学園小話3
その顔が見たかった
最初は一年は組からだったという。
それで皆本金吾経由で体育委員会に広がり、今に至るということらしい。
呆れたとぼやきながら、手ぬぐいを絞る。
「夜戻ってきたときに言わないのは、同室者に失礼だと思わないの?」
ぴちゃりと額にそれを貼り付けてやれば、言われた当人は赤い唇を尖らせる。
「……こういうときだけ、立花先輩のようなことを言うな」
「常識だよ」
「お前が常識を語るから、私がこんな目にあうのだ…」
少し喋りすぎたのか、軽く咳き込む。それに大仰なほど溜息を吐く。
体育委員会の活動中に倒れた金吾は、四郎兵衛に介抱され、滝夜叉丸が背負い保健室に連れて行った。その時点で委員長は遥か先を走っている。
は組の生徒たちで軽く戦場と化している保健室は一番重症な患者の出現に頭を抱え、滝夜叉丸にも注意を促した。その時点ではたいしたことはなかったらしいが、裏山へ残して来た他の委員を追いかけ軽くいけどんしたあとでは色々と違ったらしい。
学園に戻ってくる頃には、委員長以外の三人はそれぞれ喉に痛みを覚えていたという。
念のため保健室で薬をもらったものの、深夜には四郎兵衛と三之助は熱を出し、その部屋の同室者たちも見舞った滝夜叉丸も夕方には寝込んだ。
こうして広くて狭い学園内で風邪が大流行。さすがは組で鍛えられた風邪の力は違うと、保健委員たちが呟いていたなんて噂も聞こえてくる。
「……お前も、今日は他の部屋に泊めてもらえ」
すぐにぬるくなった手ぬぐいで喉を拭うのは、喉が痛い証拠だろう。ガラガラの声で喋らなければいいのに、口から生まれたような男は、何かと言葉を紡ぐ。
「は組風邪と同室者の奴を泊めるお人よしがいたら、顔が見てみたいね」
手ぬぐいを取り上げ、また絞って手渡してやる。喉や顔を拭う指先も、珍しく赤みを帯びている気がする。
今日は、さすがに委員会の活動は禁止。これ以上、風邪を蔓延させてはならないから当然のことだろう。
そうなれば、皆、自分の鍛錬に精を出すのがこの学園の常というもの。わざわざこの風邪引きと同じ室内にいる必要もない。なにより、四年長屋にもなってくると、空き部屋だってひとつやふたつある。
それでもわざわざこうして付き合っているのだから、すまない、とか、ありがとう、の言葉が出てきてもいいだろうに。
もっともそんな言葉が言える人格者だなんて思ってはいないけれど。
先ほど様子を見に部屋を尋ねてきた保健委員長からもらった蛤貝の蓋を開け、中の塊を指で掬う。それはざらりとした感触を与えてくるだけで、指先に何も残らない。
全部はダメだよ、ちょっと掬ってあげてね。なんて言っていたけれど、これをどうしろというのだ。結構、あの人も大雑把ではないか。
「……どうした?」
「別に」
下から見上げる側からすれば、掌をじっと見つめているようにしか見えないのだろう。首をかしげる人の疑問を流して、湯飲みなどを片付けてある籠を見る。
「おい、喜八郎っ」
「だから、風邪引きは少し黙っててよ」
箸で穿れば、薄い部分が欠けてくる。それを摘んでまだ物言いたげな男の唇に押し当てる。
「…………甘い」
指に触れる吐息は熱く、彼らしくない。もう少し大きな欠片を摘んで口元へ運べば、潤んだ瞳に笑みの色が見えた。