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綾沙かへる
綾沙かへる
novelistID. 27304
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君の隣で、夜が明ける。05

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目の前が真っ暗になる
そんなことが本当にあるなんて

今までこんなに沢山の悲しい事や辛い事があったと言うのに
比べものにならないほど
すべての世界が遠のくような
こんなに

こんなに


 大地が撓んでいるのか、自分の足がおかしくなってしまったのか。
 とにかく立っているのがやっと、と言う感覚。
 ただ冷たく事実を告げる声だけが廃墟の中で響いている。今まで必死で堪えてきた、小さく弱いこころの奥に、鋭利に突き立てられた刃。
 「…キラッ」
 鋭い声と共に腕を強く引かれた。スプリングの飛び出した固いソファに転がる。たった今まで自分の頭があった空間を、鉛弾が通り抜けて行く。
 「馬鹿かお前!ボーっとしてんな…死ぬぞ!」
 ここに来るまでに負傷したのか、目の前でそう怒鳴ったフラガは血に染まった手で拳銃を構えていた。今まで一度も見せたことない、憎しみと言う感情を浮かべたまま。
 「…しょう、さ…」
 瞬きを忘れている瞳。
 足許に滑って来た1枚の写真と、大量の資料。自分を構成するための、自分を生み出すための、沢山の犠牲の証し。
 この世界を、たった一人で狂わせてしまった人。
 この世界で、かつて夢見た人の限りない可能性、それを追求した結果。
 背中合わせの、理想。
 嘘だ、と否定してしまえば楽になれたかも知れない。けれど、目の前に突きつけられた言葉とその証拠は、とても否定は出来なかった。
 暖かくて幸せな記憶と、平穏で何気ない日常は、壊れる前からとっくに嘘で固められていたのだ。
 響いていた銃声とは違う音が聞こえた。ゆっくりと視線を動かすと、真っ赤に染まった手でマガジンを交換するフラガが隣りにいた。そうして、キラの方は見ずに信じるな、と告げる。
 「…あいつの言うことなんか、信じなくていい。いいか、今お前が信じているものはなんだ?あの時戻ってきたのはなぜだ?あいつの言った言葉は事実かも知れない、だけどお前の中の記憶は、今まで生きてきたキラ・ヤマトの記憶は嘘じゃないんだ。…目を逸らすな。何がお前の信じるものなのか、見極めろ。」
 そう言って、フラガは笑みを浮かべた。額には珠のような汗が浮かび、顔色は悪くなる一方だった。負傷した所から溢れる鮮血は止まらず、薄汚れた床に血溜まりを作っている。
 けれど、キラと同じくらいの衝撃を受けたはずの人は、笑みさえ浮かべて言う。
 自分の信じるものはなんなのかと。
 間違えてはいけない。
 壊れたような高揚感を持って言葉を続け、勝ち誇ったような笑みを浮かべるあの人を、正しい未来にしてはいけない。
 ゆっくりと、キラはひとつ瞬きをした。
 「…少佐。」
 摺り抜けていた銃を握り締めて。
 フラガには信じるものがある。それはきっと、自分にもあるはず。
 絶対に譲れない、この世界の中で。
 「…大丈夫です。」
 真っ白な頭の奥で、何かが弾けるイメージが浮かんだ。

 遠くの方から途切れることなく聞こえる銃声が気にならないわけではなく。
 それでも、目の前に立つ友人から視線を逸らす事もなく。
 あの廃墟に消えて行く前、彼はなんと言っていただろう。自分と、アスランのようにはなるなと、酷く哀しそうな声を残して。
 「…俺はお前の敵にはならない。」
 搾り出すようにそう言うことしか出来なかった。
 生きていてくれて嬉しいと、友人は言った。それだけでふわりと心の中が暖かくなる。けれど、今この状況で、己の目指すものを、その思いを伝えることは難しい。
 何が正しくて、誰が敵なのか。
 見付けるのは自分自身で、見て見ぬふりをすることも自由で。
 それぞれの正義と、それぞれの想いと。
 「…けど今は、お前とは行けねぇよ。」
 多分、答えはその時出ていたのだ。
 脳裏に浮かぶのは、遠くを見つめた濃紫の瞳。


 それは無意識だったと説明するしかない。
 負傷したフラガに肩を貸して、半壊したストライクをフリーダムで抱えて。アークエンジェルに久し振りに戻ったと言うのに、何処か実感が湧かなくて。
 機体がベッドに固定されるのももどかしくて、転がるようにコックピットを出る。
 「フラガさんっ」
 半壊した機体から整備士に手を借りて出て来たその人は、血の気の失せた顔でキラを見て、軽く笑みを浮かべる。
 「…生きてるな。」
 だから言っただろ、と言ってフラガは親指を立てる。泣きそうになりながら、キラは頷くことしか出来ない。
 崩れるように担架に乗せられて行く姿を呆然と見送る。
 少なくとも、あの怪我の内ひとつはキラの所為だと思っていた。自分があの時呆けていなければ、フラガはあそこまで重傷になる事はなかった。
 「…キラ。」
 静かに掛けられた声に、世界が揺れる。
 「…僕の、所為だ…」
 べったりと鮮血の付いたパイロットシートから視線を逸らすことも出来ずに呟く。
 大切な人を、失うかもしれなかった。そう認識すると、いまさら身体が恐怖に震え出す。
 「おい、キラ?…大丈夫かよ?」
 肩に手が置かれると、ジワりとそこが熱を持つ。ゆっくりと振り返ると、赤いパイロットスーツのままのその人が微かに眉を寄せている。
 ひとつ間違えば、ディアッカだって無事では済まなかったのかも知れない。
 執拗なまでにキラを追ってきた、デュエルのパイロット。
 狂った世界を望む、狂気の人。
 戦争の中で、不安や恐怖は沢山ある。
 「…ディアッカさん…無事で、良かった…」
 上手く微笑えているだろうか。
 どうしてさっきから、世界が歪んで見えるのだろう。おかしいと思いつつも、歪んで霞んだ世界の中で、ただひとりはっきりと見えるのはその人だけ。
 大切な人は沢山いる。
 その中で、誰よりも、なによりも大切な人になっている、たったひとりだけ。
 それまでどうして立っていられたのか分からない。
 その姿を認めた途端、両足から力が抜ける。視界はどんどん霞んでいって、弱い重力に引かれるまま身体が傾いて行く事を冷静に感じる自分がおかしくて、唇は笑みの形に歪む。

 世界が、壊れて行く瞬間。

 「キラ!」
 目の前で確かに微笑んでいた小柄な身体が、ゆっくりと傾いて行って。慌てて支えた小柄な身体は、既に意識を手放していた。
 担架を呼ぶのがもどかしくて、そのままキラの身体を抱えて医務室へと足を向ける。
 「無茶しすぎだっての…ッ」
 フラガと言いキラと言い、人の身体はモビルスーツのように修理が利く訳ではないのだから。
 軍に入るまでは、漠然と父親に勧められるまま医療の道を目指していた。だから、先に運ばれたフラガだけで手一杯だろう医師達の負担を軽くしようと、齧っただけの知識でもなにも出来ないよりはましだと考えて簡単にキラの状態をチェックする。
 青ざめた顔、左肩に銃創。パイロットスーツを抉って走るその痕に、ぞんざいな応急処置がしてある。多分、キラが自分でやったものだろう、宇宙空間では命を繋ぐパイロットスーツに穴が開いたから、くらいの理由で塞いであるだけだ。微かに血が滲んでいる事に気付いて、目の前にある医務室の扉をくぐるとすぐに空いたベッドにキラを降ろして、閉め切ったままだったパイロットスーツのファスナーを開放する。
 途端にむせるような血の匂い。