6月の大気
―――その日、校長の気の利いた祝辞のあと「卒業おめでとう、諸君!」と言う言葉が合図のように、たくさんの黒い魔法使いの帽子が大広間の天上に向けて放り投げられた。
これは代々続く卒業を祝う伝統的なセレモニーの一つだった。
僕も多分にもれず、それを放った。
晴れやかなみんなの笑顔があったし、感激の涙を流している者もいた。
拍手に送られてエントランスから出ると、城の前庭には父母や在校生が待ちかねていて、卒業生たちに駆け寄ってくる。
たくさんの「おめでとう」の言葉があちこちで飛び交っていた。
僕は親友や気心の知れた友人たちに囲まれ笑い合った。
名も知らないような下級生たちが現れて、次々とお祝いの言葉を告げに来た。
それはひっきりなしにやってくるし、友人たちも何人も集まってきてみんなで記念写真を撮ろうとしたりして、その輪は大きくなる一方だ。
少し離れた場所でトンクスたち騎士団の仲間が笑って、それを見守っていた。
みんなみんな笑顔だった。
空は青く澄んで、気持ちのいい風が吹き、紙ふぶきがどこからともなく空から舞い落ちてくる。
それは魔法で作られているらしく、地面に落ちると雪のようにすぅと消えていった。
楽団の軽快な音楽。
恩師の満足げな頷き。
あちこちからドッと上がる笑い声。
泣いている女の子。
最後までふざけて、隣にいる親に叱られている者もいる。
僕はたくさんの友人に囲まれ笑いながら、視線は一人の人物を探していた。
君は歓声や笑い声に包まれた卒業生たちの人ごみの中を、すり抜けるように歩いていた。
一筋の乱れもなく整えられた服装に、丁寧に上へと撫で付けられた銀髪。
姿勢をピンと伸ばして、長いローブのすそを翻し、優雅な足取りで、お付きのものを従えず、ただひとりで君は歩いていく。
隣を行きすぎるとき、チラリと視線だけを僕に投げてよこした。
「サヨナラ」
僕にしか分からない言葉で、僕にしか分からない仕草で君は告げる。
それは潔い別れの言葉だった。
(自分の気持ちだけがこの場所に置いてけぼりでなくてよかった)
そう思って君の顔を見詰める。
本当によかった。
こんな胸をえぐるような深い悲しみなんて生まれて初めてだったけれど、僕を傷つけた相手が君でよかった。
人を好きになる気持ちも、泣きたい気持ちも、悲しい思いも、嬉しい喜びも、みんなを君から教えられた。
そして、きっと僕も君に、同じ思いを与えたんだと思う。
―――それが嬉しい。
頷きつつ、君の視線を受け止めたまま、僕は唇をぎゅっと引き結ぶと、一呼吸を置いて、同じ言葉を返した。
「サヨナラ」
声を発せず唇の動きだけで理解した君は頷き、薄っすらと鮮やかに笑った。
僕たちは別々に離れていく。
それは最初から決まっていたことだ。
通り過ぎていく君は段段とその背中が離れて小さくなり、溢れる人ごみに紛れてかき消されていく。
もう後姿しか見えない。
やがて、君は迎えに来た黒いシルエットの馬車にひとり乗り込んだ。
ゆっくりと座席に座ると扉が閉まり、きしむように動き始める。
二頭立ての馬車が走り始めた。
―――そうして君は、このホグワーツを去ったのだった――――
■END■
*卒業のお話です。別れを経験してからこその、新しい出会いがあると思うのです。