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綾沙かへる
綾沙かへる
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Flash Memory ~いつか見た夕暮れ~

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「…アンタ、誰?」
 その一言は、衝撃的だった。






 その報せは、全く唐突に飛び込んで来た。


 その日も普段と変わらず、気分が乗ったから請け負っていた仕事に向かい、なんとなくニュースを流しっぱなしにして。
 窓の外は緩やかに晴れていた。もっとも、それも人工的に作られた小さな世界の中の話。キラがここにいる事を知る人は少ない。戦争が終って、自分に出来る事も終ったのだと。けれど、戦争に巻き込まれる前に戻る事は出来ない。出来ないけれど、生きている以上は何処かで生活して行かなくてはならなくて。
 記録は全て消した。人の記憶には手が出せないから、せめてデータだけでも。
 存在してはならないもの。「最高のコーディネイター」と言う存在。そんな人間は、最初からいなかった事にすれば良い。人の記憶は、いつか薄れて行くものだから。
 そうやって自分の生きていた痕跡を綺麗に消し去って、両親にも親友にもなにも告げずにこの部屋に移り住んだ。けれど、同じ遺伝子を持つ少女にだけは、見付かってしまった。ちょっと出掛けて来るから、と言ってそれまで滞在していた場所を出る時に。
「…おまえ、もう帰って来ないつもりなんだろ。」
 真っ直ぐに見詰めてくる蜂蜜色の瞳に、なにも言えなかった。怒ったような顔をしていた彼女は、困ったように微笑んで、バカ、とだけ呟く。
「止めないけど。…多分、そうするんじゃないかって思ってたんだ。」
 たった一人、残された血の繋がった家族、と呼べる存在。通じ合うなにかが、彼女にキラの考えている事を知らせたのだろう。
「…ごめん、カガリ。」
 ようやく紡ぐ事が出来た言葉は、それだけ。
 謝るなよ、と彼女は笑う。そうして、なにも言わなくて良いのか、と続けた。
「あいつに。おまえは、それで良いのか?」
 どくり、と鼓動が跳ねる。
 考えて、納得した筈だった。戦争をしている、と言う特殊な環境のなかで、他に縋る相手がいなかったからそうなっただけなのだと。戦争は終ったのだから、その関係も終りにしよう、と。
 緩く、深呼吸をする。俯いて黙りこくったキラを覗き込むようなカガリに、作り笑いを浮かべて。とっくに見透かされているのだろうけれど、無理にでも笑っていないと泣いてしまいそうで。
「…良いんだ。」
 有り難う、と続けると、カガリはとても複雑な顔をした。それでも一瞬後には笑顔で、背中を押すようにキラの肩を叩く。そのお陰で、踏み出した一歩はとても軽い気がした。
 その時、しっかりと「連絡寄越さなかったら職権乱用してやる」と言う約束なのか脅しなのか良く分からない言葉と共に押しつけられたアドレスに、苦笑を零しながらも連絡先を教えた。いずれ国を背負うであろう彼女のその言葉は、冗談で済まされるほど軽くはない。彼女のすぐ傍にいる親友にも、絶対に内緒だよ、と約束して。
 そのカガリに、こっそりと頼まれた仕事を請け負って、そこから広がった人脈のお陰で、なんとか一人で生活出来るくらいには働いている。
 外に出る事も少なく、生活必需品もそのほとんどがネットで事足りる昨今、誰かと顔を会わせる事も少し意識すれば簡単に避ける事が出来る。仕事の依頼人ともすべてメールで連絡を取り合い、自分が表に出る事がないから、この小さなマンションの一室がキラの全て。それで良い、と思っていた。
 思い出はたくさんある。失ってしまったものも、離れていった人も、自分が別れを告げた人も。
 自分でその時の事を回想してしまって苦笑した。戦争が終って随分時間が流れているから、そろそろキラの事も記憶の片隅に追いやられているだろう。
 そう思っていた矢先、突然携帯端末が着信を告げた。滅多に本来の役割を果たす事のないそれ、その液晶に表示されたのは見慣れない番号。
「…誰、だろ…?」
 この番号を知っている人はとても少ない。そもそもが仕事専用で、唯一の例外であるカガリには自宅に固定してある電話の番号とメールアドレスしか知らせていなかった。仕事専用だからこそ、メモリも少なく、見慣れない番号が表示されることには慣れ切っていたのだけれど。
「…最近、新しい仕事してない、よね。」
 考え込んでいる間もしつこく控え目な電子音を響かせ続けるそれに、軽く溜息をついて通話ボタンを押した。
 そこからまた、止まっていたようなキラの時間が動き始める。


 彼が姿を消してから、片時も忘れた事はなかったのだと思う。時折物思いに耽る姿も、努めてそれを思い出す事のないように振舞う姿も。
 だから、時間を見付けては彼を探している事も、知っていたけれど黙っていた。彼の居場所を知りそうな人々にも、それとなく探りを入れて。それでも、この一年間全く行方が掴めなかった。
 けれど、それほどまでに友人が想うその少年の事を、イザーク自身は良く知らない。戦争が終って、初めて間近で会った日も、ロクに言葉すら交わしていない。
 ストライクの元パイロット。後に、フリーダムのパイロットとして、戦争を終結に導いた英雄、と呼ばれる人間の一人。戦後の混乱の最中、突然姿を消した。親友と呼んだ人にも、なにも告げずに。恐らく、一般的には「恋人」と称される関係にまでなった人にも、なにも言わずに。全ての記録を綺麗に消して、その痕跡すら残さずにキラ・ヤマトと言う一人の少年は消えてしまった。
 表面上こそいつもと変わらない友人は、それでもやっぱりある日、寂しいよな、と零した。その、泣き出しそうな表情は、良く覚えている。覚えているからこそ、止めなかった。
 ザフトに復帰したディアッカの現在の仕事と言えば、評議会議員に成り行きで席を置くイザークの護衛だった。そうは言っても、四六時中べったり張りついている訳でもなく、表に出る時に限定されていた。
 その日も、本来ならば隣りにいるはずだったのだ。けれど、久し振りに連絡を寄越した彼女に、どうしても、と言われて別の任務についていた。彼らの間にどんな遣り取りがあったのかは知らないけれど、ただひとつ確実なのはキラに関する情報が絡んでいる、と言うこと。
 誰もが、密かにその行方を探していた。
 彼に近いところにいた人間を始め、後から知り得た情報によれば、ザフト内部でも、地球連合軍でも、妖しげな地下組織でも、それこそ懸賞金まで懸けているところもあった。
 キラの事を良く知らない自分にしてみれば、欲しいのはキラ本人ではなく、彼が何処かに隠したフリーダムの情報ではないのか、と思った。それを問い掛けたとき、友人は曖昧に笑みを浮かべてたった一言、あいつは特別なんだよ、とだけ答えをくれた。彼にとって、なのか、キラ自身が、なのかはその時は分からなかった。
 ディアッカにとって特別なのだと言うことは、いくら鈍いと散々からかわれている自分にも分かる。だから、どうしても今すぐ、その行方を知る必要があった。心辺りのある人間に、端から連絡をとって。苛つきながらも、病院の廊下でドアの上に灯った赤いランプを睨みながら。
 絶対に、大丈夫だと言いきかせて。
「…私の、所為ですわ…」