堕落者1
私は、自分を世界一の幸せ者だと思ってる。体に病気や怪我は無いし、空腹じゃない。家に帰ればお菓子もある。窓の向こうを見てみれば、空は青く、ちょうど鳥が飛んでいた。時計は正午を過ぎ、柔らかな日差しが教室に入ってくる。授業中外を眺める不謹慎な生徒を、躾ける憤慨は無く、悲嘆なんてものもある筈が無い。小さな不和さえ呼ばず、教室は夢現に満たされ、誰もが生温い空気の流れに身を浸し、賢く現状は維持されていた。咎める者も無く、今日もそろそろ終わるのだろう。善い事だ。だから多少礼儀がなってなくとも咎められずに済み、無意味な疑問を延々と考える事だって出来る。
人は、私の常日頃感じている幸せとやらを信じてくれるだろうか。周りに言い聞かせたところで、不明瞭な返事が返ってくるに違いない。返事すら返ってこないかもしれない。生きる事に忙しい彼らにとって、怠け者の発言はその程度でしかなく、陳腐なものでしかないだろうし、彼らにとってそれは、奇人の戯言か負け犬の遠吠えぐらいのものだろう。
私が、相手がこう考えるだろうと思索するのは、他人への偏見でしかないという屁理屈が、世の中にはきちんと用意されている。私がどう予想したところで、それは全て真実ではないと。私の目が、この色の薄い空を青と見る事が出来て、色褪せた草を緑と見る事が出来ても、その色が他人と同じように見えているという確証は無いのだから。この目玉を誰のものとも取り換える事は出来なくて、この十七年間、見聞きを共にしたこの頭の中身もまた変えられなくて、中身の違う他人の見当全てに理解を示すのもまた不可能なので、私は時々やるせない。けれど、そういった事は人と私との唯一の共通点であり、時にそれは不幸を防ぐので、満足するようにしている。
気持ちだとか、心だとか、人には分かりにくくて、人は自分の世界を信じてる。という事は、例え真実が「見えないもの」なら、人はそれを自分の世界に受け入れられるのだろうか。
「奥山に、猫またといふものありて、・・・―――」
先生が教科書を読み上げているというのに、この昼下がり、それに耳を傾けている生徒は一握りしかいない。
人は少なくとも思想を信じる事が出来る。神様がいるとか、天使がいるとか、釈迦の教えを人々は言い伝えたり、果てには、洞窟に閉じこもった男の言い分を広く人が信じたりしている。そうした大きなものでなく、小さなものに見下げていくと、妖精がいたり、化け物がいたり、はたまた妖怪がいたりする。赤の他人が自分勝手に理由や根拠を作り出してしまうほど、それら思想は多くの人々に受け入れられているのだった。人の想像から生み出されたその言葉などを都合良く解釈し、利用するといった具合に、気に入られさえすれば、思想は合理的に生かされる。
しかしそうなってしまったら、本当の、思想を生み出した本人のものとは、本質的に変わってる、に決まってる。途中で間違わなかったら、伝言ゲームが面白く無いように、ね。
こくりと、頭が下がる。一度強く目を瞑り、何度か瞬きを繰り返してから、黒板に目を凝らす。眠気眼には、白い塊が行列を成しているように見え、一時睡魔に脅かされれば、それらが不気味な形に歪んだ。見たままに書き写しながら、しかしその手を他所へ動かして、ちょこちょこ落書きをする。一、二行を書いたぐらいでは板書はとても書ききれない。先生は生真面目に口を動かしている。ノートの端に書いた落書きに、ついつい手がいって、やはり板書は書き終えていない。文字を書くには似つかわしくなく、大きく手を動かし始めたところで、チャイムが鳴り、慌てて再び黒板を見て、後悔して、落書きだらけのノートにほくそ笑んで、字とも呼べない線の羅列を踊らせた。
「凛、バイバイ」
「あ、うん、またあしたー」
友達に手を振り終え、私は、帰る。放課後、美術室が気になったが、行く気になれなかった。美術部部長は、美術室に顔を出さずに学校を後にする。
珍しい。たぶん、眠いからだ。疲れてるのかもしれない、知らないストレスもあるのかも、と、言い訳はどんどん浮かぶ。外に出ると、手のひらを仰向ける人や、傘立てを思い出して校内に戻ってくる人などを見かけ、やっぱり、今日は美術学校に行くのも止めるかと思い立った。だって、体がだるい。夜更かししてしまったせいだとは、わかってるけど。
だって、眠れないじゃない。話は、先が気になるじゃないか。一人頷く。展開やら登場人物の思いやら、気になって、読み進めてしまう。最近は馬鹿に便利で、コンピュータの電源を入れてインターネットに繋げば、アマチュア物書きの作品が見放題だ。誘惑には負ける。そして誘惑は、たった一時の覚醒剤になる。私はそのせいで眠れなかっただけだ。思わず唸り声を上げた。
折り畳み傘をリュックから出して、差す。霧吹きを吹いたような、しっとりとした雨なので、意味は無いと思われる。けれど、傘が咲き乱れる中、一人身を晒して歩く勇気は無かった。折りたたんで仕舞うのは面倒なのに。今日自転車で来ればよかった。そうだ、前だって、この前だって、びしょ濡れになって自転車を漕いだ日もあったのに、今日に限って天気予報を上辺だけ見て、嫌がりながらバスに乗ったんだ。
皆早く帰りたいだろう、バスは混む、と想像する。きっと座れないから、立って耐えなければならない。私は上手く回らない頭で考えた結果、歩いて帰る事にした。通いなれた道の、真ん中を陣取って、ひたすら足を進めた。自転車で三十分だから、歩いたらもしかして一時間半かもしれない。でも、いい口実が出来ると思う。部活に出て疲れたから美術予備校には行かないと、全くの嘘を家族に宣言できる。私はそれだけのために、湿気た道を歩いていた。疲れるだろう。それでいい。最悪、体を冷やして風邪を引いて、寝込むかもしれないが、それでいい。
漫画や本に飽きたらず、インターネットにまで手を出した、私は、歩くだけの帰宅路で、夢小説を思い出す。するとそれは容易に、私の頬を緩ませた。思い返せば、それを見つけたのはたまたまだった。小説サイトを巡っていて、ある時、それを書いているところがあった。未知の発見は、好奇心を生むに易い。私は訳も分からず、それを読んだ。読んでしまって、今に至る。実は、それを見つけてしばらく、名前変換の意義を理解しちゃいなかった。
思い出すと、溺れ、安堵して、身を任せ、体がふわふわと浮いた心地になり、まるで地から足が離れているようで、今、帰路に歩みを進めるのにさえ役に立たないというのに、私は入り浸り、共鳴し、喜び、自ら取り憑かれる。欲望に忠実なその話は、読んでいてたまに不愉快で、やみつきになる。筋道も何もあったものでない、矛盾も、人の真理でさえ気にしない、書きたいものだけが書かれている話たちは、とても愛しいと思う。だって、それこそが私の存在を凝固にする。
黒い影。
人は、私の常日頃感じている幸せとやらを信じてくれるだろうか。周りに言い聞かせたところで、不明瞭な返事が返ってくるに違いない。返事すら返ってこないかもしれない。生きる事に忙しい彼らにとって、怠け者の発言はその程度でしかなく、陳腐なものでしかないだろうし、彼らにとってそれは、奇人の戯言か負け犬の遠吠えぐらいのものだろう。
私が、相手がこう考えるだろうと思索するのは、他人への偏見でしかないという屁理屈が、世の中にはきちんと用意されている。私がどう予想したところで、それは全て真実ではないと。私の目が、この色の薄い空を青と見る事が出来て、色褪せた草を緑と見る事が出来ても、その色が他人と同じように見えているという確証は無いのだから。この目玉を誰のものとも取り換える事は出来なくて、この十七年間、見聞きを共にしたこの頭の中身もまた変えられなくて、中身の違う他人の見当全てに理解を示すのもまた不可能なので、私は時々やるせない。けれど、そういった事は人と私との唯一の共通点であり、時にそれは不幸を防ぐので、満足するようにしている。
気持ちだとか、心だとか、人には分かりにくくて、人は自分の世界を信じてる。という事は、例え真実が「見えないもの」なら、人はそれを自分の世界に受け入れられるのだろうか。
「奥山に、猫またといふものありて、・・・―――」
先生が教科書を読み上げているというのに、この昼下がり、それに耳を傾けている生徒は一握りしかいない。
人は少なくとも思想を信じる事が出来る。神様がいるとか、天使がいるとか、釈迦の教えを人々は言い伝えたり、果てには、洞窟に閉じこもった男の言い分を広く人が信じたりしている。そうした大きなものでなく、小さなものに見下げていくと、妖精がいたり、化け物がいたり、はたまた妖怪がいたりする。赤の他人が自分勝手に理由や根拠を作り出してしまうほど、それら思想は多くの人々に受け入れられているのだった。人の想像から生み出されたその言葉などを都合良く解釈し、利用するといった具合に、気に入られさえすれば、思想は合理的に生かされる。
しかしそうなってしまったら、本当の、思想を生み出した本人のものとは、本質的に変わってる、に決まってる。途中で間違わなかったら、伝言ゲームが面白く無いように、ね。
こくりと、頭が下がる。一度強く目を瞑り、何度か瞬きを繰り返してから、黒板に目を凝らす。眠気眼には、白い塊が行列を成しているように見え、一時睡魔に脅かされれば、それらが不気味な形に歪んだ。見たままに書き写しながら、しかしその手を他所へ動かして、ちょこちょこ落書きをする。一、二行を書いたぐらいでは板書はとても書ききれない。先生は生真面目に口を動かしている。ノートの端に書いた落書きに、ついつい手がいって、やはり板書は書き終えていない。文字を書くには似つかわしくなく、大きく手を動かし始めたところで、チャイムが鳴り、慌てて再び黒板を見て、後悔して、落書きだらけのノートにほくそ笑んで、字とも呼べない線の羅列を踊らせた。
「凛、バイバイ」
「あ、うん、またあしたー」
友達に手を振り終え、私は、帰る。放課後、美術室が気になったが、行く気になれなかった。美術部部長は、美術室に顔を出さずに学校を後にする。
珍しい。たぶん、眠いからだ。疲れてるのかもしれない、知らないストレスもあるのかも、と、言い訳はどんどん浮かぶ。外に出ると、手のひらを仰向ける人や、傘立てを思い出して校内に戻ってくる人などを見かけ、やっぱり、今日は美術学校に行くのも止めるかと思い立った。だって、体がだるい。夜更かししてしまったせいだとは、わかってるけど。
だって、眠れないじゃない。話は、先が気になるじゃないか。一人頷く。展開やら登場人物の思いやら、気になって、読み進めてしまう。最近は馬鹿に便利で、コンピュータの電源を入れてインターネットに繋げば、アマチュア物書きの作品が見放題だ。誘惑には負ける。そして誘惑は、たった一時の覚醒剤になる。私はそのせいで眠れなかっただけだ。思わず唸り声を上げた。
折り畳み傘をリュックから出して、差す。霧吹きを吹いたような、しっとりとした雨なので、意味は無いと思われる。けれど、傘が咲き乱れる中、一人身を晒して歩く勇気は無かった。折りたたんで仕舞うのは面倒なのに。今日自転車で来ればよかった。そうだ、前だって、この前だって、びしょ濡れになって自転車を漕いだ日もあったのに、今日に限って天気予報を上辺だけ見て、嫌がりながらバスに乗ったんだ。
皆早く帰りたいだろう、バスは混む、と想像する。きっと座れないから、立って耐えなければならない。私は上手く回らない頭で考えた結果、歩いて帰る事にした。通いなれた道の、真ん中を陣取って、ひたすら足を進めた。自転車で三十分だから、歩いたらもしかして一時間半かもしれない。でも、いい口実が出来ると思う。部活に出て疲れたから美術予備校には行かないと、全くの嘘を家族に宣言できる。私はそれだけのために、湿気た道を歩いていた。疲れるだろう。それでいい。最悪、体を冷やして風邪を引いて、寝込むかもしれないが、それでいい。
漫画や本に飽きたらず、インターネットにまで手を出した、私は、歩くだけの帰宅路で、夢小説を思い出す。するとそれは容易に、私の頬を緩ませた。思い返せば、それを見つけたのはたまたまだった。小説サイトを巡っていて、ある時、それを書いているところがあった。未知の発見は、好奇心を生むに易い。私は訳も分からず、それを読んだ。読んでしまって、今に至る。実は、それを見つけてしばらく、名前変換の意義を理解しちゃいなかった。
思い出すと、溺れ、安堵して、身を任せ、体がふわふわと浮いた心地になり、まるで地から足が離れているようで、今、帰路に歩みを進めるのにさえ役に立たないというのに、私は入り浸り、共鳴し、喜び、自ら取り憑かれる。欲望に忠実なその話は、読んでいてたまに不愉快で、やみつきになる。筋道も何もあったものでない、矛盾も、人の真理でさえ気にしない、書きたいものだけが書かれている話たちは、とても愛しいと思う。だって、それこそが私の存在を凝固にする。
黒い影。