sweet sour shower
「よぉ……大丈夫かよ、蘭」
「し、新一……」
新一の肩口を枕に、わたし達は二人で折り重なるように床に倒れていた。背中には新一の腕がしっかりと回っている。どうやら、はしごから落ちたわたしを、新一は自分を下敷きにして抱きとめてくれたらしい。
状況がわかってくると、新一に抱きしめられたままの体勢が、すごく恥ずかしくなってくる。顔に血がのぼってくる感覚に、慌てて新一から身体を離した。
「ご、ごめん新一……! ねぇ、怪我とかしてない? 大丈夫?」
「いや、全然。蘭こそ大丈夫だったか?」
「う、うん」
身体を起こした新一が顔をのぞきこんでくる。近づいてくる顔に落ち着かなくて、少しだけ身を引いた。すると新一は指でおでこを軽く突いてきた。わ、と思わず声が上がる。
「ったく……言ったそばからコレだな。根詰め過ぎてっから何でもないトコで足元すくわれんだ。オメーちゃんと睡眠とったか?」
「えーっと……。ここ一週間は、その、いつもより少なかったかな……」
マスクを外しつつ視線はそらすわたしに、新一はまた呆れたように言う。
「オメーは確かに体力はある方だけど、だからってあんま自分にムリさせんなよ。そんなんじゃ園子の二の舞だぜ」
「うん、そうだよね……って、わたし新一に園子のこと何か言ったっけ?」
「ああ……昨日オメーら休み時間に服の雑誌とか見て、あの店のセールがちょうど明日までーとか何とか言ってたろ。で、園子のやつはテスト疲れでダルそうにしてて、今日のオメーは暇人。大方、テスト終わりの週末の今日に出掛ける約束でもしてたけど、園子が体調崩してドタキャンってとこだろ。今朝オメーんちに寄ったのはダメ元だったけど、昼前にまだ蘭が家にいたって時点で何となく察したよ」
「まったく……よく見てるのね」
「洞察力、と言いたまえ」
人差し指を立てて軽くウインクしてみせる新一にくすりと笑う。いつだって新一には何もかもがお見通しだ。
「でもホント、おかげで怪我もしなかったし。大会前に足でも捻って練習に影響が出たら大変なトコだったよ……あ、もしかしてそこも分かってた?」
「バーロ、さすがにそんなこと考える余裕なかったっつーの」
肩をすくめてみせる新一の額に、うっすら汗が滲んでいるのが見える。その新一の向こうでは、整理していたはずの本が床に散乱していた。
そうだった。新一って、そういうヤツだった。
自分が怪我するかもしれないのに、そんなこと全然考えずに、まっ先に人のために動く。新一はいつだって迷いなく、自分の正しいって思う道を選ぶ。昔から折れることのない正義感とか、信念とか、まっすぐな道理が、きっと新一を突き動かしてるんだ。
まぁ、先月ロスに向かう飛行機の中で起きた事件を解決した新一には、推理オタクが高じたところもだいぶあったとも思うけど。でも、あの時の新一も、今の新一も、変わらず頼もしく見える。小さい頃にも、かくれんぼしてる時に外に出られなくなったわたしを、新一が見つけてくれたりしたっけ。頼りになるのはもう、ずっと前からだったんだよね。
どうして何とも思わなかったんだろう。新一のそういう、いざという時に頼りになるっていうところ。何かあった時には、きっと助けてくれるところ。
どうして今まで気付かなかったんだろう。わたしにとって新一が、特別な存在だったっていうことに。ただの幼なじみとしか思ってなかった頃が、ウソみたい。
わたし、新一が好きなんだ。
どうしてだろう。何で気付けなかったんだろう。どうしてそう思えることが、たまらなくうれしいんだろう。
「新一」
ポケットからハンカチを取り出して、汗ばんだ新一の額に軽くあてがう。きょとんとした顔でわたしを見る新一を、目を細めて見つめ返した。
ねぇ新一。悔しいけどやっぱり、あんたカッコイイよ。
へへ、と微笑むと、新一は照れくさそうに頬をかいた。
「つーかその……オメーが怪我でもしたらオレが嫌なんだよ……」
「へ?」
「……いや、何でもねー。そこの椅子座ってちょっと待ってろ」
新一は顔を背けるようにして立ち上がると、そそくさとキッチンに向かう。
しばらくして戻ってきた新一の手には飲み物のグラスがふたつ握られていた。ストローの差してある片方を受け取ると、グラスが冷たくて気持ちいい。透き通った柑橘色の中身をつうと吸い込むと、グレープフルーツの甘酸っぱい味が口いっぱいに広がる。
新一は机に腰掛けながらアイスコーヒーをあおる。
「蘭、それ飲んでしばらく休んでろ。しんどかったら家帰るなり、うちの客間使うなりしてちゃんと休めよ。掃除なんていつでもいいんだしよ」
「ありがと。でもさっきは一瞬クラっときただけだったし、後で簡単な掃除だけやるね」
「……わかった。しんどくなったら言えよ」
「うん」
本の整理に戻る新一の背中を見つめながら、ストローに口をつける。新一はわたしを気遣ってああ言ってくれたけど、本当に少し寝不足なだけだったので、すぐに掃除を再開できそうだ。わたしに本はいじれないし、とりあえず低いところの掃除を軽くやろうかな、とぼんやり考える。高いところの掃除は、また今度。
見慣れたこの家を訪ねるのが、新一に会えるのが楽しみになっただなんて、新一は知りもしないんだろうな。今日感じたわたしの気持ちをいつか新一に言ったら、どんな顔をするだろう。それとも、彼のお得意の推理力を以てして、いつか分かってしまうのだろうか。どっちだろう。どっちが、先だろう。
椅子の背もたれに凭れかかる。窓を打つ静かな雨音と、新一の指がページを繰る音を聞きながら、ゆるく目を閉じた。
作品名:sweet sour shower 作家名:アキ