君のいる、世界は06
苦笑混じりに続けると、フラガは不意に笑みを浮かべた。
「…同じ事、思ってた?」
確信犯だ、とキラは思う。
ギリギリのところで、自分がここに来る。キラの機嫌をこれ以上損ねないように、機嫌が悪い事を知っていて今まで引き伸ばして。
「…そう言う人でしたね。」
溜息混じりに呟いて、隣りに腰を下ろす。随分久し振りに、傍にいる、と言う感じがした。伸ばした指先が、大きな手に触れる。それに応えるように、指を絡める。
「…ごめんな。」
吐息と共に零れた言葉に、軽く頷いて少し高い所にある肩に額を着けた。
「…僕の、問題ですから。不良部下ばっかりで申し訳ないんですけど。…それでも」
時々は、傍に行ってもいいですか。
音にならない問い掛けには、柔らかな口付けが返って来た。
当たり前だが、軍人には日頃から訓練と言う大切な仕事がある。たとえ士官学校の教官であろうと、最低でも週に何度かはそれに顔を出さなくてはならない。
カイは正確には教官ではなく、一般兵士と同じように訓練の時間がある。ただ、配属された先が特殊な為、一般兵士達よりも時間の融通が効いたり、免除される事が多いだけで、基本的には基地に勤務する兵士達に混じって汗を流す。
その日も、未だ厳しい陽射しの中でカイは空を仰いだ。
半ば癖のようになっている、自分の上官の姿を探しても、見当たらない。フラガはその階級に似合わずこういった訓練が好きらしい。だから時々見掛ける。それに対してキラは、明らかにこの集団にはそぐわない所為もあるのか、滅多に顔を出さない。それで良いのか、と問い詰めた事も合ったが、フラガにあっさりと良いんだよ、と言われてしまった為、それ以上は深く突っ込めない。
顔ぶれは、学生の時とあまり変わらない。他の基地に配属になった同僚はともかく、在学中も今も、そう大きな人事異動はないからだ。むしろ、キラが来た、と言う事すら大きな人事異動に入るくらいで。
「…なあ、おまえの上官て、どうなんだよ?」
本日の訓練で組まされた同僚は、何を思ったのか唐突にそう訊いて来た。
「…別に。まあ、まだマトモな会話も出来てないからな、良くわからん。」
そう言った自分がよほど面白くない顔をしていたのか、同僚は吹き出した。美人じゃんか、と気楽な事を言ってなおも笑い続ける同僚を睨む。
「…顔は、関係ないだろう。」
見掛けが良いに越した事はない、とは思うけれど、軍人に限って言えば恐らく不要な要素だ。強面だらけの中にあんなのがいたら嘗められるに決まっている。もっとも、女性兵士もいるから一概には言えないのかも知れないが。
「そうか?むさいおっさんよりも美人な上司の方がやる気出るだろ、普通。それともそんなに性格悪いとか?」
ストレッチをしながら同僚はなおも言い募る。
「…さあ?」
性格が云々、と言う前に、いつでも困ったような顔しか見ていないから、そんな顔しか出来ないのかと疑ってしまいそうだ。それでも、カイは何度かキラがとても綺麗に微笑んでいるところを見た事がある。その笑みは、カイの尊敬するフラガに向けられていた。と言うよりも、誰にでも辺り触りなく接しているようで、本当に本心を見せるのは恐らくフラガの前でだけなのだ、と気付いた。
「…不思議だ、とは思うな。」
存在そのものが、カイの周りにはいなかったタイプで。
紹介しろよ、とまで言い始めた同僚に冷めた視線を返すと、その先に話題に上った上官の姿を捉える。訓練に参加するなんて珍しいな、と思ったが、どうも様子が可笑しい事に気付く。
「…真っ直ぐ歩いてないぞ、おい…」
急に固まったカイを不思議そうに眺めていた同僚が、視線を追ってキラを見つける。あまり上品とは言えないが、軽く口笛を吹いた。
「噂をすれば、だ。」
遠目には本当に少年のように見える。俯き加減で、時折額に手のひらを押し当てて。しばらくしてから顔を上げて、誰かを探しているように周りに視線を走らせる。
危なっかしいな、と思ったら勝手に身体が反応していた。どこまで行ってもカイは勤務に忠実な兵士で。
「悪い、ちょっと行って来る。」
探し人が自分だとは限らないけれど、ここには基地内の半数の兵士が集まっているのだから誰か一人を探し出すのは容易ではなく。
手のひらをひらひらと振って行ってこい、と言う同僚に背を向けると、走り出す。
なんだか目の前がくらくらしている。
陽射しは相変わらず厳しく、気温もなにもやる気が起きないほど湿って、暑い。
「…夏…って、こういう事か…」
今までの人生の大半を宇宙で過ごして来たキラにとって、この温度と湿度は辛い。けれど、目的があって外に出て来たのだからそれを果たすくらいなら、と楽観したのがいけなかったのかも知れない。
青い空の下、気が遠くなりそうな数の同じ制服の群れの中から、目的のたった一人を探してキラは視線を巡らせる。視力は人並みでも、これだけ数がいる上にさっきから時折襲う眩暈に邪魔されて、思うように作業は捗らなかった。
「…困った、なあ…」
そう呟いた時、目の前の群れから誰かが近づいて来た。近付くにつれ、その人影が探していた人物だと分かると、キラは安堵の溜息を吐く。本人に自覚がないとは言え、キラは目立つ。だから、どちらかと言うと向こうに探してもらった方が早い。
どうしたんですか、と言うカイに笑みを返す。どうしても、眉間に皺が寄ったまま。直さなくては、と思うだけ思ってはいるのだけれど。
「…探してたんです、あなたを。」
手伝って貰いたい事が出来て、と言うとカイは少し変な顔をした。
「…許可、もらってきます。」
それに、お願いしますと言ってキラは頷く。頷いたつもりだった。
「…え…?」
ぐらり、と視界が大きく歪んだ。甲高いような音で耳鳴りがして、身体が傾いて行くのが自分でも分かる。分かっていても、両足に力が入らない。
霞んだ視界の中で、カイがなにか言っている。目に映った光景のすべてに、音がない。
とても必死な副官の顔を見て、そんな顔も出来るんだな、と妙なところに感心しながら、糸が切れるようにキラの意識はそこで途切れる。
ポケットから摺り抜けて落ちた携帯端末がけたたましく呼び出し音を響かせたのはその直後だった。
作品名:君のいる、世界は06 作家名:綾沙かへる