Flash Memory ~いつか見た夕暮れ~
プラントに暮らす者で、その名を知らないものがいないほど絶大な人気を誇る歌姫が、沈んだ声で小さく呟く。少し離れた所に護衛が立っていたけれど、そこまでは届かない。携帯端末を握り締めて、その隣りに出来るだけ静かに腰を下ろした。
「…あいつは、仕事をしただけだ。」
要人警護、と言う職務上、危険は常につき纏う。反戦の矢面に立ち、事実戦争を終結に導いた実質的な指導者でもある彼女は、一介の歌姫であると同時にプラントにとっては平和の象徴なのだ。だから、軍から警護がつく。それは、評議会議員である自分に警護がつくのと全く同じく、当たり前の事で。
いいえ、とラクスは静かに首を振る。
「それでも、私の所為ですの。私が、キラの事を持ち出さなければ…」
そう、確かにその通りなのだけれど。それでも、ここでいくら慰めようと、彼女を罵ろうと、起こってしまった現実、流れた時間は戻らない。
元々、女性に対してイマイチどういう行動を取ったら良いのか分からない。それでもなんとかしようと口を開きかけた時、携帯端末が着信を告げた。
「…はい。」
無言で席を立ち、足早に廊下を通り抜けて、建物を出た。機械の向こうから聞こえてきた声に一瞬眉を顰めたけれど、すぐ後ろにいた部下を遠ざけてから少し抑えた声で話始める。
「さっき、知らないと言う話は聞いたが?」
キラの事だけど、と電話の向こうで彼女は小さく言った。
『…さっき、は…人がいたから。知ってるんだ、居場所。』
どうやってここまで来たのか分からない。
とても久し振りに聞いた声は、信じられない事実を告げた。
『今から、迎えをやる。だから、シャトルターミナルまで来い。』
一方的にそう告げられて、電話は切れた。この際、どうやってこの番号を知ったのかはどうでも良かった。通話終了を示す電子音が流れるばかりの小さな機械の電源を、震える指で切って。
「…なんで…」
今頃。
諦めた筈だった。あの時、何も告げずに別れた時に、全部忘れようとして。
それでもこんなに、溢れるような気持ち。
居なくなるかも知れない、なんて、考えた事もなかった。何処かで、元気に暮らしているんだと思って、自分自身に言い聞かせて。
壁に掛かっていた時計が、時報を告げる。
その音で、呆けていた時間は終った。迷いも確かにあるけれど、それよりももう一度会いたい、と言う気持ちが全てに勝ってしまう。
「…ごめん、さない…っ」
いなくならないで。
もう一度、ただ。
あなたに、会いたいから。
バーカ、まだ早いだろ、こっち来ンのはさ。
誰かが、遠いところでそんな事を言っていた。うるせェ、と返事を返そうとして、ソレが誰なのか分からない事に気付いた。
待ってますよ、向こうで。
少し優しい、別の声が聞こえた。けれど、ソレも誰のものだか分からない。ただ、二人とも大切な。
ほら、まだやる事があるんでしょう?
「…なんだ、やる事って。」
自分の声で、意識が引き戻された。瞼が重い。頭が痛い。それでも、ゆっくりと目を開けると、白い天井が見えた。視界はぼんやりとしていて、上手く画像を結ばない。何度か瞬きを繰り返して、漸くそこが病院らしい、と言うことは理解した。
「つーか…なんでこんなとこにいんだよ、オレ。」
重たい身体を動かそうとして、駆け抜けた激痛に眉を顰めて唸った。
「…っ、なんだ…?」
包帯だらけの自分の腕。どうやら無事らしい片方の手で触った頭にも包帯が巻かれていて、薄いブルーの入院着から覗く鎖骨の下にも包帯が見えた。
何が起こったのか分からない。ただ、とても大切な事をしていた気がする。
不意に、扉が開いた。視線を投げると、銀色の髪を持つ青年が、驚いたような顔をして立っていた。その後ろに、特徴のある桃色の髪の女性。
「…気が付いた、のか?」
確かに、知っている声だ。でも、いつの間にこんなに大きくなったのだろう。軽く首を傾げて、イザークだよな、と問い掛けたら、とても不思議そうな顔をした。そうして、物凄い勢いで近付いて来たかと思ったら、とても真剣な顔をして自分の名前言えるか、と訊かれた。
「…はァ?お前、なに言ってんの?オレはディアッカ・エルスマンだよ。つーかお前、イザークだよな?なんでそんなにでかくなってんの?」
疑問に思ったからそう言っただけだと言うのに、イザークはとても深い溜息を付いてドアの外に向かってドクターを呼んでくれ、と声をかける。それから、誰かに向かって手招きをした。
恐ろしく整った容姿の青年。ドアの向こうから姿を見せたのは、イザークよりも綺麗、と言う表現が似合いそうな青年だった。陳腐だけれど、そのくらいしか表現出来ない。
少し青褪めたその顔に、ゆっくりと笑みを浮かべて。
「…良かった…」
とても安堵したようにそう呟く。けれど、全く記憶にないから、素直に疑問をを口にした。
「…アンタ、誰?」
その時の、とても傷付いたような表情に、頭の奥が少しだけ痛んだ。
「…確認してみたが、どうやらアカデミーに入った辺りのようだ。」
視線を合わせることなくそう告げられても、なんとなくピンと来ない。
事故に遭った、と言う報せと。そのショックで記憶が飛んでいる、と言う事実と。ゆっくりと反芻して、冷たい感情が広がって行くのを感じた。戦争中に感じたものに、良く似ている。
絶望と言うのだと、抑えていた記憶の中から声がした。
小さく笑った。目の前に座る人が、微かに眉を寄せて首を傾げる。大丈夫か、と言われて、頷く。
「…僕が、卑怯だったから、かな。」
ぽつりと呟いて。
「お前が、何を考えて今まで姿を消していたのかは知らないがな。」
溜息混じりにそう言って、イザークは殊更ゆっくりと言葉を紡ぐ。逸らしていた視線を、しっかりとキラに合わせて。
「あいつは、お前をずっと探していたんだ。」
大切な人を失うのが嫌だった。だから、逃げていただけ。けれど、忘れてしまうには、あまりにも時間が短くて。大切な、宝物のような想いを。
あなたには言っておくよ、と言って、キラは顔を上げた。
「…僕が、逃げた理由を。」
それは、とても愚かな人間の昔話だ。争う事を止めない生き物の、理由になりうる事実を。
ぼんやりと窓の外を眺める。
ユニウスセブンの崩壊に端を発した戦争は、一年前に終ったのだと聞いた。あの直後にアカデミーに入ったのだから、まる二年分ほど、記憶が飛んでいる事になる。
お前は、ちゃんとパイロットになって、戦争が終っても生き残ったんだ。
銀髪の友人は、記憶のなかにあるより少し柔らかな眼差しをしてそう言った。
自分が、そこで何をして来たのか。
何があって、今ここにいるのか。
ある筈の記憶がなくなった、と言う状態は、少しだけ不安だ。例えば、戦争中に背中を預けたかも知れない誰かの事も、最悪の別れをした誰かの事も、何を語られても心が全く動かない。ふうん、そう、で全て終ってしまう。それしか答えようがないと言うのに、話題を振ったはずの友人は微かに眉を寄せて沈黙する。
「…脳に損傷がある訳ではないから、全く失ってしまった訳ではないですよ。」
作品名:Flash Memory ~いつか見た夕暮れ~ 作家名:綾沙かへる