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月に恋焦がれ

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紅殻格子の向こうでは、明かりが灯り始める酉の刻。客が行き来して賑わう花街。女の苦界とも呼ばれるこの街。
「……今日も相変わらずだね」
登楼って来る客に甘い言葉を囁く遊女たち。あぁ今日も変わらない一日だな、と外を見つめた。
「甘楽」
「はい?」
「仕度しないと夜見世の時間だろう?」
今日はどの裲襠にするか?紅い長襦袢の上から色々羽織ってみる。漆の塗られた簪を持ち唇には紅。伸びた髪を結ってもらうために鏡の前に座る。
「…女の苦界ね……」
見た目は女にしか見えないのに身体は男。外にあまり出ないから焼けないせいで白い肌。本当に自分は男なのだろうか?そんな疑問が頭から離れないときもある。
「俺にとっても苦界でしかないんだけどね」
花魁と呼ばれるまでに登り詰めた。そうでもしないとこの街では生きていけないから。どうしてこの街に来たのか?今でも思い出すあの日。
「お兄ちゃん?人買いが来てるの?」
「うん、だから出たら駄目だよ?九瑠璃、舞流」
可愛い双子の妹。双子というだけで忌み嫌われてしまうのに身体が弱くて厄介者扱いをされてしまいそうになっていた。可愛い妹だ、何が出来るだろう?とちょうど人買いが来ているのを聞いて自分から赴いて行ったのだ。
「お前さん男か?」
「そうだよ。男だからいらない?」
双子だと物珍しいと買われてしまう。そんな考えからか何とか俺を買ってもらいたい、と必死に男の手を掴んだ。興味ない、といった雰囲気の男は次第に俺の話を聞いてくれるようになっていた。
「綺麗な顔だね、磨けば光る…か」
「金持ちになりたいんだよ。成り上がって美味しいご飯をたくさん食べたい」
恐ろしい子供だ、と笑って親を呼び出した。僅かなお金だけどこれであの二人は生きていける。手を引かれて連れて行かれるけど振り返れなかった。口入屋に連れて行かれて対面したのは自分の父親よりかは少し若いくらいの男。
「名前は?」
「……」
着ている物は子供ながらに高そうだ、と思っていた。村にはこんな姿の人なんていなかったから。
「いくら売られて来たとはいえ、名前くらいあるだろ?」
煙管を持った男が苦笑いを浮かべる。隣にいた男なのにやたら細い男が子供相手ですよ、と窘める。その言葉にムキになって口を開いた。
「…臨也」
隣の男はその姿に小さく笑う。馬鹿にされたみたいで不満に思っていたらあまりからかうなよ四木、と言われた男が俺の顔を見て確かに面白いガキだ。と笑う。
「うちで買おう」
人買いはそれを聞いて思い通りになったと笑う。一通り見た後に一番偉いだろうと思われる男が筆を手に取る。
「その名前は捨ててもらおうか…そうだな…邯鄲の夢……甘楽、はどうだ?」
「甘楽……?」
聞き慣れない言葉に首を傾げる。名前を与えられるということは、ここからもう逃げられないということ。
「今日からお前の名前は甘楽だ。分かったか?」
「はい」
臨也という名前はもう使えないのだ。捨ててきたはずの田舎が急に懐かしくなってきた。赤い着物を与えられて同じような年頃の子供がいる部屋に入れられる。
「新しく入った甘楽だ。皆教えてやれ」
ざわつく部屋は居心地が悪い。こそこそと話す姿に言いたいことがあるなら言えばいいのに、と溜め息を漏らした。見るからに女ばかりで男なんていない。物珍しさで買われた俺を馬鹿にしているのだろうか?手を握り締めていたら、不意に襖が開いた。
「新しい奴が入ったんだって?」
覗き込む顔は同じくらいか少し上くらい。釣り目の気の強そうな男はうちの村にいた奴に似てるなぁとぼんやり思っていたら俺の顔を覗き込む。
「静雄、お前は来るなと何度……」
「女みたいだな」
溜め息混じりに若い衆がぼやく。静雄というのか。変わった名前だ、と俺が言えた義理じゃないけども。女みたい?それはよく言われて一番嫌いな言葉だった。
「はぁ?俺は男なんだよ馬鹿」
「何だって?馬鹿とか言うほうが馬鹿なんだぞ?」
「馬鹿馬鹿馬鹿」
飛び掛れば、簡単に床に崩れるから乗っかった。引っかき合いの髪の毛の引っ張り合いのとにかく久し振りに大喧嘩をしてしまったのだ。
「静雄、甘楽、いい加減にしろ」
皆が慌てる中でよく通る声。確か四木という男の声だ。周りにいた子供たちも固まって隅に行ってしまう。鋭い目付きでこっちを見て俺と静雄という奴を離した。
「だって、こいつが」
「静雄、お前はこの部屋を出なさい。甘楽、お前はこっちで説教だ」
腕を引っ張られて別の部屋に通される。正面に座った男が煙管を吸うのを横目に正座させられて睨まれるけど、不服だった。何でこんな目に遭うのだろう?悪いのはアイツなのに。
「お前はまだ自分の立場が分かってないみたいですね」
「……女みたいだって」
「女になるってことを忘れてないですか?」
着物も髪型も女のようにされる。言葉遣いも何もかも変えられる。でもまだ俺は男なのに、って思いのほうが強かった。
「…俺は男です」
「ここに売られたってことは女になるってことですよ。とにかく今日は目を瞑りますが、次からは折檻ですよ」
「………はい」
何かが零れそうになる。でもここで漏らすわけにはいかない。だって負けたようになるから。
「部屋に帰っていいですよ」
部屋に帰ってからも居心地は悪かった。ひそひそと話して笑う者、男なのにと笑う者、とにかく居心地の悪さばかりを感じてしまう。
「…最悪だ」
窓際で空を見る。紅殻格子の窓は牢屋のようで圧迫感がある。自由にはなれないんだなと今更ながら実感した。
夜になって就寝時間が来ても寝れるはずもなく。布団に入りながらぼんやりと空を眺めた。田舎の空もこんな風に綺麗な月だったな、と見ると何かがこみ上げそうになる。
「………起きてるのか?」
ぼんやりしてたら顔を覗き込まれた。昼間会った静雄って奴だ。こんな夜中に来るなんてよっぽど腹が立ったのだろうか?
「仕返しに来たの?」
「違う、いいこと教えてやるよ」
手を引かれて部屋を出る。こそこそと部屋の隙間隙間の通路を抜ければ、最上階の何もない部屋に通じていた。
「いい景色だろ?」
月に照らされた花街が見える。もう時間が時間だからぼんやりとした明かりしか見えないけど、その分月明かりで綺麗に見えた。
「すごい……」
「あそこが大門。あそこを出たら自由になれるんだって」
指差す方向には大きな門。あの門をくぐるためにみんな働いていると聞いた。
「俺もいつか出てみたいんだ」
「出れないの?」
「借金があるからな。俺は廓生まれの廓育ちだけど生活するために借金があるしな」
弟もいるし、と言って苦笑いを浮かべる。俺と同じ境遇なのかな?辛くはないの?と聞く前に平気だけどなとすぐに笑顔に変わった。
「出て饅頭たくさん腹一杯食べてみたい。客に貰ったんだ、饅頭って美味しい菓子」
「…それだけのため?」
頷いて嬉しそうに笑う。なんだそれだけのためにここにいるんだ。なんだか俺が悩んでいたことが馬鹿らしく見えてくる。
「美味しいモン食ったら嫌なこと忘れるって四木さんに聞いた」
「……ふふ、なんだそれだけなんだ」
「わっ笑うなよ」
「だって、腹一杯食べたいって、おかしくて…」
作品名:月に恋焦がれ 作家名:もみじ