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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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Flash Memory ~あの日見た朝焼け~

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音を立てて崩れていくのはなに?
脆くて、崩れ易くて、不確かなもの。
それでも、一番大切で、信じていたいもの。

だからこそ、拒絶、する。






 雨の音がした。
 青白い光が、暗い空を走って行く。
 中途半端に開いたカーテンの向こうの景色は、まるで自分の心の中のようだと思った。
 何かに耐え切れずに。
 涙で歪んだ視界の先で、とても冷たい瞳を見詰めて。
 ふつり、と意識が途切れた。


 不意に、強く押し返していた腕から力が抜けた。布地が軋むほど掴んでいた指先がするりと解けて、軽い音を立ててソファの上に落ちる。それを不思議に思って、細い首筋に這わせていた唇を離すと、その表情を隠していた髪をそっと払いのける。
「…マジかよ…」
 溜息混じりに呟いて、押さえ付けていた細い手首を開放する。閉じられた瞼は涙に濡れていて、ぴくりとも動かない。
 恐怖からなのか、拒絶からなのか、キラは意識を手放していた。
 さすがに意識のない相手に乱暴を働くのは人間として最低だ、と良心が咎める。身体を起こして、緩く溜息を吐く。見下ろしたソファの上の惨状に、酷い自己嫌悪を覚えた。
 涙の跡が残る青褪めた頬に、そっと指を伸ばして。どうしてなのか、自分でも解らなかった。けれど、初めて見た筈のキラの涙、それを知っている、知っていた筈の自分に気付く。
 不意に、心の奥が苦しくなった。
 さらりと流れる柔らかな髪を払いのけて、まるで引き寄せられるように、軽く口付ける。
「…どうしろッつーんだよ…」
 諦めたような溜息と共に零れた言葉。
 泣いている顔なんか見たくない。辛そうな顔も見たくない。けれど恐らく、そんな表情ばかりさせているのは自分の所為。どうしてそう思ったのだろう。欠片と共に浮かんでは消えていく記憶。その中に、キラの記憶は一つもないのが不思議だった。
 記憶を失う前の自分が、とても大切に想っていた筈の。
 そうして多分、今の自分も大切に想い始めている筈の。
 心の奥が苦しくなったのは、キラに拒絶されているからだ、と自覚したから。意識を手放してしまうほどの、強い拒絶。それが、苛立ちと共に、暫く忘れていた悔しくて、哀しいと言う感情を揺すり起こした。
 力の抜けた身体をそっと抱き起こす。華奢と言った方がぴったりはまるような細い身体は、それでも暖かくて、抱き締めると何処か懐かしくて、甘やかな香りがした。


 一瞬、言葉を失う。
 そう長い時間彼を知る訳ではないけれど、今まで一度も見た事がないような顔をして、ドアの向こうに立っていた友人。今にも泣きそうな癖に、何処か安堵したようにすら思える微笑を浮かべて。
「…なにか、あったのか?」
 キラがあんな態度を取り続ける以上、あの頃のディアッカの性格からして恐らく相当気に入らないだろうという事が解っているから、何もなかったとは思えない。キラの、あの曖昧な微笑は全てをはぐらかしてしまうから。
 なにもなかった筈がない、と思っていても、本人が別に、とだけ呟いて背を向けてしまったからそれ以上追求出来ず、アスランは軽く溜息を吐いた。
 散らかっているのか片付いているのか分からないリビングに足を踏み入れると、何処か懐かしい、と思った。幼い頃、キラの私室はいつも本人にしか分からない整理整頓をされていて、雑然としながらもとても居心地が良かった事を思い出す。ただし、誰もが片付いているとは言い難いと評するその部屋を、どちらかと言うと潔癖な性分が見え隠れするディアッカが容認している、という事に驚いた。それとも、そんな些細なことにすら気が廻っていないのか、関心がそもそもないのか。
「…キラは?」
 ひと通りリビングを見渡してから問い掛けると、キッチンにいたディアッカは背を向けたまま、部屋で寝てる、と答える。
 煮詰まったコーヒーの香りが広がった。
 何処かぎこちない動作で半分ほど残ったそれを流して、頭の上にあるキャビネットから茶葉の詰まった瓶を取り出す。
「つーか、なにしに来たんだお前。」
 行方不明者が出歩くかフツー、と苦笑混じりにディアッカは言った。いつものように口調は軽いけれど。
「…イザークに頼まれて、様子を見に来た。」
 ほんの少し動作を止めて、ディアッカはへぇ、とだけ呟いた。そのまま不思議な香りのするお茶を入れて、リビングに戻る。振り返ったディアッカに、観察するように向けていた視線を慌てて逸らした。
「座れば?」
 所在なさげに立っていた自分を不思議に思ったのか、ディアッカはそう言いながらローテーブルの上に茶器の乗ったトレイを置いた。テーブルの上に乗っていた雑誌やらディスクやらが隅に押しやられる様をなんとなく視線で追いかけながら、ソファに腰を下ろす。
 慣れた手付きでポットから注がれる液体が、ふわりと甘い香りを立てた。
 目の前に差し出されたカップを受け取ると、指先にじわりと熱が広がる。
「……なにかあった、だろう…?」
 床に落としていた視線を上げると、ゆっくりと言葉を紡ぐ。真っ直ぐに返されていた菫色の瞳は、少しだけ驚いたように見開かれて、すぐに逸らされた。かなわねぇな、と言う呟きと共に。
「とりあえず、犯罪者にはならなくてすんだ、かな。」
 自嘲気味に吐き出された言葉に、その意図する所をなんとなく読み取ってしまって驚いた。あれだけ大切にしていたのに。それを見て、知っているから尚更。
「…で?ひっぱたかれでもしたのか?」
 つい、以前のキラの行動を思い描いて零れた言葉に、ディアッカは小さく笑った。そんな可愛いもんじゃねぇよ、と続けて。
「なんか、ますますわかんなくなった。…あいつ、否定しなかったし。」
 でも、拒絶された。
 キラの行動に、随分ショックを受けているようにアスランの目には映っている。もしかしたら、記憶があってもなくてもこの二人にとって、互いになくてはならない存在なのかも知れない。無意識に求めているような。それでいて、互いを想うがゆえに意図的に突き離して。
 やっかいだな、とアスランは溜息を吐く。
 他人はおろか、自分の感情にも鈍いアスランにとって、こんなにやっかいな問題に助言が出来る筈もなく。出来るとすれば恐らく、女性。
 ゆるゆると澱んだ沈黙に、窓を叩く雨の音だけが響いた。
「…ちょっと、頼みごとしてもいいか?」
 重い声で沈黙を破った友人に首を傾げると、交代、と言った。
「正直、もうここにいんの、しんどいから。」
 合わせる顔もねぇしな、と何処か無理をしたように軽く続けて。
「だからさ…だから、お前、ここに居ろよ。多分、今のアイツに必要なのは、オレじゃない…と思うからさ。」
 ぎこちなく笑みを浮かべて搾り出すように。
 キラの事を忘れてしまった癖に、同じ顔をする友人。
「…卑怯者。」
 小さく呟くと、ディアッカは面食らったように眉を寄せた。それに微かに微笑って、仕方がないな、と態と大げさに溜息を吐いた。
「解った。ただし、三日で戻って来い。」
 それ以上の猶予は許さないから、と続けると、ディアッカはぎこちなく笑みを浮かべて小さくサンキュ、とだけ答えた。


 実際、どれくらい眠っているのかアスランは知らない。