二次創作小説やBL小説が読める!投稿できる!二次小説投稿コミュニティ!

オリジナル小説 https://novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
二次創作小説投稿サイト「2.novelist.jp」

【GANTZ】抱擁と祈り【加藤兄弟】

INDEX|3ページ/3ページ|

前のページ
 


それを留めたのは、兄のごつごつとし骨ばっている片手だった。

 歩は眼を開いた。兄は歩の手を上から握りこみ、離そうとしない。

「歩、俺は、ずっと帰りたかった」

 前を見つめる低い声が歩をしっかり包み込む。兄の言葉は、歩の祈りと同じ響きをしていた。

「行くときも、…居るときも、帰るときも、……帰れなかッた時も…俺はずッと、お前のとこに帰りたかッた」

 片手が歩の腕が届かなかった分を、当たり前のように繋ぎ合わせ、もう片方の手が、歩の足を押さえてくれる。まるで横倒しの親子がめの姿だ。傍から見れば、きっと面白い光景だと、歩は湿った目尻を一瞬忘れてへにゃっと微笑んだ。

「お前のとこに帰るッて、帰りたいッて思ってたから、出来たことがたくさんある。……出来なかったこともあるけど」

 最後の方はぼそぼそとした呟きだったが、ぴったり密着している歩にはきちんと聞き取れた。兄が痛みと温もりの間ぎりぎりの強さでさらに歩の手を握り締める。

「お前がいてくれるから、帰る場所がある。だから帰ッてこれる。俺は、帰れるんだ、あそこから…」

 兄が何を言っているのか、歩に全ては理解できない。しかし不器用に言葉を選ぶ沈黙に混ざり合う素直な本音が必死に歩に訴えかける。歩は、ずっと年下の弟相手でも誤魔化したり見下げたりしない兄のこういうところが、大好きだった。

「だから歩。俺はお前にここに居て欲しい。俺が帰るために、お前には"こッち"で待ッててくれ」

 兄が口を噤む。歩の答えを待っているのだ。
 隣室の明るい音はいつのまにか止んでいた。この部屋にはまだ時計が無い。二人に厳密な時の流れはわからなかった。遠くで踏み切りが降りる合図が賑やかで、狭い部屋の沈黙を通り過ぎ、だんだん消えていく。
 薄く唇を噛み、歩は兄の手の中でもう一度トレーナーを掴んだ。力を込めて自分に向かってぐいぐい引っぱり、なんとか兄を反転させた。勿論兄の協力あってこその成功だ。歩の力で兄の巨体をどうにかするのはまず無理だ。二人の動作でずり落ちた掛け布団を兄はきっちり歩の首元まで引き上げた。そして兄自身はというと、肩がまるで外に出ている。
 硬く張りのある胸に頭突きをかまし、大きく息を吸い込む。仄かな汗の匂い、使い慣れた安っぽい石鹸の香り、歩を包む体温、今ここに在る全てがやはり愛しく、愛されていることが嬉しく、酷く切ない。

「どうしても…一緒に行けないの」
「…行けたとしても、連れて行かない。俺が帰ってくるから、心配するな」

 大丈夫だ、もうどこにも行かない、嘘でも言ってくれない兄が憎かった。でも、帰ってくると言う言葉を信じたかった。歩は涙の名残を全部兄の胸に押し付け拭き取る。兄は縋ってくる歩の肩に腕を回して、片手で髪を掻き回した。
 この腕がまた消えて、時間だけが無慈悲に過ぎたなら、歩は元から少ない部屋を全て開け放して、風呂もトイレも覗いて、兄の姿を求めるだろう。見つけられなければ、外に飛び出すだろう。道の向こう側からけろっと帰ってくるかもしれないと期待して扉の前に立ち、待てども待てども兄の足音が聞こえなければ、何処までも探しに直走るだろう。

(待ッてるだけなんて絶対できない。兄ちゃん)

 兄の背に腕を回すと、今度は服ではなく膚に爪を立て、生きた肉と骨を掻き抱いた。弟の荒々しいほどの必死を兄はひたすら優しく抱き返す。
 兄が揺りかごのようになって歩を前後左右にゆっくり揺する。安堵を誘う体温が母親の羊水のようであり、父親の腕のようでもあった。懐かしい。今よりもっと幼い歩が泣くと、その理由に関わらず、兄はいつもこうしてくれた。
 
 無音の時がどれだけ過ぎたのか。歩がこそこそと兄の胸に囁く。

「あのさ…俺絶対兄ちゃんよりでッかくなるから」
「は、あ?…………こんな状態で、生意気言ッてんじゃねーよ」
「絶対なるし。…兄ちゃん」
「ん?」
「明日、時計買おーな」

 時計を眺めて恐ろしく成る日が、またいつか必ず訪れると、またしても本能、鼓動で察して、歩は時計が必要だと思った。怖気を引き連れる時の経過も、受け入れなければ成らないと思った。
 寂寥を伴う幸福はまったき薄れないが、兄の願いを聞いた歩の心いっぱいに、あえかな火が灯りつつあった。惰弱で不足の身であっても、儚い祈りを懸命に唱え続けようと、生き生きしい兄に抱かれ、抱きながらにして、決意し出していた。歩自身でさえまだ完全には気づいていない、霞の向こうに聳える決意だ。涙を流して無様を晒す覚悟だった。

 兄は歩の小さな頭を見つめていたが、やがてふっと笑った。

「……ああ、時計、必要だもんな。……、なあ、もう寝ようぜ。明日、疲れちまうぞ。いろんなとこ行って、買わなきゃならない必要なものが、たくさんある」
「うん。明日ね」
「ああ。明日」

 歩がまたきつく腕を締め、兄はその背をぽんぽんと叩いた。電車が走り去る音が窓ガラスをかすかに揺らす。それからしん、と静まり返り、いつのまにか、二人の吐息は自然と重なり合っていた。兄の揺りかごも非常に緩やかになり、歩の意識もだんだん兄の熱に溶けていく。
 
 兄の手が歩の髪をくしゃっと鳴らした。歩には聞こえなかった。
 
 そして目を閉じる歩は、闇の中に蠢く悪夢全てから兄を護るという夢を見る。兄の心臓に口付けながら、この鼓動を奪おうとする暗渠をひたと睨みつけていた。





 それが兄の見ている闇底に鎮座し続ける無音の球体と同じ色をした虚無であることを、歩は知らない。
 ゆっくり眼を開いた兄が眠りに落ちる自分を見つめながら、別のものを見ていることも、知らない。

 健気な決意に胸を焦がす弟を抱きしめながら寂しい苦悩に眉を寄せ、兄もまた歩と同じ夢を見ているのだ。



「おやすみ」