トリカゴ 3
異例のコラボ作品が、類を見ないスマッシュヒットを打ち出し、津軽とサイケが所属するレーベルは一気に華やいだ。どこのCDショップでも在庫品薄を詫びる触れを張り出し、売り上げ数だけを見れば、音楽業界黄金期の再来を思わせる程その数字をたたき出していた。それでも、やはりどこか『現実ではない存在』という印象がますます強まったサイケと、あらゆるメディアに引っ張り出されることに嫌悪感を募らせていく津軽。ただいい歌を歌えたという充足感は、そんな好奇の目を向けるメディアやディレクターどもにあっという間に蹴り飛ばされてしまった。
さらに、あまりの人気と一種の時代を築いてしまった勢いに、レーベルの上層部がまた一つ、アルバム製作を打診した。
作曲を担当するサイケが、津軽とのコラボだということを聞いた途端頭を縦に振った。しかも、この波に乗れといわんばかりに制作期間は短い。最初は渋っていた津軽だったが、製作に没頭したいという理由でメディアから逃れられると新羅からも説得され、それはいい考えだと乗ってしまった。
一つの作品を作るとなれば、プロデューサーやデザイナーが大体のイメージを固めて取り組むこともあるが、サイケの感性やその性格から誰も指図することはない。期間が短い、しかも津軽とコンビを組んでの作業となれば何かと雲行きが怪しくも思える。それでも、レーベルの上層部、果てはそのバックも絡んでの計画の下、部下である波江や新羅は腑に落ちない苛立ちを抱えながら津軽とサイケをサポートするだけだった。
計画の流れは承諾されたが、次に問題となるのは作業する場所だった。
極度の対人恐怖症であるサイケが、レーベルご用達のレコーディングスタジオまで来るわけにはいかない、サイケが打ち込んだ曲をスタジオで待機する津軽に渡し、それからレコーディングするとなれば手間もかかってしまう。
それなら、サイケの住居にはレコーディング室も空き部屋もあるのだから、一緒に住めばいいじゃないかと合理的で、津軽の逆鱗に触れる案しか残されていなかった。
「俺がいい間違っていなけりゃよ、新羅。俺はあいつを気に食わねえって散々言ってなかったか?」
静かに凄む津軽の口元が、どうにか笑おうと見せてはいるがその端々が引きつって吊り上げているだけだ。声も無理に怒りを押さえ込むかのように震えてしまっている。そんな津軽と対する度に胃を痛めてきた新羅は、どうにか痛む胃をさすりながらできるだけ穏やかに笑って見せる。
「や、うん、知っているよもちろん。だけど今回は緊急事態なんだよ、津軽」
今時代の波に乗り、それを煽動さえしている二人。その波でもたらされる利潤に目が眩んでいる上層部どもの、寝言も褒め言葉になる程の追い立てる言動から下手をすれば津軽のマネージメントを新羅から奪われかねない。仕事が減って楽になるだろうという楽観視は微塵もない。むしろ、この怒りの沸点が低い天才に、仕事を選びつつ働いてもらうまでに新羅も一方ならぬ苦労があったからこそ。それを他人が易々とできるわけがない。あっさりとレーベルを鞍替えするなど、津軽にとっては容易い事。会社にとっても、今の状況で満足に歌える津軽にとっても、新羅がぐっと堪えて板ばさみになってるこの状態が最善としか思えない。
流石にサイケとのコラボは新羅もある程度の覚悟を持っていたのだが。
「わかってくれよ津軽。君の我侭を聞いて、出来る限りの要望を叶えてくれる会社のきってのお願いなんだ。日頃のその、恩を報うためにも、半年・・・や、もっと短い時間で済むかもしれないんだから我慢してくれないか」
「同じ空間で仕事となると話が違うだろうが。俺はあいつの顔を見ながら歌えるとでも思うのか?」
サイケの楽曲を認めはしても、サイケ自身には未だわだかまりを抱えている。確かにサイケの曲で歌ってからは津軽自身にも新しい自信も生まれ、多方面からその実力を認めてもらえた。それでも、サイケと組んで歌うこととなれば、どうしてもすぐに首を縦に振ろうという気は起きない。サイケが作った曲を自分が慣れているスタジオに持ってきてもらい、そこで別に歌うことだってできるだろ、と苛立ちそのままに吐き捨てて押し黙ってしまった。
わかってはいたが、予想通りの反応に新羅も頭をがしがしと何度も掻き乱し、打つ手なしとばかりに深い溜息をついてしまう。そうできるならそうしたい、それが津軽の精神衛生上最もいい手段だ。
だが、その過程すら惜しまねば過酷なスケジュールはこなせそうにない現実。
「・・・なあ、津軽。本当にこれは僕も心からお願いしたいんだ。ここで君がどうしても会社が提示したスケジュールや手段で歌わないとなれば、僕は君のマネジメントを外されてしまうかもしれない。サイケが居るマンションに君の部屋を用意して、必要最低限の接触だけで済むようにもできる。サイケが作った曲を打ち込んで、そして君が練習して、レコーディングするとなれば半年でそうできるものじゃない。時間と手間の節約、それに」
不自然に言葉を打ち切ってしまった。考えもなしにうっかり口から出そうになった言葉は、幼馴染として津軽に縋ろうとする言葉だった。新羅が今更サイケに会って、あの時はすまなかったと言える立場ではない。だから津軽が歌を通じてサイケと接するのであれば、もしかしたら、何て期待していたばかりに。
言葉を閉じた新羅に、津軽が眉を潜めてじっと睨みつけていく。津軽が聞いて憤慨するような言葉だろうとはバツの悪そうな新羅の顔を見ればわかる。それでますます機嫌を損ねてしまい、蹴り立てるように椅子から立ち上がり津軽は部屋を出て行ってしまった。
慌てて追いかけた新羅が、どうにか津軽の腕を掴んで立ち止まらせると、その腕を振り払ってでも前に進もうとする津軽の前に転ぶ勢いで津軽の前に滑り込む。
「頼むから、津軽。君がサイケの人となりはどう思っているか重々承知だ。しかし少しでも彼の才能を認めてくれているならあいつの曲で歌ってくれないか。これで君が突っぱねてしまったのなら・・・サイケは、今度こそ歌うことも音を作ることも辞めてしまうかもしれないんだ」
これまで何度も頭を下げて津軽に仕事を依頼してきた新羅が、これまでにない気迫でその頭を膝につけそうな勢いでその頭を下げてしまう。
「・・・俺には関係ない」
売れっ子のサイケが曲を作るも歌うも辞めてしまえど、痛手を蒙るのは会社だけだ。何で俺がと違う怒りが湧き上がっていく。しかし、新羅はそう考える津軽を否定するかのように頭を振り、頭を下げたまま弱りきった声を絞り出していく。
「・・・歌も音も失ったらあいつは死んでしまうのと一緒なんだよ。津軽の才能とその歌を知ってあいつは、改めて音楽の良さに気付いてくれたはずなんだ。頼むから、今後どんな君の要求も会社に通すし都合もつける。どうか、この通り」
ふざけたように今まで頭を下げられてはきた。だが、今回の新羅の必死さは何かが違う。新羅の身が、それこそ首を切られそうだという切羽詰った感じではない、上司が怖いとも思えない。
サイケを見捨てられないという情が見え隠れする、気迫。
さらに、あまりの人気と一種の時代を築いてしまった勢いに、レーベルの上層部がまた一つ、アルバム製作を打診した。
作曲を担当するサイケが、津軽とのコラボだということを聞いた途端頭を縦に振った。しかも、この波に乗れといわんばかりに制作期間は短い。最初は渋っていた津軽だったが、製作に没頭したいという理由でメディアから逃れられると新羅からも説得され、それはいい考えだと乗ってしまった。
一つの作品を作るとなれば、プロデューサーやデザイナーが大体のイメージを固めて取り組むこともあるが、サイケの感性やその性格から誰も指図することはない。期間が短い、しかも津軽とコンビを組んでの作業となれば何かと雲行きが怪しくも思える。それでも、レーベルの上層部、果てはそのバックも絡んでの計画の下、部下である波江や新羅は腑に落ちない苛立ちを抱えながら津軽とサイケをサポートするだけだった。
計画の流れは承諾されたが、次に問題となるのは作業する場所だった。
極度の対人恐怖症であるサイケが、レーベルご用達のレコーディングスタジオまで来るわけにはいかない、サイケが打ち込んだ曲をスタジオで待機する津軽に渡し、それからレコーディングするとなれば手間もかかってしまう。
それなら、サイケの住居にはレコーディング室も空き部屋もあるのだから、一緒に住めばいいじゃないかと合理的で、津軽の逆鱗に触れる案しか残されていなかった。
「俺がいい間違っていなけりゃよ、新羅。俺はあいつを気に食わねえって散々言ってなかったか?」
静かに凄む津軽の口元が、どうにか笑おうと見せてはいるがその端々が引きつって吊り上げているだけだ。声も無理に怒りを押さえ込むかのように震えてしまっている。そんな津軽と対する度に胃を痛めてきた新羅は、どうにか痛む胃をさすりながらできるだけ穏やかに笑って見せる。
「や、うん、知っているよもちろん。だけど今回は緊急事態なんだよ、津軽」
今時代の波に乗り、それを煽動さえしている二人。その波でもたらされる利潤に目が眩んでいる上層部どもの、寝言も褒め言葉になる程の追い立てる言動から下手をすれば津軽のマネージメントを新羅から奪われかねない。仕事が減って楽になるだろうという楽観視は微塵もない。むしろ、この怒りの沸点が低い天才に、仕事を選びつつ働いてもらうまでに新羅も一方ならぬ苦労があったからこそ。それを他人が易々とできるわけがない。あっさりとレーベルを鞍替えするなど、津軽にとっては容易い事。会社にとっても、今の状況で満足に歌える津軽にとっても、新羅がぐっと堪えて板ばさみになってるこの状態が最善としか思えない。
流石にサイケとのコラボは新羅もある程度の覚悟を持っていたのだが。
「わかってくれよ津軽。君の我侭を聞いて、出来る限りの要望を叶えてくれる会社のきってのお願いなんだ。日頃のその、恩を報うためにも、半年・・・や、もっと短い時間で済むかもしれないんだから我慢してくれないか」
「同じ空間で仕事となると話が違うだろうが。俺はあいつの顔を見ながら歌えるとでも思うのか?」
サイケの楽曲を認めはしても、サイケ自身には未だわだかまりを抱えている。確かにサイケの曲で歌ってからは津軽自身にも新しい自信も生まれ、多方面からその実力を認めてもらえた。それでも、サイケと組んで歌うこととなれば、どうしてもすぐに首を縦に振ろうという気は起きない。サイケが作った曲を自分が慣れているスタジオに持ってきてもらい、そこで別に歌うことだってできるだろ、と苛立ちそのままに吐き捨てて押し黙ってしまった。
わかってはいたが、予想通りの反応に新羅も頭をがしがしと何度も掻き乱し、打つ手なしとばかりに深い溜息をついてしまう。そうできるならそうしたい、それが津軽の精神衛生上最もいい手段だ。
だが、その過程すら惜しまねば過酷なスケジュールはこなせそうにない現実。
「・・・なあ、津軽。本当にこれは僕も心からお願いしたいんだ。ここで君がどうしても会社が提示したスケジュールや手段で歌わないとなれば、僕は君のマネジメントを外されてしまうかもしれない。サイケが居るマンションに君の部屋を用意して、必要最低限の接触だけで済むようにもできる。サイケが作った曲を打ち込んで、そして君が練習して、レコーディングするとなれば半年でそうできるものじゃない。時間と手間の節約、それに」
不自然に言葉を打ち切ってしまった。考えもなしにうっかり口から出そうになった言葉は、幼馴染として津軽に縋ろうとする言葉だった。新羅が今更サイケに会って、あの時はすまなかったと言える立場ではない。だから津軽が歌を通じてサイケと接するのであれば、もしかしたら、何て期待していたばかりに。
言葉を閉じた新羅に、津軽が眉を潜めてじっと睨みつけていく。津軽が聞いて憤慨するような言葉だろうとはバツの悪そうな新羅の顔を見ればわかる。それでますます機嫌を損ねてしまい、蹴り立てるように椅子から立ち上がり津軽は部屋を出て行ってしまった。
慌てて追いかけた新羅が、どうにか津軽の腕を掴んで立ち止まらせると、その腕を振り払ってでも前に進もうとする津軽の前に転ぶ勢いで津軽の前に滑り込む。
「頼むから、津軽。君がサイケの人となりはどう思っているか重々承知だ。しかし少しでも彼の才能を認めてくれているならあいつの曲で歌ってくれないか。これで君が突っぱねてしまったのなら・・・サイケは、今度こそ歌うことも音を作ることも辞めてしまうかもしれないんだ」
これまで何度も頭を下げて津軽に仕事を依頼してきた新羅が、これまでにない気迫でその頭を膝につけそうな勢いでその頭を下げてしまう。
「・・・俺には関係ない」
売れっ子のサイケが曲を作るも歌うも辞めてしまえど、痛手を蒙るのは会社だけだ。何で俺がと違う怒りが湧き上がっていく。しかし、新羅はそう考える津軽を否定するかのように頭を振り、頭を下げたまま弱りきった声を絞り出していく。
「・・・歌も音も失ったらあいつは死んでしまうのと一緒なんだよ。津軽の才能とその歌を知ってあいつは、改めて音楽の良さに気付いてくれたはずなんだ。頼むから、今後どんな君の要求も会社に通すし都合もつける。どうか、この通り」
ふざけたように今まで頭を下げられてはきた。だが、今回の新羅の必死さは何かが違う。新羅の身が、それこそ首を切られそうだという切羽詰った感じではない、上司が怖いとも思えない。
サイケを見捨てられないという情が見え隠れする、気迫。