【6/12サンプル】rivendicazione【臨帝♀】
一
東武東上線改札口。
待ち合わせ場所に指定されたそこに、待ち合わせ相手が来ていないか姿を探す。どの時間の電車に乗ってくるかは今朝メールで伝えたから既に来ていてもおかしくないのだが、あいにく待ち合わせ相手の姿はなかった。ちょっとだけ心細さを感じて柱のひとつに凭れかかる。
なにせ僕が地元埼玉を出たのはこれで五度目。その内訳は高校入試や物件探しで、すべて今年に入ってからの出来事なのである。地元での移動手段ももっぱら徒歩、自転車、車の三つ。物心がつく前のことを除くと、電車に乗ったのは入試を受けにこの池袋にやってきた時が初めてだった。僕はある意味箱入り娘だ。ある意味と言うか、言葉そのままの意味で。埼玉という名の箱から出たことがなかった。
とは言え両親が異常な過保護という訳でもなく。多少反対はされたものの、こうして僕が親元を離れることを許可してくれた。
(あ、一応着いたって連絡したほうがいいかな……)
メールを送るために携帯を取り出そうとしたその時、ふいに視線を感じて顔をあげた。
「みーかど」
髪を金に近い茶色に染めた見知らぬ少年が自分の名前を呼んでいる。思わず「え」と戸惑いの声が漏れた。だって思い当たる人物はひとりしかいないけれど、思い出の中の少年の姿と目の前の少年の姿が重ならない。
「あれ? 紀田くん……?」
「疑問系かよー」
そう言って笑った少年の顔は、僕が幼い頃から毎日見ていた笑顔とまったく同じものだった。
「ふふん。ならば答えてやろう」と何やらネタを繰り出してきそうなところを無理やり遮って、僕は「紀田くん! 紀田くんなの! ?」と歓声をあげる。
「クッ……! 俺が三年かけて編み出した渾身のネタを披露する前に潰してくるとは……!」
「全然変わってるんだもん、一瞬誰か分からなくてびっくりしちゃったよ。髪の毛も染めてるとは思わなかった」
「んん? スルー? エブリシングスルーか? まあいい。どうだ、似合ってるだろう?」
「うんすごく。紀田くんの軽薄さがよく表れててすごく良いと思う」
「ねえ辛辣すぎない! ? 四年ぶりに会ったっていうのに幼馴染に対して辛辣すぎない! ? 帝人は俺をもっと大事にするべき!」
「そういうところは全然変わってないね」
ネットを介して毎日のようにやり取りをしていたとは言え、顔を合わせるのは小学生の時以来。会話もどこかぎこちなくなってしまうのではないかと僕は少しばかり心配していたのだが、とんだ杞憂だったみたいだ。外見は変わっていても僕らの会話は昔となんら変わっていない。
嬉しくなって、つい顔が綻ぶ。
「紀田くん背も随分伸びたんだね。昔は僕のほうが高かったのに」
「それいつの話だよー。四年も経てばそりゃ伸びますよ。逆に帝人は小学生の時から全然変わってないな。変わったのは髪の長さくらいか? すげえ長くなったなー」
真っ黒な髪の毛は腰までの長さがある。小学校五年生くらいまでは少年ばりのショートカットだった僕が髪のを伸ばし始めたのは六年生の頃だ。紀田くんが引っ越した時には肩にも届いていなかった。
まじまじと僕の髪の毛を見ていた紀田くんはある一点で視線をとめた。
「――あ、でも胸おっきくなったか?」
「紀田くん、セクハラ」
思わず真顔で怒るが、長年の付き合いのある紀田くんはその程度では怯まない。いや、怯む怯まないの問題じゃない。なにせ紀田くんの視線は胸に固定されたままで僕の顔など見てはいないのだから。
「胸がそれだけ立派だったら大変だよなー。あ、もしかしてそのジャージのような野暮ったい上着は胸のサイズを誤魔化す為に着てるのか? 確かに正確なサイズは分かりにくいけど、帝人程ともなると服の上からでも大きいってことは分かっちゃうもんだぞ~。あっ、電車で痴漢とか遭わなかったか? 帝人童顔だし大人しそうな雰囲気だし、泣き寝入りしそうだっつって痴漢に狙われやすいと思うんだけど、大丈夫だったか?」
「あのね、それ以上言うようだったら交番に紀田くんのこと突き出そうと思うんだけど、どうかな?」
確か駅前に交番があるんだよね?
「よっし! 駅中で俺たちの友情を確かめ合うのもほどほどにして外に出るか!」
笑顔で言うと、紀田くんはころりと話題を変えた。
僕が本当に痴漢に遭っていないか紀田君が心配してくれているのは僕も十分に分かっている。でもそれ以上に、僕に胸の話題は禁物なのである。
童顔のわりに大きいサイズの胸は、昔から僕のコンプレックスだった。育ち始めたのがいつだったかは思い出せないけれど、小学校四年生の三学期の時点では既にCカップあったことは覚えている。ワイヤー入りのブラを使い始めたのはもっと後になってから。でもあの頃から僕は自分の胸が嫌でしょうがなかった。
自分ひとりだけ胸の発育が良かったせいで、クラスの男子からデカパイとからかわれたのも嫌な思い出だ。紀田くんだけは胸のことでからかったりせず、他の男子から僕を庇ってくれていたけれど、そんな紀田くんも小学校卒業を待たずに引っ越してしまった。中学に入ってからも遠巻きにされるか異様にからかわれるかの二択で、やっぱり嫌な思い出ばかりが残っている。水泳の授業の時なんて全部仮病で休んでしまいたいくらいだった。もちろん休める筈もなく、ただでさえ嫌いな体育が更に嫌いになった。
僕が髪を伸ばし始めたのは、男子の目を胸から少しでも逸らそうとした為である。長い髪を前におろしてしまえば少しは誤魔化せるんじゃないかと思って、頑張って腰まで伸ばしてきた。
でもそう上手くはいかない。誤魔化せるのは通りすがりの人間くらいで、身体を向き合わせてしまうとよっぽどの厚着をしていない限りすぐにバレてしまう。
先ほど紀田くんに指摘されたように、初めて電車に乗った際、僕は痴漢に遭っていた。
僕は最初それを「傘の柄が当たっているのかな?」と勘違いしてしまった。まだ雪の降る時期で、乗客の何人かも傘を持っていたから余計だった。それに痴漢と言うと下半身を狙ってくるイメージがあったから気づくのが遅れたのだと思う。
それが傘の柄ではなく、脂ぎったおっさんの固い手だと分かったのは揉まれてからだ。
大事な入試前に痴漢を駅員に突き出している時間なんてあるはずもなく、僕はひたすら鞄でガードに徹するしかなかった。
嫌な思い出どころではない。最低の記憶である。
(地元の痴漢は露出系が多かったしなあ。遭遇したこともなかったし)
でもそれ以来電車では鞄を抱き抱え、乗車中の立ち位置にも気を使うようになったので痴漢には遭っていない。あれ一度きりだし、紀田くんに余計な心配はかけたくないから黙っておくことにする。
それにせっかく久しぶりに会ったのだし、こんな不愉快な話じゃなくもっと別の話がしたい。
「うわっすごい人……!」
エスカレーターで地上に出た瞬間、あまりの人の多さに歓声をあげた。まじまじと池袋の街並みを見るのも、十八時を過ぎたこの時間帯の池袋にいることも初めてのことだ。
入試の時も、住む部屋を探す時も、ゆっくり池袋を楽しむ余裕なんてなかった。
「土日はもっとすごいぞー。まあこの60階通りなんかは極端に人が多いんだけどな」
東武東上線改札口。
待ち合わせ場所に指定されたそこに、待ち合わせ相手が来ていないか姿を探す。どの時間の電車に乗ってくるかは今朝メールで伝えたから既に来ていてもおかしくないのだが、あいにく待ち合わせ相手の姿はなかった。ちょっとだけ心細さを感じて柱のひとつに凭れかかる。
なにせ僕が地元埼玉を出たのはこれで五度目。その内訳は高校入試や物件探しで、すべて今年に入ってからの出来事なのである。地元での移動手段ももっぱら徒歩、自転車、車の三つ。物心がつく前のことを除くと、電車に乗ったのは入試を受けにこの池袋にやってきた時が初めてだった。僕はある意味箱入り娘だ。ある意味と言うか、言葉そのままの意味で。埼玉という名の箱から出たことがなかった。
とは言え両親が異常な過保護という訳でもなく。多少反対はされたものの、こうして僕が親元を離れることを許可してくれた。
(あ、一応着いたって連絡したほうがいいかな……)
メールを送るために携帯を取り出そうとしたその時、ふいに視線を感じて顔をあげた。
「みーかど」
髪を金に近い茶色に染めた見知らぬ少年が自分の名前を呼んでいる。思わず「え」と戸惑いの声が漏れた。だって思い当たる人物はひとりしかいないけれど、思い出の中の少年の姿と目の前の少年の姿が重ならない。
「あれ? 紀田くん……?」
「疑問系かよー」
そう言って笑った少年の顔は、僕が幼い頃から毎日見ていた笑顔とまったく同じものだった。
「ふふん。ならば答えてやろう」と何やらネタを繰り出してきそうなところを無理やり遮って、僕は「紀田くん! 紀田くんなの! ?」と歓声をあげる。
「クッ……! 俺が三年かけて編み出した渾身のネタを披露する前に潰してくるとは……!」
「全然変わってるんだもん、一瞬誰か分からなくてびっくりしちゃったよ。髪の毛も染めてるとは思わなかった」
「んん? スルー? エブリシングスルーか? まあいい。どうだ、似合ってるだろう?」
「うんすごく。紀田くんの軽薄さがよく表れててすごく良いと思う」
「ねえ辛辣すぎない! ? 四年ぶりに会ったっていうのに幼馴染に対して辛辣すぎない! ? 帝人は俺をもっと大事にするべき!」
「そういうところは全然変わってないね」
ネットを介して毎日のようにやり取りをしていたとは言え、顔を合わせるのは小学生の時以来。会話もどこかぎこちなくなってしまうのではないかと僕は少しばかり心配していたのだが、とんだ杞憂だったみたいだ。外見は変わっていても僕らの会話は昔となんら変わっていない。
嬉しくなって、つい顔が綻ぶ。
「紀田くん背も随分伸びたんだね。昔は僕のほうが高かったのに」
「それいつの話だよー。四年も経てばそりゃ伸びますよ。逆に帝人は小学生の時から全然変わってないな。変わったのは髪の長さくらいか? すげえ長くなったなー」
真っ黒な髪の毛は腰までの長さがある。小学校五年生くらいまでは少年ばりのショートカットだった僕が髪のを伸ばし始めたのは六年生の頃だ。紀田くんが引っ越した時には肩にも届いていなかった。
まじまじと僕の髪の毛を見ていた紀田くんはある一点で視線をとめた。
「――あ、でも胸おっきくなったか?」
「紀田くん、セクハラ」
思わず真顔で怒るが、長年の付き合いのある紀田くんはその程度では怯まない。いや、怯む怯まないの問題じゃない。なにせ紀田くんの視線は胸に固定されたままで僕の顔など見てはいないのだから。
「胸がそれだけ立派だったら大変だよなー。あ、もしかしてそのジャージのような野暮ったい上着は胸のサイズを誤魔化す為に着てるのか? 確かに正確なサイズは分かりにくいけど、帝人程ともなると服の上からでも大きいってことは分かっちゃうもんだぞ~。あっ、電車で痴漢とか遭わなかったか? 帝人童顔だし大人しそうな雰囲気だし、泣き寝入りしそうだっつって痴漢に狙われやすいと思うんだけど、大丈夫だったか?」
「あのね、それ以上言うようだったら交番に紀田くんのこと突き出そうと思うんだけど、どうかな?」
確か駅前に交番があるんだよね?
「よっし! 駅中で俺たちの友情を確かめ合うのもほどほどにして外に出るか!」
笑顔で言うと、紀田くんはころりと話題を変えた。
僕が本当に痴漢に遭っていないか紀田君が心配してくれているのは僕も十分に分かっている。でもそれ以上に、僕に胸の話題は禁物なのである。
童顔のわりに大きいサイズの胸は、昔から僕のコンプレックスだった。育ち始めたのがいつだったかは思い出せないけれど、小学校四年生の三学期の時点では既にCカップあったことは覚えている。ワイヤー入りのブラを使い始めたのはもっと後になってから。でもあの頃から僕は自分の胸が嫌でしょうがなかった。
自分ひとりだけ胸の発育が良かったせいで、クラスの男子からデカパイとからかわれたのも嫌な思い出だ。紀田くんだけは胸のことでからかったりせず、他の男子から僕を庇ってくれていたけれど、そんな紀田くんも小学校卒業を待たずに引っ越してしまった。中学に入ってからも遠巻きにされるか異様にからかわれるかの二択で、やっぱり嫌な思い出ばかりが残っている。水泳の授業の時なんて全部仮病で休んでしまいたいくらいだった。もちろん休める筈もなく、ただでさえ嫌いな体育が更に嫌いになった。
僕が髪を伸ばし始めたのは、男子の目を胸から少しでも逸らそうとした為である。長い髪を前におろしてしまえば少しは誤魔化せるんじゃないかと思って、頑張って腰まで伸ばしてきた。
でもそう上手くはいかない。誤魔化せるのは通りすがりの人間くらいで、身体を向き合わせてしまうとよっぽどの厚着をしていない限りすぐにバレてしまう。
先ほど紀田くんに指摘されたように、初めて電車に乗った際、僕は痴漢に遭っていた。
僕は最初それを「傘の柄が当たっているのかな?」と勘違いしてしまった。まだ雪の降る時期で、乗客の何人かも傘を持っていたから余計だった。それに痴漢と言うと下半身を狙ってくるイメージがあったから気づくのが遅れたのだと思う。
それが傘の柄ではなく、脂ぎったおっさんの固い手だと分かったのは揉まれてからだ。
大事な入試前に痴漢を駅員に突き出している時間なんてあるはずもなく、僕はひたすら鞄でガードに徹するしかなかった。
嫌な思い出どころではない。最低の記憶である。
(地元の痴漢は露出系が多かったしなあ。遭遇したこともなかったし)
でもそれ以来電車では鞄を抱き抱え、乗車中の立ち位置にも気を使うようになったので痴漢には遭っていない。あれ一度きりだし、紀田くんに余計な心配はかけたくないから黙っておくことにする。
それにせっかく久しぶりに会ったのだし、こんな不愉快な話じゃなくもっと別の話がしたい。
「うわっすごい人……!」
エスカレーターで地上に出た瞬間、あまりの人の多さに歓声をあげた。まじまじと池袋の街並みを見るのも、十八時を過ぎたこの時間帯の池袋にいることも初めてのことだ。
入試の時も、住む部屋を探す時も、ゆっくり池袋を楽しむ余裕なんてなかった。
「土日はもっとすごいぞー。まあこの60階通りなんかは極端に人が多いんだけどな」
作品名:【6/12サンプル】rivendicazione【臨帝♀】 作家名:三嶋ユウ