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【GANTZ】抱擁と祈り【加藤兄弟】

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半年もの間行方不明であった兄が、帰ってきた。兄はただいまとは言わなかった。

"今まで、辛かッたか…?"

 歩は頷くしかなかった。

 常より矮小な憤りで顔を歪めている叔母夫婦は、突然失踪した兄への侮蔑を、ことあるごとに残った歩へ浴びせた。
 例えば、学校へ行く為に玄関へ向かう。
 もう半年もたつのに、期待をして、歩は振り返る。大きな手のひらで頭を強く優しく掴んで、ちゃんと前を見ろと笑ってくれた兄は、勿論居ない。
 代わりに、濁った眼でため息をつく叔母がいた。どうして邪魔なものを置いていくのかしら。欠伸交じりに叔母の背後を通り過ぎる従兄弟が、そりゃァ、邪魔だからだろ、と嗤った。

 真相が失踪であれ死であれ歩には関係なかった。
 悪意に満ちたあの家で、歩には兄の存在だけが救済であった。もはや兄の非在が悪夢そのものであり耐えがたい苦しみであったのだ。
 しかし歩は耐えた。大好きな兄、自分を愛してくれた兄。強い兄ならばそうするだろうと、歩は顔を上げた。兄の居ない日々を過ごし、心身にねばつく悪意に晒されながら、歩は歯を食いしばり、冷たい涙を懸命に飲み込んできた。
 強くあろうと努力する少年の表情を叔母は生意気と評し貶したが、歩は決してやめなかった。誰よりも尊敬する兄に、誇れる自分で在りたかった。

 兄はいつか帰ってくる。そう望みこそすれ、その祈りが叶うと信じていたわけではなかった。
 むしろ、どこか本能的な部分、内側を奔る血の速さ、指先の温度、心臓の脈打ち、歩を構成する兄と同じモノが冷え切り、兄の非在を叫んで止まないのを、知っていたと思う。
 歩はただ一人で、泣きじゃくる真実を慰め、あやし、悲しみ、途方にくれながら、しかしずっと抱きしめてきた。自分が本当に壊れきるまでは、強い兄に相応しい、弟で在り続けたかったのだ。



「電気消すぞ?」
「あ…、待ッて」

 新品の布団の上を転がっていた歩は、電気のコードを手にしている兄をぱっと見上げる。誰の寝痕も汚れも無い、自分が初めて広げた布団からは、さっきまで一緒にじゃれあっていた兄の気配がある。何より、目の前には本物の兄がいる。見返してくる鋭い目には美しい猛獣の猛々しさと柔和な人らしい黒色が浮かんでいて、決して歩を怯えさせない。
 黄色い蛍光灯に照らされているのは、間違いなくかつての兄であり、つまりは、いつもの兄であった。

「歩」

 その声に呼ばれるだけで、歩の口元が綻ぶ。その歩の微笑につられて、兄も眼を細める。
 何処に居たの、とか、何をしていたの、とか聞きたいことはたくさんあった。しかし歩は、まだ何も尋ねていない。再会して、二人のアパートに帰る道すがら、兄が着ている黒いスーツの奇抜な造型を無邪気にからかってみて、それだけだ。
 今は、小さな“家"に、家族二人で居られる幸福が、頑なに思い出を握って冷え切り強張っていた歩の至る部分を暖め解きほぐしていく、その感触だけで十分だった。

「待ッて、もうちょッと」

 布団から飛び出して床に伸びている枕へ手を伸ばす。脇腹をくすぐられ逃れようと笑いながら身体をよじった拍子に、思いっきり蹴っ飛ばしてしまったのだ。腕をぴんと最大に伸ばしても、少し届かない。枕カバーを引っ掻きながらちょいちょいと動く指先。それを見て小さく吹き出した兄が、歩の頑張りごと簡単に取り上げ、口を尖らせて見せるその顔にぼんっとぶつけた。

「兄ちゃん!」
「ほら、さッさと寝るぞ。明日は早いんだ。これからの生活の為に、色々買い揃えなきゃ」

 数枚の衣服と布団しかない部屋を見回して兄はうんうんと頷いている。歩は兄の口から自然と零れた"明日"という意味を舌先で反芻する。寝入って、朝が来て、明日になっても、兄は居るのだ。枕をぎゅっと抱いて、歩はついつい声を弾ませた。

「何買うの?」
「うーん…ちゃぶ台はバイト先の先輩がくれるッて言うから、まず座布団とかかなァ…。あ、食器かな、最初は。うん、…まあどっちもいるからどっちでもいッか。歩はなんか欲しいのあるか?」

 不意に尋ねられ、歩は瞬きする。少し考えてみたが上手く思いつかない。ほんの数日前ならば、簡単に答えられたのに。
 ない、と言い切ろうとした歩は、見つめる兄から滲む、弟の我侭を期待する気配に気づいてしまった。真っ直ぐな眼。弟の味わった辛苦には決して見合わないが、自分に出来ることならば、なんでもしてやりたい。そういう静かな決意、兄の天然の強制に歩は真剣に困ってしまう。
 真剣に悩んでから、やっと一つ、口にした。

「兄ちゃんと一緒に見て、考える」

 今度は兄が瞬きをする番だった。大柄な体躯に似合わない小さな動きで、首を傾げる。そんな風にされても、どうしようもない。歩にはこれ以上の望みは無い。歩は話題を逸らそうと決め、枕を弄りながらもごもごと言った。

「早く寝るんじゃないの?」
「ん…、ああ。じゃ、とにかくやっぱ明日になッてからだな。でも一応考えとけよ」
「うん、わかッた」

 人の良い兄は簡単に歩の誘導に引っかかり、電気のコードを再びしっかり掴んだ。暗闇が訪れる前に、歩は布団をしっかり被ると、眼だけは兄から離さなかった。

「兄ちゃん」
「ん」
「おやすみ」
「うん、おやすみ」

 かち、かちっとスイッチが切られ、明かりが消えた。隣で布団をめくる布摩れの音がして、兄の横たわった重みが床を軋ませ、敷布団越しに歩の背に伝わる。