水谷文貴の体操16歳
その銀色の線は五時間目に体育をしたらいつの間にか消えていた。
部活が終わったときに栄口にも聞いたら、オレももう消えちゃった、と言っていた。銀色の水性ボールペンがふたりへ与えてくれたのは、仮初めにすぎない、すぐ消えてしまうような淡い約束だった。
でもオレはまた薬指に線を書いてとせがんだりしなかったし、栄口も特に何か言って来たりはしなかった。もっと大事なものが心の中にできた気がするから。
銀色のボールペンはオレが持ったままだった。特に何かを書いたりはしないけれど、今日もペンケースの中に入っている。時々思い出したように取り出して、授業中ペン回しに使うことがある。そういうときはたいてい同じように授業を受けているはずの、栄口のことを考えていた。
不安が全部消えたわけじゃない。今でも時々ぐらぐらすることだってある。前と違うのは、だいぶ自分で不安を抑えられるようになったことだ。銀色はもう無いけれど、左手の薬指をじっと見れば、あの輪がすぐに蘇る。
真面目でやさしいけど、少し臆病で異様に照れ屋な栄口が一生懸命考えてあんなことをしてくれたのだ。報いたい、信じたい。だからいつまでもずるずると不安を引きずったままでいたくなかった。
栄口がオレへ与えてくれたのは強さだった。もう意味も無くふらついたりしない。
作品名:水谷文貴の体操16歳 作家名:さはら