マグカップ
「そういうのは、みんな部下がやっているんだ!わたしがすることじゃない。そんな下世話なことは、わたしはしない!」
「へぇー……、知らないんだ」
ハリーがからかうように言葉を続ける。
ドラコは不機嫌なままコートをつかみ、すぐに立ち上がった。
「どこ行くの?今、来たばっかりじゃないか」
「気分が悪い。帰る!」
からかわれて、すぐに帰ることを口に出すなんて、まるで子どもじゃないかと内心で思いながらも、ハリーはドラコの不貞腐れた様子が面白くて、相手を引き留めた。
いつもは、カチカチのプライドの下に隠されている、めったに見せない表情だ。
それだからこそ、尚更わくわくとした気持ちのまま、相手を親しげに見詰める。
去ろうとするドラコの右腕を引っ張ると、グイと引き寄せた。
「まだ時間もあるし、教えるよ。知ったら面白いから」
「結構だ!」
つれない返事にめげずにハリーは笑いながら、自分の座っているソファーの場所をちょっとずらして場所を空けた。
「ねぇ、おいでよ」
そう言って、自分の隣の場所をポンポンとたたいて合図する。
ドラコは怒った顔のまま不機嫌な顔で、その空間をじっと見詰めて立ち尽くしている。
「ほら、早く」
ハリーに強引に腕を引かれると、驚くほど素直に、すぐその隣に座り込んだ。
なぜだか分からないけれど、ドラコはハリーに強く請われると、随順する癖があった。
それは長年の付き合いから、自然と生まれたものだが、なぜそうなってしまったのか、自分自身のことでも分からない。
『元々、自分はそういう性分なんだ』
とドラコは勝手にハリーとの付き合いをそう決め付けていて、深く考えることは止めていた。
原因は突き詰めないほうがいいと、心のある部分が囁くので、無意識にそう思うことにしている。
ハリーは上機嫌に笑いつつ、自分のパソコンを再び開いた。
味気ない仕事用のデーターを保存すると、無線LANが整備されている店内で、ネットにつなぐことにする。
ワードやエクセルを見せるほうが仕事には役立つと思うけれども、まずはきっかけが大切だ。
超初心者のドラコのために、とりあえず相手が好きそうな、エーゲ海のシシリー島を映してみる。
鮮やかな紺碧の海に、白壁が一瞬で目の前に広がり、ドラコはその画面に釘付けになった。
「このマウスを握ってみて。下へスクロールすると、この島のいろんな情報が出てくるから。クルーズ船の紹介もあったはずだけど……」
ハリーから手渡されたマウスを珍しそうに握ると、テーブルの上で下へとそっと動かす。しかしその動作ではもちろん画面に変化などない。
「動かないぞ」
「ああ、そこじゃなくて、この画面の横のバーがあるだろ。それにマウスの矢印を動かして、合わせて、それから……」
ハリーはドラコの手に自分の手を重ねると、簡単な初歩的なことを教え始めた。
「動いた!」
画面が下へとスクロールすると、パッと顔を上げて、嬉しそうな顔でハリーに笑いかけてくる。
目を見開き、次にやっと上機嫌で微笑んだ相手に、ハリーはある種の満足感を得るのを感じた。
(お互いいい年をした大人なのに、いったい二人してなんでこんなことをしているんだろう?)
と時々思うことがあるけれど、こういう時間を持つことは、悪いことじゃないと思っている。
ドラコという存在は自分にとって、愛想の一つもない、つっけんどんな態度で応対し、そのくせ、見せびらかすように、毛並みの艶やかさを自慢して、血統の高さを誇り、気位が高くて、神経質な猫を相手にしているような、気がしてしてならない。
何度声をかけても、近寄ってこなかった、ひどく用心深い高慢な猫が、ある日自分に向かって、ようやく『そっ』とこちらに向かって、近寄ってきた感じが、その笑みが、最初見たとき、もう脳天がしびれるくらい嬉しかった。
(そうだよな……。つまりそんな感じなんだよな……)
なとどぼんやり思いながら、片手をドラコの手に添えたまま、もう片方の空いた手でマグカップを持ち上げた。
とっくに日没は過ぎ、外は寒そうな秋風が吹いている。
だけど、この店の中は暖かくて、とても居心地がよかった。
ハリーはコーヒーを一口飲み、その香りに満足そうに、頷いたのだった──
■END■
*一応これでも大人ハリドラ。しかもプラトニック!しかも中年!どうしたものか……。