マグカップ
ハリーは仕事が終わった木曜の夕刻、駅前のコーヒーショップへ入った。
通勤帰りの客も多く、とりあえず一息つこうとする人々に溢れ、店はかなりの混みようだった。
いつもの決まったコーヒーを注文すると、カップを持ったまま、空いている席に移動する。
いちいちウェイターに注文して、運んできてくれる店が多い中、気軽に過ごすことが出来る、こういう場所のほうが肩が凝らず、自分は気に入っていた。
午後6時半にドラコと待ち合わせをしていている。
腕時計を確認すると、かなり早く到着したらしい。
時間までノートパソコンで、プレゼン用の文章を打ち込みすることにした。
提出期日も迫っていることだし、早速カバンからそれを取り出すと、コーヒーをテーブルの端によけて電源を入れる。
低いモーターのうなる音と共に起動し、ハリーはめがねをクイと持ち上げると、その画面に集中し始めた。
約束した時間きっちりに、ドラコがやってくるのはいつものことなので、モニターの時計を確認して顔を上げると、案の定、眉間にトレードマークのようなシワを寄せて、不機嫌な顔で店に入ってくるのが見えた。
ハリーが軽く手を上げるとドラコは頷いてこちらへやってくる。
盛大にこれみよがしのため息をついた。
「どうしたの?」
キーボードから顔を上げて、気楽に尋ねる。
「コートさえ預からないのか、ここは?クロークすらない、こんな店で待ち合わせするなんて……」
ぶつくさ文句を言いつつ、自分でコートを脱いで、空いた椅子の背にそれをかけると、ドサリと向かいの席に腰掛けて、高く脚を組んで不機嫌なまま、あたりに視線を巡らせた。
「いつもこんな五月蝿い、人がゴチャゴチャ集まる店で過ごしているのか?」
「たまにね。気楽なものだろ。誰もみんな他人のことなど、一切干渉しないし」
となりの派手な笑い声を上げているグループに、低いふたりの声はかき消されそうだ。
「テーブルとテーブルの間は狭いし、内装は安っぽい作りだな。それにボーイがいくら待っても、やって来ないぞ。ここは、どうなっているんだ?」
腕を組み、神経質そうな指先で自分のあごの辺りを叩いている。
ブルーグレーの瞳が細められて、益々気難しい表情になっても、ハリーは見慣れたものだ。
「ああ、ついでに言うとね、ここはセルフだよ。コーヒーはあっちのカウンターでオーダーして、自分が運ぶんだ」
「なっ!なんだって」
まさかという顔をしたドラコに、ハリーは悪戯するように言葉を続けた。
「わたしに召使の真似をさすつもりなのか?」
「メイド代わりとかじゃなくて、ここでは自分のことは自分でするのがルールなんだ。ほら、さっさと行って、オーダーしておいでよ。そうじゃないと、100年待ってもここじゃあ、一適も飲み物が飲めないからね」
憮然とした表情のままドラコは立ち上がり、カウンターに向かっていく。
スーツ姿のサラリーマンなんか、ここには、掃いて捨てるほどいたけれど、ドラコほど、別の意味で浮いている存在はなかった。
仕立てのいい、上質すぎるスーツに、肩まで伸ばした銀髪も手入れが行き届き、高級なシガーが似合いそうな指先で、いい大人がちょっと不安そうな顔で、クイッド硬貨を握りしめている。
ハリーはそのアンバランスさに苦笑する。
こういう場面を見れるから、ホグワーツを卒業したその後でも、彼との腐れ縁が続いているのかもしれない。
―――あれからもうかなりの年数が過ぎたはずだ。
自分は卒業後マグルの世界に戻り、あまり大きくはない会社に勤めていたけど、ドラコは逆にマルフォイ家の膨大な資産を元手に会社を興して、大成功を収めていた。
よくいう成功者というヤツだ。
少し前にとうとう彼のグループ会社はマグル界にも進出し、大きなデパートをオープンさせた。
……まあ深く聞けば、どうやら彼のイタリアのブランド好きの奥さんの、強いゴリ押しあったらしい。
流通業界は先が読むのが難しいと、ハリーに愚痴をこぼしたことがあったけれど、今は経営は安定しているみたいだ。
「君も自分の奥方や子どもを連れて家族で来ればいい」と気軽に誘ってはくれるけれど、この薄給だ。
「今度、スーパーマーケットが開店したら、通わせてもらうよ」と答えて、お茶を濁している。
「スーパーマーケットもデパートも、物を売っているんだし、同じようなものだろ?」などと浮世離れしたことを言うから、「やはりドラコはどう転んでもボンボンだなぁ」と半分呆れながらも、深く頷いたりした。
ドラコは本当にエキセントリックで、自分の周りには絶対いないタイプだったので、なんだか面白くて、ハリーはこうして相手と会うことが、かなり楽しみなのは、ちょっとした秘密だ。
彼にしたら結構乱暴な仕草で椅子を引いて、ハリーの前に座り込む。
「機嫌悪いみたいだね」
目の前の画面を目で追いながら、言葉だけで相手に尋ねると、ドラコはコーヒーを一口飲んで、その熱さに小さく舌打ちしてそれをテーブルに置いた。
「ああ、そうさ。せっかく来てやったのに、君がパソコンを閉じないからだ」
「もうちょっと待ってて。もう少しでこのエクセルの表が出来上がるんだ。仕上げてから、閉じるから。あと少しなんだ……」
そう言うだけで、パソコンばかり目で追う相手にドラコはキレて、ムッとした表情まま、ハリーのパソコンの上蓋を強引に閉じてしまった。
「あーっ!!」
バタンという大きな音と共に、ハリーの大声に、逆にびくっと怯えたように、ドラコは素早く手を引っ込めてしまう。
「いったい、どうしたんだ?!」
目を白黒させているのが、いかにも気が小さい(本人に言わせると繊細なんだそうだ)ドラコらしい。
「突然、閉じないでよ!まだ保存していないのに。大切なデーターが消えたら、どうしてくれるんだよ」
「そっ……、それくらいで消えるものなのか?」
ドギマギしながら尋ねるドラコは、不安げな様子で、ハリーをじっと見た。
「いや……、もしかしてのこともあるし。案外パソコンは振動に弱いしね」
いつもは尊大で偉ぶった態度しか見せない相手から、困ったような瞳で見詰められるのは、案外気持ちよかったので、ハリーは表情を和らげて、ドラコに向かって、落ち着かせるような笑みを浮かべた。
それを受けホッして肩の力を抜くと、ドラコは背もたれに背中を預ける。
「そんなデリケートなものを、いつも持ち歩いているのか?」
「デリケートって……」
ハリーはその言葉が面白くて、クスクス笑った。
「別にデリケートじゃなくて、機種が3年前の古いやつだしね、ガタがきているんだ。結構、酷使しているからなぁ。時々、振動でデーターが飛ぶことがあるんだ。そりゃー、最新型のタフで防水も完璧なのが欲しいけど、高くて無理だなー」
「たった3年前の品物で古いのか?データーがとぶ?!空をか?」
ハリーが今度は弾けたように笑った。
「──もしかして、ドラコ。君、パソコンは疎いの?知らないの?」
図星なのか、言葉を切るとフイと横を向いた。
「知るはずないだろ!わたしがそんなマグルの機械のことなんて」
「でもこっちの世界にも店を持っているじゃないか。パソコンも知らないと――」