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さとがえり

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夕食には少し遅いような刻限であったが、夜食というほどの時間でもなかったので、居間にしつらえてあった食卓を三人で囲むことになった。
主に並んでいたのは煮物だの和え物だの焼き物だの刺身だのと言ったもので、いわゆる『田舎の接待』であった。先に述べた品々から和食かと思えば、バジルのパスタやレモンを添えた団扇海老のフライなどなど。『御馳走を』というリクエストのせいもあってか、かなり節操がない。とにかく、久しく里帰りする玉藻が伴侶となる者を伴ってくるということで歓待しようという姿勢は、果物や点心の品々からも見受けられた。
鵺野は料理に対しては基本的に文句を言わないたちなので、むしろ用意された品々へ喜んで箸をのばし、進められるままにビールを呑んだ。
「やあ、鵺野先生は結構いける口のようですねぇ」
「いやあ、こんなに美味しい料理がたくさんで、ついつい箸も杯も進んじゃいますねぇ」
「それはよかった。きっとうちの料理方も喜ぶでしょう。―まま、もう一杯」
「いやいや、どーもどーも…って、おんや〜玉藻はあんまし呑んでないのかな〜?」
「…この状況で呑める貴方が不思議です」
玉藻は、隙あらば意味もなく鵺野に触れようとする青柳の手を阻むため、少しピリピリした空気をまとわせ青柳と鵺野の間でむっつりと呑んでいた。主に盛り上がっているのは青柳と鵺野。何というか波長が合うというのか、玉藻が間にいなければ肩でも組んで歌い出しそうなほどの意気投合っぷりだった。


「そうそう、丁度とっておきのがあるんですよ〜」
ひとしきり食事も杯も進んだころ、青柳は親指と人差し指とでクイっと呑む仕草をしてみせ、鵺野は「え? いやぁそんなぁ〜。わざわざ勿体ないですよ」と言いつつ、秘蔵の酒があるというサインにまんざらでもない笑みを見せる。
それを見て青柳はくすりと笑み、「本当に、先生は玉藻の言うとおりの方ですね」と僅かに残ったグラスを干しながら言う。
「え?」
鵺野は突然自分の話題を振られて一気に酔いが覚める。自分のあずかり知らぬうちに何を喋っているんだと、玉藻を睨んだ。
「話には聞いてましたけど表情がとても豊かで、いやぁ成る程、見ていて飽きがこない」
「なっ…!?」
二の句が継げない鵺野に「ちょっと失礼〜」と言い残して青柳は席を立つ。台所らしい方角へ「えーと、アレはどこにやったかな〜?」という呟きが遠くなる。
その気配が離れたのを確認して、鵺野はひそめた声で玉藻に噛みついた。
「玉藻! おまえ何好き勝手なこと言いふらしてやがるんだ!」
「私はただ『思った事がすぐ顔に出る性格だ』と言っただけですよ」
「大きなお世話だ!」
「まあまあ、二人とも喧嘩はそれくらいにして…ほら、お前もそんな顔しないで付き合いなさい、玉藻」
片手には一升瓶、もう片方には白木の升を手にした青柳が間に入る。
「無論付き合いますよ。私が席を外したらその隙に何をされるか、わかったものではありませんからね」
「おお、相変わらず手厳しいことで」
そう言いながらも、青柳は嬉しそうな顔で元の場所へ腰を下ろす。
「あ、それ檜ですね」
木の香のいい香りに、鵺野はつい話しかける。
「そ。やっぱり、せっかくのお酒だからね」
入れ子になった檜の升を取りだして大・中・小の中くらいのものを鵺野に、いちばん大きいものを玉藻に、そしていちばん小さいのを青柳は自分の前に置いた。
ポンと快い音を立てて詮を抜き、「ささ、まずは客人からと参りましょうか?」と鵺野に向かって勧める。
「え、あ、はい、いただきます」慌てて座り直し、升を両手に男らしい酌を受ける。
とっておきというだけあって、その酒はまるで汲みたての泉のように清らかな色艶とさわやかな香りをさせていた。とくとくと注ぐ音も、全く耳に心地よい。
「ああ、いいなあこの香り」
鵺野は全員へ注ぎわたる間に酒の香りをうっとりとした表情で楽しんでいた。そしてさあ一口、と思った途端「ちょっと失礼」と横から腕を掴まれた。
「何すんだよコラ、あ、お前!」
玉藻は升を持ったままの鵺野の手ごと掴んで引き寄せ、升に口を付ける。
「あ―! 俺の酒えぇ〜〜!!」
哀れな鵺野の悲鳴を無視して、玉藻はただの水でも飲むようにくーっと半分以上を呑んでしまい、そして「ふぅ」と一息つくと「大丈夫のようです。済みません」と言ってようやく鵺野の腕を放した。
「…ダイジョウブ、スミマセン、ぢゃねーよ! おま、おれの……俺の!」
「用心のためです。だいたい先生、ちょっと警戒心なさすぎで…あー…はいはい、私のと換えてあげますから」
殆ど中身の無くなってしまった升を手に泣き出さんばかりの鵺野に「子供ですかあなたは」と苦笑しながらも玉藻は自分の分け前である一番大きな升と交換する。
途端に機嫌を直し、「いただきまーす」と鵺野は升を傾けた。ようやく口にできた美酒に歓声を上げ、青柳に笑いかけた。
一番小さな升で二杯目の酒を舐めながら青柳は目を細めてしみじみと、
「本当に、鵺野先生は実にいい飲みっぷりだ。勿論食べっぷりもいいですね、見ていてほんとうに気持ちが良い。もう玉藻ときたら食は細いは偏食するは、そのくせに大酒飲みだわ…よくもまあこんなに育ったと思うよ」
「…いい加減、そんな大昔の事を言うのはやめていただけませんか?」
昔の思い出したくもないあれやこれやを恋人の前で暴露されることに苛立つ玉藻は、眉間に深い皺を刻み父である青柳をにらみつける。
「おーや、酒の肴に昔話のあれこれはつきものだよ。そんなにカッカしないで」
「そーだよ。お前だっていっつも、呑むとき俺をからかって楽しんでるクセにー」
「そうそう。先生も良いこと言う〜。たまにはされる側になってみなきゃ」
「ですよねぇー」
「ねー」
良い具合に酔いが回って、息もぴったりな二人のやけに楽しげな姿に、玉藻はそれ以上物が言えず、軽くこめかみを押さえた。
「…まあ、いいですけどね。近づきすぎですよ二人共」

作品名:さとがえり 作家名:さねかずら