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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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そは、やはらかにながれゆくもの

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 相変わらず、空は晴れ渡っている。湿気を含んだ風がいつもより重たく感じるのは、雨の時間が近い所為だと、見上げた空の遠くが灰色に変わっている様子を見て知った。
 通年を通して亜熱帯気候のプラントにおいて、雨は珍しい事ではなく。決まった時間に降る事も、全て人の手に拠って創り出された物だから理解し易いし、それが当たり前だ。
 それは生き物の存在を許さない漆黒の宇宙にありながら、夢のように水と緑と命に溢れる、地球という惑星をモデルにした巨大な箱庭。その限られた世界で、人々は生きている。
「…むしろ、生かされてるって…感じかもね。」
 いつものようにサンルームにはお茶の仕度が整っていた。ぽつりと零れた呟きに、跳ねまわる丸いロボットを窘めていたラクスは顔を上げた。
「…それは否定出来ませんわね。」
 カガリが去り、後を追うようにアスランが去り、暇だと零していたディアッカの外出が多くなって、気付けば屋敷の主である少女とここで過ごす時間が多くなっている。
 ロボットを捕まえるのに忙しい彼女の代わりに、ほど良く抽出された紅茶をカップに注ぎ、ほんのりと温かなミルクを混ぜる。暇人を主張するディアッカが出掛ける前に作っていったお茶菓子は、キラが少し悪戯心を出してリクエストしたエンガディーナ。クッキー生地の中に、ナッツのキャラメルフィリングを詰めた少し難しい焼き菓子だ。一体何処から調達して来るのか、香ばしい香りはヘーゼルナッツのもの。
「…お見事、って言うしかないかなぁ…」
 感心なのか呆れているのか、苦笑と共に零した言葉に、漸く跳ねまわるロボット達を全て捕獲して、お気に入りのひとつを残して追い出したラクスはいつもですわ、と頷く。
「私も、少し習った方がいいのでしょうけれど…」
 お上手な方に作っていただく方が楽ですものね、と笑う彼女が可笑しくて、キラも笑った。
 ひとしきり和やかなアフタヌーンティーを楽しんでいると、遠くから低く雷鳴が響いて来た。
「…雨が降るね。」
 視線を向けて呟くと、ラクスは静かにそうですわね、と返した。
「…カナーバ議長が、退任されるそうですわ。」
 唐突に告げられた話題に、ゆっくりと目を瞬かせる。
「そう…じゃあ、もうこの時間も終りかな。」
 不意に、テーブルに活けられた柔らかな色合いのチューリップが目に付いた。緩やかに弧を描く花弁を視線だけで追って、時間の流れを思う。
 戦争が終って最初の、始まりの季節。
 ここから、また外の世界に踏み出して行く。
 それは、約束の終わりが近い事を静かに告げた。

 何がしたいのか、ではなくて、何が出来るのかを考える。
 多分、今まで自分で選んで来た事は少ない。けれど、コーディネイターとしては遅すぎるくらいの、自分の行く道の選択をしなくてはならない。選べる事は少なくて、出来る事はきっと、もっと少ない。
「…問題は、ないと思うぞ。」
 一度は離れた組織に戻る事、問題は山積みの筈なのにさらりと友人は言い放った。沢山の人達が、戦争を終らせた自分達の存在を知っている。世論を考えれば、何某かの温情を与え、表に押し出してこそ意味を成す存在。それでこそその意味があり、存在意義があると、政治の世界は考える。
「どこら辺に問題がないんだよ。」
 最早解り易過ぎる政治家の考え方には、呆れてものも言えない。けれど、利用されるだけだと知っていて、敢えてその思惑に乗った方が今の自分が一番やりたい事をし易いのも事実だ。
「利用出来るものはしておいて損はない、だろう?」
 力がない、と言う事も認めなくてはならない。苦笑で答えると、イザークはそれでいいんだな、と念を押すように言葉を続けた。
「…次は、ないぞ。それでもここに戻る気があるなら、最大限擁護してやる。」
 考える時間は呆れるほどあった。その時間をめいいっぱい使って、考えた末に出した答えだ。
「今更、変えるつもりはねぇよ。」
 そうすれば、きっと護り通す事が出来る。多分、今ディアッカの中で一番大切で、神聖ですらある存在を。
「もう、決めた。オレはザフトに戻って、やりたい事がある。」
 泣き出す寸前の、壊れそうな微笑を見ているよりも、例え距離は離れてしまっても、君がなんの憂いもなく笑って過ごせる世界を。
 君を護るための、力を。


 話があるんだ、と言われた時から、少しだけそんな予感がしていた。

 キラは元々オーブの国籍を持っている。事実は脱走兵だったけれど、都合良く公式には行方不明と言う事になったまま。
「だから、あの国に戻れ、と言う事ですか。」
 硬い文章が連なる手触りの良い書面を見て、小さく呟く。プラント最高評議会と、地球連合暫定政府の連名で出された文書が手許に届いたのは、月の明るい夜だった。
 オーブに戻るのは多分、構わない。あの場所には、大切な人達がいる。そうして、ここにも大切な人が、いる。どちらかを選べ、と言われたら。
「…今、選ぶほうなんて…」
 本当は、とっくに決まっている。
 軽く溜息を吐いたところで、小さくドアをノックする音が響いた。どうぞ、と応えると、暫く擦れ違い気味だった人が顔を覗かせる。
「…よ。今ちょっと時間良いか?」
 話がある、そう言ったディアッカはいつもと変わらないように見えて、何処か違う気がした。
「うん…良いよ。」
 壁に掛かった幾分古風なアナログの時計が示す時間は、そろそろ深夜と呼ばれる時間帯にさしかかっていた。特にすることもないから、翌日の事を考える夜は少ない。
「少し、散歩でもするか。」
 ふと、唇の端を緩めてそう言うから、畳んで封筒に戻した書類をデスクの引き出しに閉まって部屋を出る。
 線が引いてある、と隣りに並んで感じた。ほんの少しの距離しか空いていないと言うのに。手を伸ばせば、触れる事も出来るのに。
 緩やかに、約束の時間が終ってしまう事を悟ってしまった。多分、この人は進むべき道を見つけたのだ、と。ならば自分も、選ばなければならない。
 手入れされた芝生の庭先から、月明かりが反射する水辺までの、本当に短い距離を歩く間に。

 散歩に行こう、と言ったら、キラはふわりと微笑んだ。およそ、散歩なんかする時間ではない筈なのに、ただ頷いて、こうして並んで歩いている。
 部屋を出てから、互いになにも言わない。交わす言葉がない訳ではないのに、見付からない。
「…ね。」
 水辺に続く階段を、何段か先に降りて行くキラは唐突に降り返って言葉を紡ぐ。
「見付けたんでしょう、ディアッカ。」
 だから待ってるんでしょ、と続けて微笑って。
「…何が?」
 待っている、の意味はなんとなく理解出来た。恐らく、キラも既に選んでいるのだろうと思った。それが、重なる事のない道だと言う事も。それでも敢えて、訊き返した。
 ほんの少し寂しそうに微笑って、もういいよ、とキラは言った。
「…約束、もういいよ、ディアッカ。僕達が選んで、そこで終りだから。」
 それだけを告げて、そこに立ち止まったままの自分を置いたキラは、軽い足取りで石段を降りて行く。遠くなって行く背中は、いつか見た小さくて頼りない背中を思い起こさせた。