Da Capo Ⅳ
今日は天気がよかった。
日野ちゃんの面白画像も撮影できたし。
何とも幸せな一日の終わりだわ、と心をウキウキさせていると、
「天羽先輩…こ、こんばんは」
と声を掛けられた。
このおっとりして引っ込み思案を醸し出す声の主は、直ぐ分かった。
「お疲れー冬海ちゃん。今日も練習室?」
「はい…」
彼女の左手には、彼女のお友だちである楽器があった。
(正確に言えば、楽器入りの鞄を持っている、だけど。)
「せ、先輩…どうかしましたか?」
自分突っ込みの間が悪かったのか、冬海ちゃんは少し心配そうな顔をしながらあたしの顔を覗き込んでくる。
「あ、うう、ううん、なんでもない」
「そ、そうですか…それなら、良かったです」
安堵の表情を浮かべ、笑顔をあたしに向けてくる冬海ちゃん。
(くぅぅ、この可愛らしい笑顔!これは破壊力あるわー!
普通科も音楽科も関係なく男子が「コンクールの写真を焼き増ししてくれー!」って言いに来るのはわかるわぁ。)
冬海ちゃんは可愛い子だ。
まさにやまとなでしこ。
人の影を絶対に踏まないタイプ。
(お嫁さんにするなら、絶対こう言う子よね!…男の場合。
まぁ、女の場合でもそうかもしれないけれど。)
あたしは眼前に居る「お嫁さんにしたい候補ベスト5」に入るだろう女性を前をじっと見入ってしまった。
「あ、あの…私に何か付いてますか?」
「あっ、ううん、ううん、何も、全然!」
脳内の妄想を悟られたら困る!、とあたしは全力で否定する。
不思議そうな表情を浮かべながら、小首をかしげて少し考えるポーズを見せる冬海ちゃんは、あたしの否定を自分なりに解釈して、そうですか、と納得してくれた。
空気を読める賢い子はあたしは大好きだっ。
「そ、そう言えば、先輩…香穂先輩見ませんでしたか?」
「日野ちゃん?うーん、見てないなぁ」
それは嘘じゃない。
「あの瞬間」を見たのは、お昼の話で、それ以降は遭遇してないのだ。
今逢えるならば、逢ってあれこれ話が聞きたいのにっ。
(あんなスクープを目の前で展開されたら、もうっ、血湧き肉踊るってやつね!)
あたしの妙な雰囲気に冬海ちゃんは着いてこれず少し困った表情をしていた。
「あぁ、ごめんごめん。日野ちゃんは…練習室とかじゃないの?」
「い、いえ、今日は、いらっしゃらなかったんです」
「この時間だったら普通いるかぁ…」
空の色が変わり始める時間。
練習室と言っても数は限られてる。
音楽科の生徒達が我先にっ、って感じで予約している事は知っている。
皆青春を音楽にぶつけているのだ。
何かに打ち込めるということは素晴らしい事だと思う。
(若いうちに経験すべきことよねぇ。)
と私は心の中で呟く。
あたしにとっての「青春」はこのカメラと、あたしの腕だ。
写真を撮り、事実を多くの人に伝える。
今は構内の学生や教師、事務員の方々ばかりだけれど。
(何時かきっと、世界中にあたしは「伝える」と言う事で訴えかけたい!)
「あっ、ところでなんで日野ちゃんを探してるの?」
「き、今日、練習を一緒に、しようかと、お、思って…」
冬海ちゃんの体温が上がっているようだ。
頬は紅潮し、視線がどんどん下がっていく。
楽器を入れている鞄を持つ手にギュッと力が入っているようにも思える。
引っ込み思案の彼女にとっては、日野ちゃんはまぶしすぎるほどの太陽で。
且つ憧れの「音楽家」で、目標にし尊敬している人。
友好的に話しかけられても、彼女の性格じゃ中々前に出られないって訳だ。
多分冬海ちゃんが私みたいな性格だったらもっともっと日野ちゃんとの距離が
縮まって、もっともっと気楽になるんだろうな、とか思ってしまう。
(あぁ、でもあたしの性格だったらあんな綺麗な音楽は奏でられないか…。)
冬海ちゃんの音楽は「冬海ちゃん」だからこそ奏でられるのだ。
性格も容姿も、全てひっくるめての「冬海ちゃん」だからこそ、あの心を揺さぶる音楽を世界に広められるのだ。
最近、何だか知らないけれど何となく、コンクール出場者たちに、私自身成長させられた気がした。
今まで感じた事のないものを感じ取れる、何て凄い事なんだろう。
「あ、いたいた。あもーさーん!」
(あの妙に甘ったるく通る声は…。)
振り向きざま飛び込んできた存在に、ゲゲッ、とあたしは一瞬身を引いてしまう。
(来たっ、ストーカー!)
あたし自身にじゃないけれど、日野ちゃんに。
外野から見ている分には面白いのだけれど、正直…
(鬱陶しい…)
と思ってしまう。
頭は軽そうだけれど、悪い人…ではないんだよな、と理解はしているが…。
(な、何だろう、この体が拒否する感じ…。)
声の主である加地君は、あたしと冬海ちゃんの前に辿り着き、若干前かがみになりつつ息を整えていた。
何をそんなに必死になっているのか全く理解できない、あたしと冬海ちゃんを無視して必死に息を整える。
しばらくして喋れるくらいになったのか、顔をがばりとあげ、あたしたちに話しかけてきた。
「こんばんは」
(挨拶はするんだな…。)
「あのさ、日野さん見なかった?」
「い、いえ…」
「そうか…残念だなー。今日、一緒に練習しようと思っていたのに」
「え…っ、そ、そう、なんですか…?」
(あぁ、冬海ちゃんが冬海ちゃんがっ。加地自重しろ自重!)
「あ、そうそう、二人に折り入って話があるんだ」
(話じゃなくて、そこは「相談」って言わない?折り入っての後ろなんだから。)
「な、何でしょうか…」
「うーん、実はね。日野さんの好きなものを教えて欲しいんだよね」
「…え?」
「彼女の好きなもの。例えば、食べ物とか本とか」
「…え、え、えっと…」
他人との距離を余り計らずに自分の思いを先行するお子様は、自分の望むがままのスピードと行動力で押よせていた。
人間誰もが同じな分けない。
どこかで必ず「止めなければいけないこと」がある。
「本人聞けばいいじゃないの?」
あたしは冬海ちゃんを救い出そうと行動に出た。
少しだけほっとした表情を浮かべて、静かにあたしの方へ寄ってくる。
何か、役得?
「いや…まぁ…その…」
少しだけ頬をピンクに染めて、視線を泳がせる。
何か隠している?何を?、とあたしは疑問を抱く。
「他人に聞いてどうこうするより、同じ学年なんだから聞けばいいじゃない、本人に。
科も一緒だし」
「あ、う、そ、そう…なんだけどね」
頭をガリガリとかきながら、きょろきょろしだす加地。
頬のピンク色は更に赤みを増している。
(な、何だこの雰囲気…なんか嫌な予感がする…。)
元々加地君は、この学校に入ってきた時から「日野ちゃん大好き」をひけらかしていた。
決して顔も悪くないし、スタイルも善い。
なのに、この必要なまでのうざさは何だろうか…あたしが嫌いなだけだろうか。
(悪い子じゃないんだろうけれどさぁ…。)
周囲が見えていないというか、見ていないというか。
兎に角、今目の前で繰り広げられている光景は、その中に入りたくないと思わせる雰囲気を見事に醸し出している。
ビオラの音色は悪くない。