フラキラ ほか01
星の綺麗な夜に
生きるもののいないところで静かに呟く
ありがとう、あなたに出会えた事に感謝します
あの日から随分と時間が流れたから。
あの人に会いに行こうと思った。
「…キラ?」
幾分控え目に掛けられた声に、読んでいた本から顔を上げる。その視線の先でドアから動こうとしない友人に、どうしたのと静かに声を掛ける。多分、静かにそう言えたはずだったけれど、その言葉を聞いたサイは辛そうに視線を逸らす。
「…なに、どうしたのサイ。」
そこに縫い止められたように立つ友人にもういちどそう言って促すと、ゆっくりと歩き始める。
「…これ、艦長から預かってきたから。」
そう言って差し出されたもの。
細いチェーンに繋がれた、金属の欠片。
「多分、キラには…必要だろうって。」
持っていて欲しかったのは、本当はこんな小さなものではないけれど。
これを受け取ってしまったら、認めてしまいそうで。
差し出された友人の手のひらを見つめたまま、目を見開いて。
「…そう…」
悲しいとか、辛いとか、そういう感情はとっくに何処かに落として来てしまった。多分、自分でもそうと分かるほどだから、周りにいる人達にはもっとよく分かっているのだろうと思う。ただ、そこにいるだけ。呼吸をして、会話をしているけれど。なにも感じないし、なにもしようと思わない。考える事を拒絶して、ただ短調に羅列してある文字を追って、理解はせずに文字だけを認識する傍から記憶は抜け落ちて行く。
最後の戦闘から記憶は曖昧で、限界を越えた身体は深い休息を必要とした為に、知らない内に強制的にどこかの医療施設に押しこまれていて。目が醒めると真っ白な空間にひとりきりで。記憶を掘り起こそうとすればするほど、その欠片は浮かんでは細かく砕けて行って、そのうちにどうでも良くなってしまう。そうして、頭は勝手に考えることを止めてしまった。
手のひらを見つめたまま動きを止めたキラに溜息をついて、サイは投げ出されたままのキラの薄い手のひらに金属の欠片を落として、柔らかく握らせる。それが摺り抜けてしまわないように。
「…渡したからな、キラ。」
呟くようにそう言って、サイは虚ろな瞳に背を向ける。用事はそれだけだからと、友人は告げる。部屋を出るその最後まで、彼はキラと視線を合わせようとはしなかった。
「…もう、いいよ、サイ」
キラはそう呟いて、唇の端を少しだけ上げる。
「もう、ここには来なくてもいい。」
僕のことは、忘れてくれていいから。
言葉の端にそう乗せて、キラは微笑う。多分、記憶の中に微かに残る自分の、平和で幸せだった頃の顔を浮かべて。今、ようやく手に入れたはずの。
「…それがお前の望みなのか…?」
振り返る事もせずにそう答える友人に、見えなくともキラは頷く。
「…僕は、みんなと同じ所には…戻らないから。」
静かに、それでもはっきりと。
ここに訪れるカレッジの友人たちに等しく告げた言葉。寸分違わず機械のように、きっと何度も同じ事を繰り返している。決まってそれは、ここを出て行く時に限ってキラの口から零れるように勝手に紡がれる言葉。
「…そうか。」
友人の返答も、いつだって同じ言葉。繰り返される不毛な会話。会話と呼べるかどうかすら疑わしい、一種の儀式のように。
あの頃に戻れないのは分かり切っていた。自分の操る力で、誰かの命の灯火を消してしまった時に。
流れた時間は二度と戻らない。失われた命も、二度と戻らない。戦場にいても、直接誰かを殺めたわけではない友人たちは、遠く、ようやく訪れた光の中に立っていて。考える事をやめた血まみれの自分は、暗闇の中を歩いて行くしかなくて。もう、生き物として生きているとは言えなくとも。
友人が出て行った室内は、再び静寂が訪れる。
地球の方がいいだろうと誰かが言っていた。柔らかく射し込む陽射しに目を細めて、青く高い空を見上げる。宇宙にいた時の厚いものではなく、薄く透明なガラスを通して片方の腕だけを暖めて。ここが何処なのかは知らないし、知ろうとも思わない。緩やかに太陽が登っては落ちていく光景を何度も見て、地球にいるんだなと言う認識を改めるだけ。
キラは眠りに落ちることが嫌だった。身体が拒否していて、けれど睡眠を取らなければ確実に衰弱して最後は多分死んでしまう。理屈では理解しているし、時折目を閉じてみるけれど、生きる事に執着していない自分が睡眠を取っても無駄だろうと頭の中では考えている節があって意識が途切れることはない。
それに、眠ると浮かんでくるのはあの人のことばかりで。曖昧に浮かんでは消えていく、壊れた想い。ベッドサイドに誰かが置いて行ったパソコンのように、脳の中のメモリに記憶されたデータをただ呼び出しては、それが壊れたファイルのように正常に再生されずに削除されているような、何処か遠い所の光景。
「…これ、どうしろっていうんです…?」
手のひらに残る、金属特有の固く手冷たい感触にキラは呟く。
幾つか用意された感想のパターン。友人すら外見の特徴を照合して、データを呼び出した機械が勝手に決まった台詞を脳に送って声帯から再生しているだけ。
いまさら受け取っても遅すぎる。
虚ろに窓の外に向けられた視線は、一度も手の中にあるものを見ようとはしなかった。
いつ訪れてもその光景は変わることはなく。
「…また、点滴増えてるぞ、キラ。」
溜息混じりに呟く言葉も、キラには届いていないのだろうとアスランは思う。聞いてはいるし、返事もするけれど、それは短調で平坦な、感情が欠片も見られないただの音としてアスランの耳に入る。
「…そう?」
ゆっくりと窓から視線を剥がしたキラはそう言って微笑う。精巧に作られた人形が、永遠に変わらずに浮かべる微笑と同じような、酷く冷たいその表情。
恐らく、どれくらい時間が流れたとしても、キラの時間は動かない。戦争が終って既に半年。それだけの時間が流れても、キラは相変わらずここから出ることは出来ず、感情の欠落した表情でただ窓の外を眺めて、冷たい笑みを浮かべて。そうやってただここに存在しているだけ。
キラの事については、その出生も含めて最重要機密扱いになっている。ここにいる事すら、ごく一部の人間しか知らない。知っていて、見舞いに訪れた誰もが口を揃えてもう来ないだろうと言う。キラが世界を拒絶していることは誰が見ても分かる程で。それは訪れた誰もが、戦争の傷跡を抉られるように見せつけられている事と同じ。
キラと共に護った筈の世界は、彼の中ではもう要らないのかも知れない。
たった一人の人がいないだけで。
いつ訪れても変わらないキラの様子に、それでもと思ってアスランは持ってきた花を花瓶に移した。枯れかけた花は屑籠に放り込んで、柔らかく甘い芳香を漂わせるそれをサイドテーブルに移した所で、その後ろに置かれたものに目を留める。長く伸びたオレンジ色の西日を受けて輝くそれに指先で触れると、ずっとアスランの行動を視線だけで追っていたキラの表情に始めて変化があった。
「…キラ?」
浮かんでいた笑みは消えて、虚ろだった目を見開いて。
「…ダメ…だよ…」
生きるもののいないところで静かに呟く
ありがとう、あなたに出会えた事に感謝します
あの日から随分と時間が流れたから。
あの人に会いに行こうと思った。
「…キラ?」
幾分控え目に掛けられた声に、読んでいた本から顔を上げる。その視線の先でドアから動こうとしない友人に、どうしたのと静かに声を掛ける。多分、静かにそう言えたはずだったけれど、その言葉を聞いたサイは辛そうに視線を逸らす。
「…なに、どうしたのサイ。」
そこに縫い止められたように立つ友人にもういちどそう言って促すと、ゆっくりと歩き始める。
「…これ、艦長から預かってきたから。」
そう言って差し出されたもの。
細いチェーンに繋がれた、金属の欠片。
「多分、キラには…必要だろうって。」
持っていて欲しかったのは、本当はこんな小さなものではないけれど。
これを受け取ってしまったら、認めてしまいそうで。
差し出された友人の手のひらを見つめたまま、目を見開いて。
「…そう…」
悲しいとか、辛いとか、そういう感情はとっくに何処かに落として来てしまった。多分、自分でもそうと分かるほどだから、周りにいる人達にはもっとよく分かっているのだろうと思う。ただ、そこにいるだけ。呼吸をして、会話をしているけれど。なにも感じないし、なにもしようと思わない。考える事を拒絶して、ただ短調に羅列してある文字を追って、理解はせずに文字だけを認識する傍から記憶は抜け落ちて行く。
最後の戦闘から記憶は曖昧で、限界を越えた身体は深い休息を必要とした為に、知らない内に強制的にどこかの医療施設に押しこまれていて。目が醒めると真っ白な空間にひとりきりで。記憶を掘り起こそうとすればするほど、その欠片は浮かんでは細かく砕けて行って、そのうちにどうでも良くなってしまう。そうして、頭は勝手に考えることを止めてしまった。
手のひらを見つめたまま動きを止めたキラに溜息をついて、サイは投げ出されたままのキラの薄い手のひらに金属の欠片を落として、柔らかく握らせる。それが摺り抜けてしまわないように。
「…渡したからな、キラ。」
呟くようにそう言って、サイは虚ろな瞳に背を向ける。用事はそれだけだからと、友人は告げる。部屋を出るその最後まで、彼はキラと視線を合わせようとはしなかった。
「…もう、いいよ、サイ」
キラはそう呟いて、唇の端を少しだけ上げる。
「もう、ここには来なくてもいい。」
僕のことは、忘れてくれていいから。
言葉の端にそう乗せて、キラは微笑う。多分、記憶の中に微かに残る自分の、平和で幸せだった頃の顔を浮かべて。今、ようやく手に入れたはずの。
「…それがお前の望みなのか…?」
振り返る事もせずにそう答える友人に、見えなくともキラは頷く。
「…僕は、みんなと同じ所には…戻らないから。」
静かに、それでもはっきりと。
ここに訪れるカレッジの友人たちに等しく告げた言葉。寸分違わず機械のように、きっと何度も同じ事を繰り返している。決まってそれは、ここを出て行く時に限ってキラの口から零れるように勝手に紡がれる言葉。
「…そうか。」
友人の返答も、いつだって同じ言葉。繰り返される不毛な会話。会話と呼べるかどうかすら疑わしい、一種の儀式のように。
あの頃に戻れないのは分かり切っていた。自分の操る力で、誰かの命の灯火を消してしまった時に。
流れた時間は二度と戻らない。失われた命も、二度と戻らない。戦場にいても、直接誰かを殺めたわけではない友人たちは、遠く、ようやく訪れた光の中に立っていて。考える事をやめた血まみれの自分は、暗闇の中を歩いて行くしかなくて。もう、生き物として生きているとは言えなくとも。
友人が出て行った室内は、再び静寂が訪れる。
地球の方がいいだろうと誰かが言っていた。柔らかく射し込む陽射しに目を細めて、青く高い空を見上げる。宇宙にいた時の厚いものではなく、薄く透明なガラスを通して片方の腕だけを暖めて。ここが何処なのかは知らないし、知ろうとも思わない。緩やかに太陽が登っては落ちていく光景を何度も見て、地球にいるんだなと言う認識を改めるだけ。
キラは眠りに落ちることが嫌だった。身体が拒否していて、けれど睡眠を取らなければ確実に衰弱して最後は多分死んでしまう。理屈では理解しているし、時折目を閉じてみるけれど、生きる事に執着していない自分が睡眠を取っても無駄だろうと頭の中では考えている節があって意識が途切れることはない。
それに、眠ると浮かんでくるのはあの人のことばかりで。曖昧に浮かんでは消えていく、壊れた想い。ベッドサイドに誰かが置いて行ったパソコンのように、脳の中のメモリに記憶されたデータをただ呼び出しては、それが壊れたファイルのように正常に再生されずに削除されているような、何処か遠い所の光景。
「…これ、どうしろっていうんです…?」
手のひらに残る、金属特有の固く手冷たい感触にキラは呟く。
幾つか用意された感想のパターン。友人すら外見の特徴を照合して、データを呼び出した機械が勝手に決まった台詞を脳に送って声帯から再生しているだけ。
いまさら受け取っても遅すぎる。
虚ろに窓の外に向けられた視線は、一度も手の中にあるものを見ようとはしなかった。
いつ訪れてもその光景は変わることはなく。
「…また、点滴増えてるぞ、キラ。」
溜息混じりに呟く言葉も、キラには届いていないのだろうとアスランは思う。聞いてはいるし、返事もするけれど、それは短調で平坦な、感情が欠片も見られないただの音としてアスランの耳に入る。
「…そう?」
ゆっくりと窓から視線を剥がしたキラはそう言って微笑う。精巧に作られた人形が、永遠に変わらずに浮かべる微笑と同じような、酷く冷たいその表情。
恐らく、どれくらい時間が流れたとしても、キラの時間は動かない。戦争が終って既に半年。それだけの時間が流れても、キラは相変わらずここから出ることは出来ず、感情の欠落した表情でただ窓の外を眺めて、冷たい笑みを浮かべて。そうやってただここに存在しているだけ。
キラの事については、その出生も含めて最重要機密扱いになっている。ここにいる事すら、ごく一部の人間しか知らない。知っていて、見舞いに訪れた誰もが口を揃えてもう来ないだろうと言う。キラが世界を拒絶していることは誰が見ても分かる程で。それは訪れた誰もが、戦争の傷跡を抉られるように見せつけられている事と同じ。
キラと共に護った筈の世界は、彼の中ではもう要らないのかも知れない。
たった一人の人がいないだけで。
いつ訪れても変わらないキラの様子に、それでもと思ってアスランは持ってきた花を花瓶に移した。枯れかけた花は屑籠に放り込んで、柔らかく甘い芳香を漂わせるそれをサイドテーブルに移した所で、その後ろに置かれたものに目を留める。長く伸びたオレンジ色の西日を受けて輝くそれに指先で触れると、ずっとアスランの行動を視線だけで追っていたキラの表情に始めて変化があった。
「…キラ?」
浮かんでいた笑みは消えて、虚ろだった目を見開いて。
「…ダメ…だよ…」