砂漠の蒼
「そうだな。陛下と補佐官殿と、ジュリアスにクラヴィスか。自分の屋敷にも持っていくだろう。ならもう少し頑張らなきゃな」
「はい」
カティスが頭にぽん、と手を載せても、ルヴァはもう怯えなかった。
朝食をとった後、カティスの助言どおりルヴァはジュリアスとクラヴィスにもバラを届けることになり、カティス自身もその小さな配達人の手伝いをすることになってしまった。 女王と補佐官は休日であったのだが、ちょうど揃ってサロンでくつろいでいたところだった。
「まぁ、ルヴァ。素敵ね。どうしたの?」
普段の執務ではそういうわけにも行かなかったが、この二人はまだ新参者のルヴァをことのほか可愛がっていた。何をするのも可愛いし、嬉しい、と。ルヴァに対する気持ちを共有する三人である。
「あの、カティスと一緒に…よかったら、どうぞ」
「えぇ。もちろん。まぁ…いい香り」
おずおずと差し出されたバラには、ちゃんとオレンジのものも含まれていた。それを見つけた女王は目を細めて微笑んだ。
「カティスの庭のものなのね?それは素晴らしいものに決まっていますわ。ねぇカティス。今年もお願いしてもいいかしら」
補佐官が例のもの、と上目遣いでカティスに問う。
「あぁ、もちろん。きょうはそのバラ水用のバラを摘んできたんだ」
「そうなの。では楽しみにしていますね」
二人で抱えてきたバラのおかげで、もともと豪奢な部屋だったがよりいっそう華やかなものになった。一番輝いているのは当然女王であったが、今ルヴァの目の前にいるのは思いがけないプレゼントに喜ぶ二人の少女だ。キャアキャアと喜ぶ姿に、少しだけ驚いた。本当に、どこにでもいるただの女の子だ。ルヴァが女王や補佐官と会うのは執務や会議の場ばかりで、たまに回廊や中庭であっても挨拶だけすると逃げ帰るように引っ込んでしまっていた。次からはもっと気を抜いて、何か話が出来そうな気がする、とルヴァは感じていた。
女王と補佐官の下を去ると、カティスはルヴァの屋敷に馬を向けた。ルヴァを送るためだ。来た時と同じ様にカティスの手前に跨った。
「朝早くから動き回ったから疲れただろう。あんまり連れまわさないでくれって、お前の家の執事に怒られてしまうかな」
「そんなことないですよー。でも、ちょっと昼寝はしたいですかね」
「そうだな」
「バラも、女王も、あなたのお屋敷の人も。みんな素晴らしいです。…ありがとうございました」
いやいや、と笑ってカティスは馬の手綱を引いた。
そうだ。昨日から見てきたものは皆、カティスの大事なものなのだ。ルヴァをそれだけ許してくれたということ。ルヴァはカティスに対して嬉しさと申し訳なさで、泣きそうになった。
「……ん」
すこし、鼻を鳴らしたが、カティスは黙っていてくれる。それも嬉しかった。
馬は一度も乱れることなくルヴァを運んでゆく。あれほど怖がっていたのに、もう今ではそのリズムさえ心地良いと感じるまでに。ルヴァは泣き顔を隠しながら、馬の首筋を撫でた。
「あの…」
「うん?」
いつか、カティスにも見せてあげたい。きっと、気に入る。
本当ならば、自分の故郷の惑星に連れて行くのが一番なのだろうけれど。
私が住んでいたときから周辺では『砂の惑星』として有名だった。一部ならまだしも、もう惑星全体を砂が飲み込むほどの勢いで、女王のご加護が、サクリアが、といっているような状態ではなかった。正直いつまでも持つかわからない。守護聖として長い時間を過ごす間に、いくつかの惑星を回ることもあるだろう。ならば、故郷に連れて行くことは無理でも、似たような風景を見つけることは出来るだろう。
砂漠の夜明けは格別だ。自分しか知らない非日常。物音は一切しない。今なら花が咲きほころぶ音さえ感じられるだろう静寂。夜明け直前、星も浮かばないほどの濃紺が空に広がる。そして橙に似ている昇り始めた太陽の光。この二つが交じりあう時、それは形容しがたいほど美しい光が溢れるのだ。空は青のはずなのに、黄金色さえ近い気がする。それほど、眩しい。強い光が差し終えると、少しずつ日常が戻ってくる。音をなくしたと思われた街に、少しずつ鳥が鳴き始めて、新しい一日の訪れを教える。市場へ向かう人々の足音、路地から上がる煮炊きの匂い、子供達の駆け回る笑い声、男達のパイプの煙…。
あぁ、これらは全て砂漠の蒼と常に一緒に思い起こされる、大事なもの、だ。
バラのように切花にして手元に置くことも出来ない。ましてや写真や情報媒体に記録することも出来ない。だけど。いつか、あなたを連れて行こう。あなたなら、きっと気に入る。砂漠の蒼を見せてあげよう。砂漠の青だけじゃない。街の風景も、少し離れたところにある家畜の放牧地も、傾斜のある砂地も。たとえ、その街が自分の故郷ではないとしても。そこに住む人々が自分の知る人々でなくても。あの風景だけは、宝物だって、私の大事なものだって、言える。あなたを連れて行くことができた時は、私も一緒にグラスを傾ける頃が出来るようになっているだろうか。それも楽しみの一つだ。でも、まだこのことは黙っていよう。もう少しだけ、黙っていよう。
「ん、どうした」
急に黙り込んだので、カティスが心配してルヴァの顔を覗けば、この上ないくらい幸せそうな表情をして笑っている。カティスの不思議そうな顔を眺めながら、何でもない、と言ってルヴァはまた微笑んだ。
【終】