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善悪の彼岸

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 どこや? どこにおる?

 勝手知ったる他人の旅館内(いえ)を、金造は駆け回る。
 木で出来た廊下が軋む音を上げる。擦れ違う祓魔師が会釈をしてくるのに応える。扉からもれ聞こえる声に耳をそばだて、違う、と離れる。
 それを繰り返し、厨房近くまでやってきた時、暖簾だけが区切りのそこから聞こえた声は、紛れもなく探していた張本人のものだった。
「捕まった?」
「炎出して出張所の連中に見られたんや」
 そこには数人いるようで、何かゴソゴソやっている。
 金造は気配を殺し、入り口の壁に寄り添って聞き耳を立てた。
「―――に閉じ込めてはるわ」
「えーと…それって、奥村くんやばいんちゃう?」
 途切れつつも聞こえてくる話の流れからして、金造が一番問い質したい内容であるようだ。
「―――燐…!」
 弟のクラスメイトらしい女の子の真剣な声がした。
 止まっていた厨房内の空気が一気に動き出そうとしている気配を感じた金造は、弟を引っ掴む為に入り口の暖簾を何食わぬ顔で潜る。
「なんや、ここにおったんかいな、廉造」
「…へ? 金兄? なに?」
 突然現れた兄に驚いた廉造が、ビクリと肩を竦めた。
「金造…どうした?」
「ああ、坊、すんまへん、廉造借りまっせ。……ちょお来い、廉造」
 次期座主である坊に一礼をして、けれど有無を言わせぬ勢いで廉造を連れ出す。
「ちょ…っ!? なんやの、金兄…っ!?」
 数珠を巻いた手首を掴んで引っ張り出し、厨房から離れ、手近な部屋へ押し込む。
 出張所の貸切になっているため、空き部屋は十分にあった。
 放り込まれた廉造は、その勢いで畳の縁に足を取られ、あっけなく尻餅をついた。
 そんなことは気にも留めず、後ろ手で内扉の襖を閉めるタイミングで、結界を張る。
 こうすれば、他の部屋や廊下へは話し声も聞こえない。
「結界まで張って…ホンマなんなん? 連れ込むんやったら女の子…」
「知っとったんか?」
 結界の気配を感じ取った廉造が、兄が纏う深刻そうな雰囲気を茶化そうと発した言葉の途中で、金造はそれを奪い取った。
「―――お前、知っとったんか?」
 ゆっくりと顔を上げ、もう一度金造が問う。
「…なにを?」

「分かってるやろ? ―――あの子、今朝会うたアイツ! サタンの子やっていうやないか!! 知っとったんか、お前!!」

 金造が声をあげ、拳を壁に叩き付ける。
 しかし、対する廉造は至って冷静に向き合っているように見えた。
「……知っとるよ」
「……坊もか」
「坊も、子猫さんも、杜山さんも―――塾のみんな、知ってはる。てか、金兄なんで知っとるん?」
 畳の上に座ったまま、高い位置にある金髪を見上げる廉造の目は、ひどく真剣だった。
「おとんに聞いた。そんなコトはどーでもええ。なんで言わへんかった!? なんで隠しとった? そない危ないモンと、何で一緒に…っつうか、何でそないなモンが祓魔塾におんねや?」
「なんで奥村くんが塾におんのかは知らん。隠しとったのは、言う必要はないからや」
 それに。
 一息置いて、廉造は続ける。
「俺かて最近知ったんや。ようやっと普通に話せるようになったんえ。それをどうして、あない大勢の前でペラペラ喋れんねん」
「―――普通に話す必要なんぞあらへん。お前はアレがどんだけ危険か知らんから、そないヘラヘラしてられんねや」
「ヘラヘラて…そうでもないねんけどなぁ…」
 ぽり、とピンク色の髪を掻き、廉造は溜め息を吐く。
「ええからもう帰ってきよし。塾なんぞ危のうてやれへん。このままここにおったらええ」
「はあ?」
「あんなんがおる塾になんぞ戻らんでええ。このまま京都におり。祓魔術なら兄ちゃんが教えたる」
「アホぬかせ。祓魔塾行け言うたり、行くな言うたり…なんやの。大体そんなこと金兄が決めれるコトちゃうやろ」
 廉造がまた溜め息を吐きながら立ち上がる。
「アホて何や。兄ちゃんの言うコト聞くのが弟の宿命やろ。柔兄にもおとんにも俺から言うといたる。ええな」
 コトが落ち着くまでは、ここに篭っとり。
 兄の特権を振りかざし、否やを言わせぬ勢いで捲し立て、金造は背を向ける。
 結界を解く気配を見せない、と言うことは宣言通り『ここに篭もらせる』気らしいと気付き、廉造の怒りが爆発した。
「ふざけんなや! 俺は塾に戻るし、祓魔師になるし、奥村くんとも友達のままでおる! いらん口出ししんといて」
「何が友達や! アレはサタンの子ぉや! 悪魔やで!!」
 ふざけてんのはどっちやねん、と声を荒げて金造が振り向く。
 同じくらいに伸びた身長が、視線が、ピタリと向き合ってぶつかった。
「アレは人間と違う! 友達なんかなれる訳ないやろ!? 頭冷やせ!」
 金造が怒りに任せて廉造のシャツの襟元を掴む。
 しかし廉造も負けてはいない。
「頭冷やすのんは金兄の方や! 奥村くんのこと何も知らんくせに、アイツとかアレとか…っ! 好きなこと言うな!!」
 襟元を締め上げる兄の手を、廉造は強い力で押し返そうとした。
「お前こそ悪魔のこと何も知らへんやろ! 選りによってサタンの子ぉやと!? あの炎が何をしたか忘れたんか? アレは恐ろしい化け物なんや!!」
「うっさい! 俺の友達悪う言うな!」
「せやから友達なんかやないやろ、言うてんねん!」
「友達や! 初めて出来た、対等の友達や!!」
「―――なに言うて…友達やったら坊や子猫がおるやろ!」
「坊は次期座主候補…守らなあかんお人で、子猫さんは三輪家の若当主…お二人とも俺とは格が違う。学校の連中は『崇り寺の子の仲間』や言うて当たらず触らずやった。ホンマの友達なんかおれへんかった」
 襟元を掴んだ手が緩んだ一瞬の隙に、廉造はその手を引き剥がし、ふぅ、と一息吐いてから声を落として話し出した。
「二人が嫌いなんやない。幼馴染みやとも思てる。けど、やっぱり俺とは違うねん」
 乱れた襟を正して、廉造が真っ直ぐに金造を見つめた。
 それは、金造が今まで見たこともない弟の顔。
 ―――それは、紛れもなく、男の―――。
「そやけど、奥村くんは違う。あの子はええ人や。優しゅうて、強うて、真っ直ぐで。俺にはないもん持ってはる」
「廉…っ」
「金兄や柔兄、おとんがなに言うても、絶対譲らへんえ。奥村くんは俺の大切なと―――」
「廉造!」
 同じくらいの位置にある廉造の両肩を掴む。
 こんな風に、真っ直ぐ強い、真剣な目をする子やったか?
 金造の内側で、自問する声がどこかから聞こえた気がした。
「…心配してんねん。お前は俺の大切な―――」
 大切な、弟。
 そう続けようとして、言葉に詰まる。
「…志摩家は柔兄が継ぐし、金兄はその手助けをする。志摩家は安泰や。せやし、俺は俺の好きにやる……俺一人おらんかって、大したことないやろ」
 肩を掴む腕に、廉造の手が添えられた。
 ―――いつの間に、こんなに。
 ゆっくりと手を解き、立ち尽くす金造の横を通りすぎていく。
「俺は、友達を助けたいねん。…それだけや。分かって? 金兄」
 振り向きもせず襖に手を伸ばし、廉造が呟いた。

「―――あかん」
 それは、それだけは。

 小さく呟いた金造が、廉造を背中から抱き締めた。
作品名:善悪の彼岸 作家名:葛木かさね