遠くの花火、近くの残響
断ればよかったのだ。
駅中の雰囲気がいつもより賑やかなのは今日が花火大会だからだった。浴衣を着ている人までいる。おそらく皆あの電車に乗って会場まで行くのだろう。その押し寄せる人の波に逆らって栄口は駅の外へ出た。一日中太陽から照り付けられたアスファルトが、夜になった今蓄えた温度を懸命に吐き出し、どこもかしこも熱した鉄板みたいだった。その上をスニーカーでぺたぺたと素っ気無く歩く。
時計の針は花火大会の開始時刻まであと二十分を指している。まだ気持ちがどこか割り切れない。
水谷が「遠くないし行ってみようよ」と提案してきたのは一週間前だった。だが三日前、突然バイトのシフトの交換を求められ、まだ働き出して日の浅い栄口は断ることもできず受諾してしまった。
水谷へ「バイトが入って行けなくなった」と伝えたら、「マジ?」を二回繰り返し、その都度栄口がうなずくと、今度は「それって絶対やんなきゃなんないの?」と聞いてきた。バイト先での栄口の立場を説明すると、みるみるうちに水谷がぐにゃりと溶け、力なくベッドへもたれ掛かってしまった。
「ごめん」
「……うん」
「ごめんな、水谷」
再度栄口が申し訳なさそうに謝ると、水谷は低い声で長く唸ってしまった。実家のでかい猫が何かをねだるときによくこんなふうに鳴いていたことを思い出し、栄口は水谷のことがますます不憫になった。
特に今回は相手の期待がすごかった。花火を見に行くと決めた次の日、なぜか水谷は新しいサンダルを買ってきた。これを履いて会場へ向かうのだと得意げに言う。ただ催し物へ出かけるだけなのにそこまでする水谷って不思議だ。いつも水谷へ抱いている疑問がまた頭の中へ湧いたが、楽しみなのは栄口も一緒だったので、なんとなくその行為が可愛らしく思えた。
その日からサンダルは玄関の隅っこで履かれる時を待っていた。水谷が選んだにしてはシンプルなその靴を出かけるときに見ると、二人で行く花火大会のことを思い出し期待が膨らむ。しかし計画が中止になってからは、新品のサンダルがかわいそうで仕方なかった。今日出てくるときも位置が変わっていなかったということは、おそらくまだ足を通せずにいるのだろう。水谷の性格にはそういうところがある。
いざバイトが終わってみると、急げば花火が上がるまで間に合う時間帯だった。栄口は残念そうな水谷の顔を思い出し、店から出たらすぐ「今終わったけど、花火行くか?」と連絡してみたが、「いや、いーよ」ともう全部どうでもいいような声色で断られてしまった。諸手を挙げて誘いに乗ってくる相手を想像していた栄口だったから、こんなにもあっさり引き下がられてしまうとそれ以上粘る理由がどこにも見当たらなかった。あのサンダルはいいのか、とも聞き返せなかった。
駅中の雰囲気がいつもより賑やかなのは今日が花火大会だからだった。浴衣を着ている人までいる。おそらく皆あの電車に乗って会場まで行くのだろう。その押し寄せる人の波に逆らって栄口は駅の外へ出た。一日中太陽から照り付けられたアスファルトが、夜になった今蓄えた温度を懸命に吐き出し、どこもかしこも熱した鉄板みたいだった。その上をスニーカーでぺたぺたと素っ気無く歩く。
時計の針は花火大会の開始時刻まであと二十分を指している。まだ気持ちがどこか割り切れない。
水谷が「遠くないし行ってみようよ」と提案してきたのは一週間前だった。だが三日前、突然バイトのシフトの交換を求められ、まだ働き出して日の浅い栄口は断ることもできず受諾してしまった。
水谷へ「バイトが入って行けなくなった」と伝えたら、「マジ?」を二回繰り返し、その都度栄口がうなずくと、今度は「それって絶対やんなきゃなんないの?」と聞いてきた。バイト先での栄口の立場を説明すると、みるみるうちに水谷がぐにゃりと溶け、力なくベッドへもたれ掛かってしまった。
「ごめん」
「……うん」
「ごめんな、水谷」
再度栄口が申し訳なさそうに謝ると、水谷は低い声で長く唸ってしまった。実家のでかい猫が何かをねだるときによくこんなふうに鳴いていたことを思い出し、栄口は水谷のことがますます不憫になった。
特に今回は相手の期待がすごかった。花火を見に行くと決めた次の日、なぜか水谷は新しいサンダルを買ってきた。これを履いて会場へ向かうのだと得意げに言う。ただ催し物へ出かけるだけなのにそこまでする水谷って不思議だ。いつも水谷へ抱いている疑問がまた頭の中へ湧いたが、楽しみなのは栄口も一緒だったので、なんとなくその行為が可愛らしく思えた。
その日からサンダルは玄関の隅っこで履かれる時を待っていた。水谷が選んだにしてはシンプルなその靴を出かけるときに見ると、二人で行く花火大会のことを思い出し期待が膨らむ。しかし計画が中止になってからは、新品のサンダルがかわいそうで仕方なかった。今日出てくるときも位置が変わっていなかったということは、おそらくまだ足を通せずにいるのだろう。水谷の性格にはそういうところがある。
いざバイトが終わってみると、急げば花火が上がるまで間に合う時間帯だった。栄口は残念そうな水谷の顔を思い出し、店から出たらすぐ「今終わったけど、花火行くか?」と連絡してみたが、「いや、いーよ」ともう全部どうでもいいような声色で断られてしまった。諸手を挙げて誘いに乗ってくる相手を想像していた栄口だったから、こんなにもあっさり引き下がられてしまうとそれ以上粘る理由がどこにも見当たらなかった。あのサンダルはいいのか、とも聞き返せなかった。
作品名:遠くの花火、近くの残響 作家名:さはら