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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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そは、やはらかにながれゆくもの

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 このまま、二度と届かないのかも知れない。けれど、もう引き返せない。それを認識したら、駆け寄って、抱き締めたい衝動が湧き上がる。
「…そう、か…」
 ずっと抱いていた、焦燥にも似た感情の正体。それを、それがなんなのか唐突に理解する。
 随分と先でどうしたの、と自分を呼ぶキラが、冗談のように大きな月から降り注ぐ銀色の明かりに縁取られて、夢のように綺麗だな、と思った。
 憧れて。
 焦がれて。
 護りたいと願ったもの。
 踏み出した足が、立ち止まったままのキラの前で止まる。緩く溜息を吐いて、冷たくて細い指先を手のひらで包んだ。一瞬硬直してから、確かに握り返して来た自分よりひとまわり小さな手のひら。
 とても、大切なもの。大切にしたいと、心から願う存在。
 なにも言わずに、手を繋いで石段を降りた。水の音が次第に近くなって、本物に比べたら笑えるくらい規模の小さな海岸に辿りつく。小さく波が打ち寄せる造り物の海は、限りがある筈なのにそれを悟らせない精巧な風景を作り出していた。
「…ザフトに、戻るよ。」
 ぽつりと、それだけ呟いた。繋いだ手のひらが、微かに震える。
「…そう。」
 何処か納得したように、キラは返した。ゆっくりと笑みを浮かべて。
「…有り難う。」
 約束の時間が終る、瞬間。

 やっぱり、そこに行くんだな、と思った。戻る、と言ったきりその先は続かない。それでいいとキラは思う。ここまで付合ってくれたのだからもう充分だ。だから有り難うと言ったら、ディアッカは不意に繋いだ手を強く引いた。
「…わ」
 バランスを崩して倒れ込むように、抱き締められた。ただ、なにも言わずに。長いようで短いような心地良い時間が過ぎて、潮騒の中で微かに顔を上げる。
「…ホントは、連れて行きたい。」
 小さく聞こえた言葉に、不覚にも泣きそうになった。それが叶わないことだと理解しているから尚更、それでもそう言ってくれたことが嬉しくて。
「…ごめん、ね。」
 そっと、温かな腕の中で呟く。
 一緒にいられたら良い、と思うのは、きっとこの人が好きだから。この人の傍は、なぜだかとても安心する。だから約束をして、それだけは叶った。
 けれど、今自分の望むことはそうじゃないから。
「僕達は、そんなに弱くないよね。」
 今、護ってあげるべき人は、護らなくてはならない人は、他にいるから。
 そうだな、とディアッカは少し寂しそうに返した。
「けど、オレは…」
 言いかけた唇に、そっとひとさし指を押し付けた。それ以上は、望めない。
「…それは、さ…ディアッカが、そう思ってくれてれば良い。」
 言葉が欲しい訳じゃない。返す自信がないから気持ちが欲しいなんて、言えない。だからごめんね、と繰り返す。出来うる限り柔らかく微笑むと、真っ直ぐに見詰めた菫色の瞳が、揺れた。

 ひらり、と視界の隅を舞ったものがあった。
 視線をそちらに動かして、それに気付いたのかキラもつられて振り返る。自分達が降りて来た石段の遥か向こうに、白く煙る大きな樹が見えた。
「…そう言えば、もう春なんだな。」
 季節感の薄いプラントの中には、人口的ながら四季を忘れないようにと品種改良された季節ながらの植物が所々に存在する。その中の、代表的な春の花。
「あんなところからここまで届くんだね。」
 ひらひらと穏やかな風に乗って舞う白い花弁は、月明かりの中で幻想的な光景を醸し出す。薄紅色の筈のそれらは、銀色の光に透けて真っ白に映った。
 雪みたい、とキラは零す。
「桜、は…月にもあったから。けど、本物の雪は見たことないから…」
 こんなのかな、と思って、と微笑った。
「せっかくアラスカまで行ったのに、な?」
 あの時はそんな余裕がそもそもなかった。今となっては記憶に残る過去の出来事だ。どちらからともなく零れた小さな笑い声に、額をくっつけて。
「…じゃあ、約束、しよう。」
 もう一度。
 吐息が頬に掛かる程近いところでそう言ったら、キラは少し目を細める。
「…約束?」
 考えていることが解っているかのように、くすくすと笑う。
「雪、見に行きたいね。」
 二人でさ、と的確に考えている事を読み取るキラは、なぜだかとても遠く見えた。こんなに、近くにいるのに。触れているのに。
「…だから約束、な。」
 いつか二人で、真っ白な大地に立って、子供のように転げ廻って。そんな他愛もない、すぐに叶いそうで遠い、約束を。その言葉に楽しそうだね、とキラは笑う。
「うん…約束。」
 絡めた指先で交わした、子供のような指切りで。けして忘れない、大切な約束を。
 大きな月が雲に隠れて、真っ暗になった。続いた言葉は、とても小さい。光を反射していた大きな濃紫の瞳が、ゆっくりと瞼を閉じる。さわり、と風が流れて、額に触れた柔らかな髪が揺れる。
 好きだよ、なんてなんの前触れもなく呟くから、それに応えるように。
 最初で、多分最後の、触れるだけの口付けを交わした。

 だから今は、ほんの少しだけ離れていよう。
 離れた場所で、君を護ろう。
 行く道が違っても、君を想う心はきっと、いつまでも変わらないと信じているから。
 薄紅色の花が咲く度に。
 海を渡る風が、頬を撫でる度に。
 君を想うよ。

 どうか、幸せであるように。