ノースキャロライナ
それだけでいいって決めていたはずなのに
あたらずといえども遠からず、という教師の反応が少し気に障ったが、栄口はその不満を表情へ出したりはしなかった。教科書の一文にあった『侮蔑』の意味を問われ、「軽蔑と同じ意味ですか?」と答えたのだった。自分の解答は、ミカンを例えるときにオレンジを使って説明するようなことだと口に出してから悟った。教師は侮蔑と軽蔑では多少意味が違うのだと続け、生徒らに辞書を引かせた。
「つまり距離の問題だな。面と向かって相手へ『バーカ』って言うのが侮蔑だとしたら、軽蔑は高いところから相手を見下して『バーカ』っていうようなもんだ」
「先生! ここテストに出しますか?」
一番前の席の男子生徒が率直に聞く。
「そうだな、四択とかで出すかもな」
教室中がどよめき、にんまりと顔を見合わせている生徒たちもいるのに栄口の意識はこことは別のところにあった。
侮蔑。正に昨日、水谷が自分へ投げかけてきた視線がそれだった。今まで目にしたことがなかった表情に怯み、言い訳する余裕もなかった。何か汚いものを見るように眉間に皺を寄せ、力ずくで栄口の手の内のカーディガンを奪い取り、こちらへ一度も振り向きもせず出て行った。そのぐるぐるに巻かれたマフラーとだらしなく背負われたリュックが、ずかずかと乱暴に自分の前から立ち去っていく後姿は、目に焼きついて依然として離れない。
栄口はおもむろに教科書のページをめくり、大体来週中にはこの五十年くらい前に書かれた小説の内容とおさらばできる、と大雑把な見通しを立てた。いつもは何も考えずただひたすらに黒板を書き写していたが、今日は文字ひとつ書くのも、筆記具を持つのも億劫だった。それらすべてが意味が無いことのように思えた。
まさか前々から気づかれていたのだろうか。いや、もしそうだとしたらある程度距離を置かれていたはずだ。少なくとも自分と水谷の間の距離は縮まるばかりで、遠くなる気配は今まで一度も無かったような気がする。だからオレはそれを大事にしたくて壊したくなくて、ずっと隣で笑っていられたらそれだけでいいって決めていたはずなのに。