらけていた人が唐突に「ピクニックに行こう」なんて言い出したら、おそらくキラでなくとも疑いの眼差しを向けたはずだ。
「は?だってせっかく暑さも和らいだしさあ、あんまり出かけてないしさあ」
それは確かに肯けるけれど、そもそもこの人がそんなかわいらしい単語を発すること自体が珍しい。というか、およそ似合わない。
「…ていうか、多分ピクニックじゃなくてサバイバルになるような気が…」
ぼそりと零れた呟きは、コーヒーを運んできた副官の言葉だ。それに苦笑交じりだけれど思わず肯いてしまった。
「なんだよ、ピクニックだぞ。弁当持ってちょっと山歩きするだけじゃないか」
多分それはハイキングだと思います、という突っ込みは心の中においておくことにして、どうも山に行きたいらしい、と思った。
きちんとした登山レベルの標高ならばともかく、まだ市街地に近いこのあたりでは日中少し暑いくらいで、当然ながら紅葉とか、そういう見学するような景色にはなっていない。そもそもそんなに頑張って行くほどの場所まで遠出する気もない。基本的に引き篭り要素満載のキラにとって、「外出」は「面倒臭い」ものでしかなかったりするのもまた事実。だって超がつくほどのインドア派なのだ、仕方がない。
逆に、真夏でも外に出ていたり、多分正しい職業軍人としてきちんと基本的な訓練を受けていたりするフラガは、よく学生に混じってサッカーをしていたりするアウトドア派だ。
実はパイロットという職業はとても体力を消耗する。動かす部位は少なくとも、それに付随する「思考」と命を張っているんだという「緊張」、場合によっては苛酷な環境で任務に就かなければならないからだ。
身体が資本だからな、と言ってはいるものの、現在はほとんど趣味としか思えない体力作りも訓練も、本来ならば前線に出るべきパイロットとしての正しい姿に見えなくもないし、休日にちょっと山歩き、というのも他の誰かが聞いていたならごく普通の趣味だ。若干、年齢のわりにおじさん臭いが。
「きっと知らないからそう思うんだろうな…」
溜息混じりに呟くキラに心底同情したような顔を向ける副官は、それでも「絶対付き合いませんよ」と視線だけで主張している。彼は一度、「現場実習」と称したピクニックでサバイバル体験をしている。
「何だよ疑り深いな。ちゃんとコースもあるとこだぞ」
じっとり、と視線だけで拒絶されたフラガはどこから用意したのかプリントアウトされた用紙を広げて「ほら見ろ」とばかりに笑みを浮かべる。
そこは親子連れにも人気のハイキングコースで、なだらかな丘陵と、それを囲む林が大半を占める自然公園。林の中にはトレッキングコースも設置されている。インフォメーションサイトを出力したらしいその紙を見る限り、サバイバルと化しそうな状況は想定されない。
「…分かりました」
長い溜息の後にそう応えると、フラガはとても嬉しそうに頷き、カイはそっと目を伏せた。あとで彼はこっそりと言いふらしては同僚と涙を拭うに違いない。
「別にそんなに貧弱って言うわけでもないんだけどな」
色々不名誉な「伝説」も数多く積み上げてしまったキラは、同僚どころか学生の間でも「実は病弱」説が蔓延している。とても不本意だ。
ぶつぶつ呟きながらもダイニングキッチンで食パンの耳を落とし、ゆで卵の殻を剥く。おそらく本人にしかわからない秩序で所狭しと並んだ食材は、ランチに化けるべく順番を待っている。
刻んだタマネギとゆで卵、塩コショウとマヨネーズに乾燥パセリを振って混ぜ、一つ目の具は出来上がり。ツナの缶詰を開けてペーパータオルに広げ余分な油を切ってから、刻んだタマネギと塩、粉末のパプリカを振ってマスタードとマヨネーズで和える。これが二つ目。冷水に放してあったレタスをザルに揚げて、熱したフライパンでベーコンをかりっとソテーする。トマトは水分が出るからパンに挟む直前にスライスすることにして、そこまでで使った器具をすべて洗う。
「さて、と…」
濡れた両手をタオルで拭いて、なま物の入ったパックを開ける。
一口大に切った白身の魚に塩と白ワインを振ってなじませ、骨付きのチキンには塩コショウと赤唐辛子、セージとタイムを加えて軽く揉んでおく。
剥きエビを荒く刻んでから包丁の背で叩いて粘り気を出し、おろし生姜を少し、片栗粉と塩コショウ、酒を加えて混ぜる。薄く切ったレンコンの間にエビを挟んで片栗粉をまぶし、溶き卵をくぐらせてパン粉をつけたものを手際よく並べていく。
揚げ物用の鍋にサラダ油とオリーブオイルを混ぜて火にかけ、小麦粉のようなものが入った二つのビニール袋を用意して、下味をつけてあった肴と鶏肉の水分をペーパータオルで丁寧に拭ってそれぞれの袋に入れた。
充分に衣をまぶして、熱した油にパン粉を落として温度を確かめる。骨付きのチキンを油に投入すると、威勢のいい音と香ばしい香りが部屋中に広がった。
「…なんだ結構乗り気じゃないか」
遅れること2時間、自分で言い出したくせにようやく起きだしてきたフラガに「せっかくですから」と振り返りもせずに答える。揚げ物は目を離したら大惨事だ。
「そこらへんのお惣菜じゃあつまらないじゃないですか」
最近、あまりキッチンに立っていなかったことを思い出した。せっかくだからせめてランチくらいは自分で作ってもいいじゃないか、と思って昨日の夕方買出しをしておいた。
「道理で大量のはずだ」
苦笑とともにカウンターの上にあったおかずに出された手を菜ばしで叩き、「つまみ食い禁止」とだけ言い渡す。
「いいから、支度してください。どうせお昼には八割、あなたの胃に収まるんですから」
それに、ピクニックという単語にあわせて小洒落たランチを用意しておけば、少なくともサバイバルに発展するようなことはないだろう、というちょっと卑怯な理由もあった。
比較的上機嫌で浮き上がってきたチキンを引き上げ、魚とレンコンを揚げ始める。充分に油を切ってからペーパータオルを敷いた器に詰め込む。
揚げ物が終わってから室温で柔らかくしたバターを軽く練って食パンに伸ばし、用意しておいた具を挟んでサンドイッチを作る。ラップと布巾で包んでまな板の重石をのせ、茹でて冷ましておいた温野菜サラダをタッパーに詰め込む。ドレッシングのビンは小さなものを用意して、プラスチックのフォークや紙のお皿、お手拭といったアウトドア御用達の細かなものとともに大きなバスケットに放り込む。自分だったら遠慮したいところだけれど、フラガなら自分の食料くらい平気な顔で運んでゆくのだろう。飲み物だけは途中で買うとして、重石をして馴染ませておいたサンドイッチを切り分けて小さなバスケットに詰めると、つぶれないように一番上に乗せた。
「完成ッと」