フラキラ ほか02
けっきょく、なにもかも
どうでもイイことなのかもしれないから。
床に散らばった白い錠剤。
ぷち、ぷち、とシートからそれを押し出しては転がって行く様を、ぼんやりと見つめる。
医務室から持ち出したそれは、軽い睡眠薬。眠れないことが多くて、多すぎて。短時間で熟睡を誘うそれを、持ち出した時からなにかがおかしくなっていった。
ひとつ、転がる錠剤を指先で摘み上げる。表面を指でなぞると、誰でも良く知った製薬会社のロゴが刻印から読み取れた。
舌に乗せると、微かに甘く、苦い。
緩慢な動作で、それを喉の奥に押しやって、温くなった水で胃の中へと流し込む。いくつ飲んだかは、もう忘れた。表示された用量はとっくにオーバーしていることは理解している。
単調な動作を繰り返して、錠剤を床に転がしつづける。
確実に作用する薬の効果で、視界は歪み始めていた。
アレを降りてから、ずっとこうしている。
あてがわれた自室で、ベッドに背中を預けたまま床に座り込んで。
投げ出された裸足の指先は、冷えて感覚がなくなっている。
周りに散らばった錠剤と、空のアルミシート。いくつも重なったそれが次第に数を増やして行き、本当にそれだけあるのか、それとも薬の作用でぼんやりした脳が見せる幻覚なのか、区別がつかない。
薄暗い室内で、ドアの上にある非常灯だけが自己主張するように灯っている空間。
気付くと、笑みを浮かべていた。
次第に意識は軽く、急激に重くを繰り返し、床に座っているはずなのに身体は浮いているようで。
また、人を殺したと言う事実が遠くなる。
何故戻ってきたのだろう、と繰り返し呟いて。
どうしてまだ、自分はここにいるんだろうと問い掛けて。
どうして、生きているんだろうと、自嘲して。
何もかもを忘れて、目を閉じたら。
「…もう、楽にもなれない、な…」
緩やかな思考は、そこでまた最初に戻る。
幾度目かの堂々巡りを繰り返しているうちに、それすらも遠く霞んでいって。
その深い色を湛えた瞳が、ゆっくりと閉じて行く。
かしゃん、と軽い音を立ててなにかが倒れたけれど、それを確認する気もしない。酷く重い身体を、引かれるまま重力に従って床によこたえる。ざらざらとした錠剤の感覚も、気にならないほど。
ただ、眠くて。
目の前の光景は、衝撃的だった。
白い錠剤の中に、青白い顔で目を閉じて横たわる小柄な身体。
転がってきたグラスが、つまさきに当たって軽い音を立てる。それを隅に追いやって、錠剤を踏み砕きながら近付く。
その、透き通るような頬に、触れる。
「…ッ」
触れたそれが、暖かいことに安堵して詰めていた息をゆっくりと吐き出した。微かな呼吸を確かめると、肩を掴んで抱き起こした。
「…キラ。」
軽くゆすって呼びかけても、返事はなく。
初めて見るような穏やかな寝顔に、焦燥感が募る。
「…どのくらい、飲んだんだよ…」
自分も時折世話になる見知った錠剤を確認して、嘆息する。けして強くはない、それ。けれど、多量に服用すれば睡眠薬の例に漏れず、そのまま目覚めることはない。
軽いとすら思える身体を抱き上げて、シャワールームに運ぶ。壁に背中を預けて降ろすと、勢いよく冷水を頭から浴びせた。
「…う…ん…ッ」
微かに身じろいで、薄く目を開けたキラの頬を叩いて、呼びかける。
「おい、生きてるか?」
濡れて、張り付いた髪を避けながら視線を合わせて覗き込む。お世辞にもいいとはいえない色の唇が、小さくしょうさ、と呟いたのを確認すると、流しっぱなしだった騒音の元を捻って止める。
「取り敢えず、起きてろ。いいな?」
口調をきつくしてそう言うと、焦点の合わない瞳のまま、僅かに頷いた。
だいぶ薬の廻ってきたキラにそれだけ言い置くと、明かりを点けて部屋を出た。向かう先は、食堂。正確には調理室。棚の中を漁って見つけ出したそれを、適当にグラスにあけて水を注ぐ。
飲み過ぎた錠剤を吐き出させるために、海水並みの濃い食塩水を作った。最近、まともに食事をしていない胃袋にはこれくらいで丁度いい。
途中で立ち寄ったリネン室からタオルを適当に掴んで、部屋に戻る。シャワールームを覗くと、手持ち無沙汰そうに水の溜まった洗面器に手を入れたり出したりしながら、キラは笑っていた。
その、乾いた空虚な笑みに顔を顰める。
「…キラ」
そっと声をかけると、大きく肩を震わせた。
ゆっくりとあげた顔は確かに笑みを浮かべているのに。
頬を伝って、涙が零れ落ちていた。
その表情が、酷く痛かった。
膝をついて投げ出された手にグラスを持たせる。力のないそれは、その細い手ごとささえてやって漸く持つことが出来るほどで。
少しだけ、表情をきつくしながらグラスを唇に寄せる。
「…?」
目の前に出されたそれを不思議そうに眺めて、押されるままに口をつける。
感覚が鈍っているのか、半分程それを飲み干して、不意に顔を歪めた。
「…ッ、なに…ッ」
微かなうめきの後、激しく咳込み始める。丸められた背中を擦ってやりながら、飲み込んだ錠剤を吐き出す手助けをする。
胃液と、溶け掛けた錠剤を多量に吐いて荒い呼吸をしばらく繰り返した後、不意に身体がぐらりと傾いた。
---------------
覚醒するのはイヤだった。
深い所で眠っているのは楽だった。
目を覚ませば、また悲しい現実が壊れた笑みを浮かべながら、両手を広げて待っている。
それでも目覚めはやってくる。
重い瞼を開けると、金色のもので視界が塞がっていた。毛布の下から手を延ばすと、ごく近い距離でそれに触れた。
柔らかくて、暖かい。
「…しょう、さ…」
乾いた喉の奥で呟いても、ベッドの端に顔を埋めて眠っているらしいその人は気付かない。
鈍い痛みを訴える頭の中で、必死に記憶を呼び戻す。いつものようにそれを握って部屋に戻った所までは覚えていた。そのあとは酷く不鮮明で、途切れ途切れに残っている欠片を合わせてみても、どうしてこの人がここにいるのかが解らない。
無理な姿勢で眠るその人を起こさないように、ゆっくりと起き上がる。ベッドについた手に身体の重みがかかって半分沈んでも、起きる気配もなく。自分の身体にかかっていた毛布を半分に畳んで、その肩から掛けた。
床に下ろした足の裏に、白くて固い粒が触る。
白い、錠剤。
「…ッ」
ずき、と頭の奥が音を立てた。
その助けを借りて、眠るつもりだった。いくつか飲んだことも思い出した。けれど、その床に散らばる錠剤の数には覚えがない。申し訳ない程度に纏められたそれは、床の上に白い模様を描いている。
それを見ていると、唐突に吐き気が襲って来た。口許を押さえたまま、ふらつく足取りでシャワールームに向かう。その手前で壁に手をついて、落ちつけ、と言い聞かせながら目を閉じた。背筋が粟立つような不快感をなんとかやり過ごして目を開けると、裸足の指先から伝わる感覚に軽く目を見開いた。
「…なんで、濡れて…?」
どうでもイイことなのかもしれないから。
床に散らばった白い錠剤。
ぷち、ぷち、とシートからそれを押し出しては転がって行く様を、ぼんやりと見つめる。
医務室から持ち出したそれは、軽い睡眠薬。眠れないことが多くて、多すぎて。短時間で熟睡を誘うそれを、持ち出した時からなにかがおかしくなっていった。
ひとつ、転がる錠剤を指先で摘み上げる。表面を指でなぞると、誰でも良く知った製薬会社のロゴが刻印から読み取れた。
舌に乗せると、微かに甘く、苦い。
緩慢な動作で、それを喉の奥に押しやって、温くなった水で胃の中へと流し込む。いくつ飲んだかは、もう忘れた。表示された用量はとっくにオーバーしていることは理解している。
単調な動作を繰り返して、錠剤を床に転がしつづける。
確実に作用する薬の効果で、視界は歪み始めていた。
アレを降りてから、ずっとこうしている。
あてがわれた自室で、ベッドに背中を預けたまま床に座り込んで。
投げ出された裸足の指先は、冷えて感覚がなくなっている。
周りに散らばった錠剤と、空のアルミシート。いくつも重なったそれが次第に数を増やして行き、本当にそれだけあるのか、それとも薬の作用でぼんやりした脳が見せる幻覚なのか、区別がつかない。
薄暗い室内で、ドアの上にある非常灯だけが自己主張するように灯っている空間。
気付くと、笑みを浮かべていた。
次第に意識は軽く、急激に重くを繰り返し、床に座っているはずなのに身体は浮いているようで。
また、人を殺したと言う事実が遠くなる。
何故戻ってきたのだろう、と繰り返し呟いて。
どうしてまだ、自分はここにいるんだろうと問い掛けて。
どうして、生きているんだろうと、自嘲して。
何もかもを忘れて、目を閉じたら。
「…もう、楽にもなれない、な…」
緩やかな思考は、そこでまた最初に戻る。
幾度目かの堂々巡りを繰り返しているうちに、それすらも遠く霞んでいって。
その深い色を湛えた瞳が、ゆっくりと閉じて行く。
かしゃん、と軽い音を立ててなにかが倒れたけれど、それを確認する気もしない。酷く重い身体を、引かれるまま重力に従って床によこたえる。ざらざらとした錠剤の感覚も、気にならないほど。
ただ、眠くて。
目の前の光景は、衝撃的だった。
白い錠剤の中に、青白い顔で目を閉じて横たわる小柄な身体。
転がってきたグラスが、つまさきに当たって軽い音を立てる。それを隅に追いやって、錠剤を踏み砕きながら近付く。
その、透き通るような頬に、触れる。
「…ッ」
触れたそれが、暖かいことに安堵して詰めていた息をゆっくりと吐き出した。微かな呼吸を確かめると、肩を掴んで抱き起こした。
「…キラ。」
軽くゆすって呼びかけても、返事はなく。
初めて見るような穏やかな寝顔に、焦燥感が募る。
「…どのくらい、飲んだんだよ…」
自分も時折世話になる見知った錠剤を確認して、嘆息する。けして強くはない、それ。けれど、多量に服用すれば睡眠薬の例に漏れず、そのまま目覚めることはない。
軽いとすら思える身体を抱き上げて、シャワールームに運ぶ。壁に背中を預けて降ろすと、勢いよく冷水を頭から浴びせた。
「…う…ん…ッ」
微かに身じろいで、薄く目を開けたキラの頬を叩いて、呼びかける。
「おい、生きてるか?」
濡れて、張り付いた髪を避けながら視線を合わせて覗き込む。お世辞にもいいとはいえない色の唇が、小さくしょうさ、と呟いたのを確認すると、流しっぱなしだった騒音の元を捻って止める。
「取り敢えず、起きてろ。いいな?」
口調をきつくしてそう言うと、焦点の合わない瞳のまま、僅かに頷いた。
だいぶ薬の廻ってきたキラにそれだけ言い置くと、明かりを点けて部屋を出た。向かう先は、食堂。正確には調理室。棚の中を漁って見つけ出したそれを、適当にグラスにあけて水を注ぐ。
飲み過ぎた錠剤を吐き出させるために、海水並みの濃い食塩水を作った。最近、まともに食事をしていない胃袋にはこれくらいで丁度いい。
途中で立ち寄ったリネン室からタオルを適当に掴んで、部屋に戻る。シャワールームを覗くと、手持ち無沙汰そうに水の溜まった洗面器に手を入れたり出したりしながら、キラは笑っていた。
その、乾いた空虚な笑みに顔を顰める。
「…キラ」
そっと声をかけると、大きく肩を震わせた。
ゆっくりとあげた顔は確かに笑みを浮かべているのに。
頬を伝って、涙が零れ落ちていた。
その表情が、酷く痛かった。
膝をついて投げ出された手にグラスを持たせる。力のないそれは、その細い手ごとささえてやって漸く持つことが出来るほどで。
少しだけ、表情をきつくしながらグラスを唇に寄せる。
「…?」
目の前に出されたそれを不思議そうに眺めて、押されるままに口をつける。
感覚が鈍っているのか、半分程それを飲み干して、不意に顔を歪めた。
「…ッ、なに…ッ」
微かなうめきの後、激しく咳込み始める。丸められた背中を擦ってやりながら、飲み込んだ錠剤を吐き出す手助けをする。
胃液と、溶け掛けた錠剤を多量に吐いて荒い呼吸をしばらく繰り返した後、不意に身体がぐらりと傾いた。
---------------
覚醒するのはイヤだった。
深い所で眠っているのは楽だった。
目を覚ませば、また悲しい現実が壊れた笑みを浮かべながら、両手を広げて待っている。
それでも目覚めはやってくる。
重い瞼を開けると、金色のもので視界が塞がっていた。毛布の下から手を延ばすと、ごく近い距離でそれに触れた。
柔らかくて、暖かい。
「…しょう、さ…」
乾いた喉の奥で呟いても、ベッドの端に顔を埋めて眠っているらしいその人は気付かない。
鈍い痛みを訴える頭の中で、必死に記憶を呼び戻す。いつものようにそれを握って部屋に戻った所までは覚えていた。そのあとは酷く不鮮明で、途切れ途切れに残っている欠片を合わせてみても、どうしてこの人がここにいるのかが解らない。
無理な姿勢で眠るその人を起こさないように、ゆっくりと起き上がる。ベッドについた手に身体の重みがかかって半分沈んでも、起きる気配もなく。自分の身体にかかっていた毛布を半分に畳んで、その肩から掛けた。
床に下ろした足の裏に、白くて固い粒が触る。
白い、錠剤。
「…ッ」
ずき、と頭の奥が音を立てた。
その助けを借りて、眠るつもりだった。いくつか飲んだことも思い出した。けれど、その床に散らばる錠剤の数には覚えがない。申し訳ない程度に纏められたそれは、床の上に白い模様を描いている。
それを見ていると、唐突に吐き気が襲って来た。口許を押さえたまま、ふらつく足取りでシャワールームに向かう。その手前で壁に手をついて、落ちつけ、と言い聞かせながら目を閉じた。背筋が粟立つような不快感をなんとかやり過ごして目を開けると、裸足の指先から伝わる感覚に軽く目を見開いた。
「…なんで、濡れて…?」