バイ・ディスコード
平和島静雄に決定的に足りないのは応用力と適用力である。彼は良く言えば素直、悪く言えば単純な頭のつくりをしているので、自分にとって悪であるものは自分の立場を犠牲にしても暴力という名の、彼なりの正義感で排除してきた。彼は至極、馬鹿正直である。そのためにこの嘘と虚構だらけの街で生きていくのにあんまり適していない。ある時は、つゆだくなのにつゆが少ないと、適量を注いだのにかかわらず文句を言い続ける親父に牛丼をぶっかけたし、お兄さんいくらなの?と窓ガラス越しにきいてきた気持ちの悪い親父の顔面にガソリンぶっかけたし、酔った親父に尻触られたときはビールぶっかけたし・・・たんに我慢の線が緩いだけとも言えるが、とにかく彼にこの街は合わなかったのだ。(しかしそれじゃあどこに行っても仕方ないのだが)
静雄は控えめに流れている有線をそれとなく聞きながら、グラスにメロンソーダをついでいた。これで高校を卒業して9件目の仕事場である、池袋某所のカラオケボックスにて。
これは108ね、という先輩店員に小さく頷いて、バニラアイスの容器から、スプーンでそれをぎこちなく、しかしきれいな丸にくりぬいて静雄は、緑色にひかるソーダの上にのっけた。これでクリームソーダになる。彼は細かい作業があんまり好きではない。アイスは好きだが、それをお店で売るような、きれいな形にするのは苦手だった。なにしろ力の加減がよくわからない。
今日で2週間めだが、まだここでは静雄の性格は暴かれていなかった。時折酔った大学生の二次会のノリには本気で殺意を覚えるけれど。お兄さんも歌ってよぉなんて言われた時にゃマイクを握りつぶしそうになったけれど。しかしこれだけ仕事を点々としていて、静雄とてなにも成長がないわけではない。彼は彼なりの我慢を覚えていたし、なにより弟が心配していることが最近ひしひしと伝わっていたので、彼はこの2週間めずらしく、バイト先で暴れもせず、標識も抜かず、人並みな生活をしていたのである。
トレイにクリームソーダをのせる。108だな、と頭でもう一度くりかえして厨房を出た。
「ドリンクおもちしまし」
「あっ、どーも☆そこに置いといて☆」
「た」
しまったうっかり「た」と同時にクリームソーダのグラスを握りつぶしてしまった。
静雄は自分の手からべたべたする液体が滴るのを感じながら、この語尾に☆マークをつけてはなすうっざい男の顔を睨みつける。血管がひくひくするのがなんとなく感じられた。なんでてめえがここにいる・・・?!
「わ、ちょっとちょっとシズちゃんなにしてんの!」
「それはこっちのせりふだ・・・!!!」
「なにって・・・カラオケだけど?」
見てわかんないかなあ?と鼻で臨也が笑うので静雄は良し殴ろうと拳に力を入れたところで、108号室のただならぬ雰囲気に気付いたらしい先輩店員が部屋に入ってきたので、それは空回ることとなる。知らないとはおそろしいことだ。もし静雄の我慢が1年ほど前のレベルであれば間違いなく巻き添えをくらっていたのだから。
「ちょっと平和島くんなにしてんの!すみませんお客様、すぐ変わりのお飲み物お持ちしますので!」
「うん、クリームソーダね」
おそらくただグラスを落としただけだと勘違いしたのだろう。だってまさかこれを握りつぶしたなんて、静雄を知っている人間ならともかく、一般人の彼にはそんな発想すらなかったのだ。先輩店員はここは自分が片付けるので静雄に新しいドリンクをつくってくるように告げた。そこで静雄ははっとする。だめだここで暴れたらまたこのノミ蟲の思うつぼになる。こんなくそ男の所為でまた自分の人生を崩されたくはない。静雄は先輩店員にすみませんと謝って部屋をでた。その際に臨也がにやっとしたのを横目で確認したが、無視をする。しかしまたクリームソーダか、メロンソーダにしろくそめんどくさい。主にアイスが。
知り合いが職場に来るときほど、人手が足りないというのはもはや宇宙の法則ではないかと静雄は思う。なんで今日に限って・・・と静雄は新しく作り直したクリームソーダをトレイにのせ、再び108号室の前にいた。呼吸を大きく吸う。中にいるのはただの虫だ、そうだな小バエだ。ただのうっとうしい小バエ。そう思え静雄。無視さえすればなにも問題はないのだ。静雄は部屋をノックして、ノブに手をかけた。開いたドアの中からはアイドルグループの曲がきこえてきた。あとソファにのってひとりで踊っている小バエもとい臨也。
静雄はこんどこそ本当にうっかりそれを落としてしまいそうだったが、それは彼の並はずれた筋力によって持ちこたえる。しかしほんとひとりでなにしてんだこのおとこ。
「あ、どーも、悪いねえ」
「・・・クリームソーダになりまーす」
できるだけ目を合わさないようにそっと机の上に置く。顔を見たらいらつくとかではなく、この男の顔をみたらなんだか少しかわいそうに思えてしまうからだ。この男の頭が、とくに。
「ねぇシズちゃんも歌ってけば?」
「・・・仕事中なんで」
「いいじゃんどうせすぐクビでしょー?」
もしクビになったとしたら間違いなくてめぇの所為だ!と怒鳴りそうになった喉をぐっと唾液を飲むことで誤魔化して、静雄は泣く子も黙る営業スマイル(スマイルだと、彼は思っている)を臨也に向けた。実際ただの鬼の形相である。血管がきれいに浮いていた。
「ごゆっっっっくりどうぞ!!」
しかしドアは思いきりしめておく。
臨也はリモコンで曲を中断して、ちゅううとクリームソーダを飲みながらおもしろくなさそうにドアを眺めた。自分の思い通りにならないことはむかつく。特にあの単細胞が動かないとますますいらいらする。どうしてやろう。臨也は喉がすっきりするのを覚えながら、ああそうだ、とひとりで笑った。
*
「平和島くん、108にクリームソーダね!」
「108、クリームソーダです」
「108号室クリームソーダお願いします!」
「108号室クリームソーダ!」・・・・・・
15分に1回だ、と静雄はいらっいらしながら思った。15分に1回あのクソノミ蟲からクリームソーダのオーダーが入る。そうして15分に1回、静雄はそれをつくって108号室に向かっていた。ちなみにもう8回目である。2時間めんどうくさいクリームソーダをつくりつづけ、会いたくない人間に会い続けている。得をしたことはだいぶんアイスをくりぬくのがうまくなったことくらいだ。いくら理性と我慢を、社会の荒波を越えて身につけてきたとはいえ、もうそろそろ静雄も限界であった。そんな好きなら頭からクリームソーダをなみなみとかけてやろうか!!厨房は静雄の漏れ出した殺気につつまれる。
「ドリンクッ・・・おもちしました・・・!!」
静雄はうっかりドアノブを引っこ抜かないように慎重にドアをあけて、部屋にはいった。小バエはすんごく真剣にバラードをうたっていた。その横顔がなんだかきしょい。そうしてそのきしょい臨也はマイクをはなしてげんなりとした顔で静雄を見る。
「あのさぁシズちゃん、おれいますんごい良いとこだったんだよ?今最後のめっちゃ盛り上がるとこだったんだよ?ほんっと空気読んでよね」