届かない声
振り返る事のない背中は、驚く程力強い。
例えそれが、精一杯の虚勢でも。
■届かない声
「…言いたい事、それだけかな。」
空気が冷えた、と思ったのは気のせいだろうか。
隣りにいた友人が、頬を引き攣らせるのと。
自分の頬をいっそ心地良い程の音を立てて張って行くのは同時だった。
あんな外見でも男だなぁ、と呆然とした感想を脳味噌が弾き出す。隣りで面食らったように立ち尽くす友人は、重い溜息を吐いて。
「…お前が、わりと口が滑るのは解ってたつもりなんだが…」
今のは最低だろ、と呆れたように呟く。
現場は格納庫。自分達の他にも、整備の人間が沢山いる。緊張が支配する事の多いこの場所で、計らずも娯楽を提供してしまったようだった。
キラが通路の向こうに消えた途端、あちこちで笑い声が起こる。
少佐が同じことやってな、と近くにいた整備士は笑いながら教えてくれた。
「そん時は、ヘルメットが飛んでったぞ。」
平手で済んで良かったじゃないか、と無責任に続けて。
「…お前、知ってただろ。」
漸くそれだけ音にした。
隣りで複雑そうな笑みを浮かべた友人は、キラの幼馴染だ。恐らく、似たような記憶があるに違いない。
「…子供、だったからな。」
あんなにはっきりキレたことなんかないさ、とアスランは続ける。
「根に持つぞ、あいつ。」
後ろから間違えて撃たれたくなかったら謝った方が良い、なんてうすら寒い事を。
最低、と吐き捨てて、平手じゃなくて拳にすれば良かったと力任せにロッカーのドアを閉めた。
「…荒れてるねぇ、なんかあったの?」
シャワールームから顔を出したのは、過去に同じ目に遭った人。
「…あなたと、同じ事を言ったバカがいまして。」
冷たい視線と共にそう言うと、フラガはなんとも言えない顔で小さく笑った。誰が失言をしたのかに思い当たったのか、気の毒にと呟いて。
「気にしてるわけだ、お前さんは。」
未だにねぇ、と他人ごとのように言ったその人を睨むと、素早くシャワーカーテンの向こうに隠れる。
着やせするタイプなのだとフラガは言う。フラガに限らず、誰に聞いてもそう言う。
とても気にしているから、こっそりウェイトトレーニングに励んでみたりしているのだけれど。
「…もう、持って生まれたものは仕方ないじゃないですか。」
あと二十年くらい経ってもこのままだったらどうしよう、と本気で思っていたりするのに。
女の子みたいだと言われるのが大嫌いだ。
自分でも正直、自覚があるだけにわざわざ指摘されると腹立たしい事この上ない。
言う方がなまじ整った男らしい人だったりするから、余計に。しかも大抵、深く考えて口にする訳ではなくて。
「…腹立つ、なあ…ッ」
低い呟きが聞こえたのか、何時の間にかシャワーブースから出ていたフラガはさり気無く距離を空けた。
これで、そう言ったのが女性だったら諦めるしかない。さすがに、そんな小さな事で手を出すのは男として最低だ。けれど、同性なら話は別。今までもきっちり落とし前は付けて来たし、これからもその決意は変わらない。
「大体、これで顔が好き、とか言いやがったらもう…ッ」
どうしてやろう、と呟き続けるキラの言葉は、どんどんうすら寒いものを含んでいって。
「…いや、そんな悪気があった訳じゃないだろ…」
さすがに本気で気の毒になって来たのか、フラガは少しだけ彼を弁護する。気が合うのか比較的最近は良く一緒にいる姿を見掛けた。実はそれも、少し悔しい。
ヘルメットを顔面で受けとめた事のあるその人は、苦笑混じりにもしかして惚気てるかお前、なんて言うから。
「…あなたも、懲りないですねぇ…?」
ぴしり、と何かに亀裂が入る音を聞きながら返すと、フラガはそんなことない、と慌ててドアのほうに移動した。逃げる気満々だ。
「そのくらいの事、流してやれなきゃ大きい人間にはなれないぞ?」
無責任な言葉を置き去りに、フラガはさっさと部屋を出て行く。
「…今の所、そんなに大人じゃないんですよ。」
子供っぽい事なんて、充分承知しているとその後ろ姿に、呟いて。
それでも、許せない所はきっと、誰にでもある。
みしみしと音を立てて犠牲になっていたのは、握り締めた脱衣籠だった。
多分、キラを目の前にして感想を述べろと言われれば、十人中八人くらいは最初に可愛い、と言うんじゃないだろうか。およそ、男に向かって言う感想ではない、とは思うのだけれど。
「…事実は、かわらねぇよ、なぁ…」
正直、心の底から可愛い、と思っていたりするのだから、それが口をついて出るのは仕方がない。
仕方がない、と言う良い訳が本来は大嫌いな筈だけれど、ことキラに関してはどうにもそれしか出てこない。
だからと言って、別に可愛いから惚れた訳じゃない。顔だけで良いならそこら辺にごろごろしている、見かけばかりで薄っぺらい女の子の方が随分気が楽だし、簡単だ。
確かに最初はひと目惚れ、と言うのが近い。うすらぼんやりしている癖に、時折芯の通った気の強い表情を見せる。ザフトのエースを凌ぐ程のパイロットとしての姿は、素直に格好良い。その癖誰もいない所で、泣いている。
そんな所に。
可愛い、の後に続く言葉は、多分。
「…届かねぇ、な…」
何事においてもそれなり、が信条で生きて来た。自ら進んで前に出るようなタイプじゃない、と自分で思っている。自分の考えを押し出すのが、面倒ごとしか呼ばないと何処かで思っているから。そうして、出来れば面倒な事は避けて通りたい、と大半の人間はそう思っている筈だった。誰かの言う事を聞いてその通りにしていれば楽だ。親だったり、上官だったり、「誰か」は様々でも基本的には変わらない。
今までのたった十数年の人生の中で、恐らく初めて。
誰かの言いなりになる事の出来ない問題にぶち当たっている。
実際の所、キラの本心はどうなのだろう。
はっきり好きだと伝えた訳でもないから、自分に持たれている感情はせいぜい仲間か、良くても友達。「友達」だった場合、親友と言う地位を確立しているアスランには敵わない。
敵だった筈の存在。
少なくとも、ここに来てその人となりを知るまでは、漠然と出来れば戦いたくないと思っていた。それはキラのようなはっきりとした意思ではなくて、我が身かわいさから出た感想だ。自分を遥かに凌ぐ力を持ったエース二人が敵わない相手に、自分がどうやって太刀打ち出来るというのだろう。それでも、肩を並べた同僚を失って、確かに憎んでいた事も事実で。
そんな、何もかもが綺麗に飛んでしまった。
そのくらい、衝撃的で、印象的だったのだ。
憎んでいた筈のパイロットとの出会いは。
「悩んでるなー失言大王。」
妙に明るい声が降って来た。
「…お陰さまで。」
この人と居ると、心地良いか疲れるかの両極端だ。そしてどうやら今回は後者らしい。溜息混じりに返すと、フラガは心底可笑しそうに笑った。
「まあ、そのうち落ち着くから。今は近寄んない方が良いぞ。」
そう言えば似たようなことで手痛い報復を食らったのはこの人だったのではないだろうか。聞かずとも自ら俺ん時はメットが飛んで来たからなと笑いながら零して。
「それに比べたらまだ良いんじゃないの?」
平手なんてさ、と腫れ上がった頬に冷たいボトルを押しつける。
例えそれが、精一杯の虚勢でも。
■届かない声
「…言いたい事、それだけかな。」
空気が冷えた、と思ったのは気のせいだろうか。
隣りにいた友人が、頬を引き攣らせるのと。
自分の頬をいっそ心地良い程の音を立てて張って行くのは同時だった。
あんな外見でも男だなぁ、と呆然とした感想を脳味噌が弾き出す。隣りで面食らったように立ち尽くす友人は、重い溜息を吐いて。
「…お前が、わりと口が滑るのは解ってたつもりなんだが…」
今のは最低だろ、と呆れたように呟く。
現場は格納庫。自分達の他にも、整備の人間が沢山いる。緊張が支配する事の多いこの場所で、計らずも娯楽を提供してしまったようだった。
キラが通路の向こうに消えた途端、あちこちで笑い声が起こる。
少佐が同じことやってな、と近くにいた整備士は笑いながら教えてくれた。
「そん時は、ヘルメットが飛んでったぞ。」
平手で済んで良かったじゃないか、と無責任に続けて。
「…お前、知ってただろ。」
漸くそれだけ音にした。
隣りで複雑そうな笑みを浮かべた友人は、キラの幼馴染だ。恐らく、似たような記憶があるに違いない。
「…子供、だったからな。」
あんなにはっきりキレたことなんかないさ、とアスランは続ける。
「根に持つぞ、あいつ。」
後ろから間違えて撃たれたくなかったら謝った方が良い、なんてうすら寒い事を。
最低、と吐き捨てて、平手じゃなくて拳にすれば良かったと力任せにロッカーのドアを閉めた。
「…荒れてるねぇ、なんかあったの?」
シャワールームから顔を出したのは、過去に同じ目に遭った人。
「…あなたと、同じ事を言ったバカがいまして。」
冷たい視線と共にそう言うと、フラガはなんとも言えない顔で小さく笑った。誰が失言をしたのかに思い当たったのか、気の毒にと呟いて。
「気にしてるわけだ、お前さんは。」
未だにねぇ、と他人ごとのように言ったその人を睨むと、素早くシャワーカーテンの向こうに隠れる。
着やせするタイプなのだとフラガは言う。フラガに限らず、誰に聞いてもそう言う。
とても気にしているから、こっそりウェイトトレーニングに励んでみたりしているのだけれど。
「…もう、持って生まれたものは仕方ないじゃないですか。」
あと二十年くらい経ってもこのままだったらどうしよう、と本気で思っていたりするのに。
女の子みたいだと言われるのが大嫌いだ。
自分でも正直、自覚があるだけにわざわざ指摘されると腹立たしい事この上ない。
言う方がなまじ整った男らしい人だったりするから、余計に。しかも大抵、深く考えて口にする訳ではなくて。
「…腹立つ、なあ…ッ」
低い呟きが聞こえたのか、何時の間にかシャワーブースから出ていたフラガはさり気無く距離を空けた。
これで、そう言ったのが女性だったら諦めるしかない。さすがに、そんな小さな事で手を出すのは男として最低だ。けれど、同性なら話は別。今までもきっちり落とし前は付けて来たし、これからもその決意は変わらない。
「大体、これで顔が好き、とか言いやがったらもう…ッ」
どうしてやろう、と呟き続けるキラの言葉は、どんどんうすら寒いものを含んでいって。
「…いや、そんな悪気があった訳じゃないだろ…」
さすがに本気で気の毒になって来たのか、フラガは少しだけ彼を弁護する。気が合うのか比較的最近は良く一緒にいる姿を見掛けた。実はそれも、少し悔しい。
ヘルメットを顔面で受けとめた事のあるその人は、苦笑混じりにもしかして惚気てるかお前、なんて言うから。
「…あなたも、懲りないですねぇ…?」
ぴしり、と何かに亀裂が入る音を聞きながら返すと、フラガはそんなことない、と慌ててドアのほうに移動した。逃げる気満々だ。
「そのくらいの事、流してやれなきゃ大きい人間にはなれないぞ?」
無責任な言葉を置き去りに、フラガはさっさと部屋を出て行く。
「…今の所、そんなに大人じゃないんですよ。」
子供っぽい事なんて、充分承知しているとその後ろ姿に、呟いて。
それでも、許せない所はきっと、誰にでもある。
みしみしと音を立てて犠牲になっていたのは、握り締めた脱衣籠だった。
多分、キラを目の前にして感想を述べろと言われれば、十人中八人くらいは最初に可愛い、と言うんじゃないだろうか。およそ、男に向かって言う感想ではない、とは思うのだけれど。
「…事実は、かわらねぇよ、なぁ…」
正直、心の底から可愛い、と思っていたりするのだから、それが口をついて出るのは仕方がない。
仕方がない、と言う良い訳が本来は大嫌いな筈だけれど、ことキラに関してはどうにもそれしか出てこない。
だからと言って、別に可愛いから惚れた訳じゃない。顔だけで良いならそこら辺にごろごろしている、見かけばかりで薄っぺらい女の子の方が随分気が楽だし、簡単だ。
確かに最初はひと目惚れ、と言うのが近い。うすらぼんやりしている癖に、時折芯の通った気の強い表情を見せる。ザフトのエースを凌ぐ程のパイロットとしての姿は、素直に格好良い。その癖誰もいない所で、泣いている。
そんな所に。
可愛い、の後に続く言葉は、多分。
「…届かねぇ、な…」
何事においてもそれなり、が信条で生きて来た。自ら進んで前に出るようなタイプじゃない、と自分で思っている。自分の考えを押し出すのが、面倒ごとしか呼ばないと何処かで思っているから。そうして、出来れば面倒な事は避けて通りたい、と大半の人間はそう思っている筈だった。誰かの言う事を聞いてその通りにしていれば楽だ。親だったり、上官だったり、「誰か」は様々でも基本的には変わらない。
今までのたった十数年の人生の中で、恐らく初めて。
誰かの言いなりになる事の出来ない問題にぶち当たっている。
実際の所、キラの本心はどうなのだろう。
はっきり好きだと伝えた訳でもないから、自分に持たれている感情はせいぜい仲間か、良くても友達。「友達」だった場合、親友と言う地位を確立しているアスランには敵わない。
敵だった筈の存在。
少なくとも、ここに来てその人となりを知るまでは、漠然と出来れば戦いたくないと思っていた。それはキラのようなはっきりとした意思ではなくて、我が身かわいさから出た感想だ。自分を遥かに凌ぐ力を持ったエース二人が敵わない相手に、自分がどうやって太刀打ち出来るというのだろう。それでも、肩を並べた同僚を失って、確かに憎んでいた事も事実で。
そんな、何もかもが綺麗に飛んでしまった。
そのくらい、衝撃的で、印象的だったのだ。
憎んでいた筈のパイロットとの出会いは。
「悩んでるなー失言大王。」
妙に明るい声が降って来た。
「…お陰さまで。」
この人と居ると、心地良いか疲れるかの両極端だ。そしてどうやら今回は後者らしい。溜息混じりに返すと、フラガは心底可笑しそうに笑った。
「まあ、そのうち落ち着くから。今は近寄んない方が良いぞ。」
そう言えば似たようなことで手痛い報復を食らったのはこの人だったのではないだろうか。聞かずとも自ら俺ん時はメットが飛んで来たからなと笑いながら零して。
「それに比べたらまだ良いんじゃないの?」
平手なんてさ、と腫れ上がった頬に冷たいボトルを押しつける。