君のいる、世界は08
何処か寂しそうに、キラは微笑んだ。
まだ、思い出すのは辛いんですが、と言って。
広く採られたガラス窓の向こうを見詰めて、キラは静かにそこへと近付いて行く。窓の向こうは、広く闇が広がる空間。所々に灯った明かりだけが、闇の中に浮かんで見える。
「…格納庫、ですか…?」
カイの言葉に、キラはゆっくりと頷いた。
「そう、格納庫。…たった一機の為だけに作られた。」
だから本当に秘密基地なんです、と言って笑う。
「…見えますか。」
手招きするようにキラは手のひらを軽く振った。それに応えるように、カイもゆっくりと窓に近付く。それを確認してから、キラはコンソールの上に並んだキーを軽く叩いた。
暗闇の中に、一条の光が走る。その中に、白く浮かんだ機体。地球連合軍の中にあるモビルスーツの、どれとも違う機体。フォルムとしてはフラガの専用機、ストライクに似ている気がする。けれど、それは何処か神々しくさえ感じられて。
「…これが…」
戦争を終らせたモビルスーツだと。確信があった訳じゃなく、ただ直感だった。話の流を考えれば、キラに関わりのあるものなのだろうと言う想像は付く。それがなく、突然これを目の前にしても同じ感想を持っただろう。
「僕も、戦争が終ってから初めて見ます。…これが、ここにある事だって最初は信じなかった。直してあるとは、思わなかったから。」
酷い状態だったと、キラは言う。片腕、片脚、頭部ユニットを無くし、辛うじてコックピット周辺だけが残っていて、それでも宇宙に放り出されてしまうほど。
「残しておいた事に、意味があるとは思えない。同じくらいに、僕が今、生きている事に意味があるとは思えない。…僕は、この世界に存在してはならないのだと、そう言われて。」
キラの視線は、窓の向こうに注がれたまま。その表情は窺い知れないけれど、細い肩が微かに震えていた。
「…僕は、確かにこれに乗っていた。たくさんの人を傷付けて、命さえ奪ってしまった。本当は、あの時消えてしまっても良かった。だけど、あの人が、…ってる、なんて、言うから。」
生きて、償える事があるかもしれないから。
泣いているのかも知れない、と思った。けれど、ゆっくりと顔を上げて振り返ったキラは、穏やかに微笑を浮かべていて。
「…ズルくて、ごめんなさい。本当は、あの時ちゃんと伝えれば良かった。」
カイが、ハーフだと告げた日に。あの時のキラは、驚くと同時にそれを伝えるかどうかを迷っていたのだ。あの日から、今まで。
キラの経歴は全部嘘だと言う事になる。渡された資料は、事実に掠ってもいない。
戦争が終って組織が大きく変わると、ナチュラルだとかコーディネイターだとか、偏見を呼びそうな記述はすべて廃止されているから、それらの記載がなくても当たり前だった。それを誰かに告げるのは、全くの自由意思。
だから、カイがそれを明かしたからと言って、キラがコーディネイターであると言う事を明かす必要はない。それを良しとせずに、対等でいようと。
「…参りましたよ。」
溜息と共に呟く。
何処までも真っ直ぐな人なのだと。
辛い記憶を背負ってなお、前を向いていようとする姿。誰とでも同じ位置に立とうとする姿。
「…私も、誤解していました。」
これからよろしくお願いします、と言って差し出した手をそっと握り返したキラは、少し俯いてから有り難うと言って微笑った。
「それじゃあ、秘密基地らしい事を。」
ひとしきり誤解が解けた所で、キラは一枚のカードを取り出した。目の高さで軽く振ったそれを見て、カイはなんですかそれ、ときょとんとした表情で聞き返す。それは、とても歳上の青年が見せる表情とは思えなくて、キラは唇に笑みを乗せる。
「…連帯責任、と言う事で。ここへの出入りは自由です。ただし、フリーダムは僕のIDカードがないと動かないし、発進シークエンスはこのカードがないと起動しません。」
キラの言葉に、カイはまさか、と呟いて目を見開いた。
「察しが良くて嬉しいですよ…そう、これは今日からあなたのIDカードになります。」
顔には笑みを乗せたまま、キラは最後の賭けに出た。これまでのことはただの状況説明で、このカードを受け取るか否かで彼との関係は変わる。
この場所も、カードも、最重要機密に属する。これを受け取ったと言うことはすなわち、この事をそれこそ墓の中まで持って行く覚悟がなければならない。
「…受け取るかどうかは自由です。だけど、あの人が信じた人を、僕も信じたいから。」
自分が背負ったもの。その大きなものを、なにも知らない青年にも背追わせてしまうかも知れない。絶対、はないから、いつかその手を罪に汚してしまうかも知れない。
それでも。
「あなたを、信じます。」
その時、その場所で、震える指先が受け取った薄っぺらいカード。
いつでも自分の正しいと思うことをしなさい、と父親は言っていた。その父親はコーディネイターで、戦火を逃れて避難する途中に戦闘に巻き込まれて亡くなった。叔母と、幼かった従姉妹も一緒に。
別れ際に父の残した言葉は、カイを地球軍に志願させた。コーディネイターだった父は、ザフトのモビルスーツによって命を落としたから。
戦争が終わって、納得するかしないかは別としても、ここに自分がいる意味がなくなってしまったのも事実。
この薄っぺらいカードは、理由をくれるのだろうか。
信じたいと言ってくれたこの人を、カイも信じたかった。きっと、この先何があっても、この人はそのすべてを以って立ち向かうのだろう。
悲しい記憶を、繰り返さないために。そのために必要な力を、けして違えることなく使うのだろうと。
「…わかり、ました。」
少しだけ逡巡した後そう言って差し出されたカードを受け取ると、キラはとても嬉しそうに微笑った。
初めて見る、綺麗な笑顔だった。
残暑厳しい、空を見上げる。
薄暗い地下施設を出た直後だから、光が痛いほど目に沁みた。
建物沿いの木陰を歩きながら校舎に戻りかけると、キラが不意に立ち止まる。独特のモーター音を響かせて自己主張を繰り返すそれをポケットから出して、キラは微かに眉を寄せた。そうして、まあいいか、と呟いたきり電源を落としてしまった。
一連の動作を視線で追っていたカイは、その表情から電話の向こうの相手を窺い知る。
「…いいんですか、フラガ中佐でしょう?」
緩みかけた頬を自分の手で軽くたたいていたキラは、その言葉に苦笑して、いいんですよ、と言った。
「どうせ、どっかから見てると思うし…あ、そうでした、ルシナ少尉。」
まるで花が飛んでいそうな笑みを浮かべると、キラはいい機会なので、と続ける。
「…今日から、僕のことはキラと呼んでください。僕も、カイ、にしますから。」
軍は嫌いなんですよねぇと少し照れたようにそう言って、キラは駄目ですか、と首を傾げる。十九歳という年齢にはそぐわないほどの可愛らしい仕種に、カイは溜息を零した。たぶん、本人には少しも自覚なんかない。
「…他に誰もいないときは、努力しますよ。」
作品名:君のいる、世界は08 作家名:綾沙かへる