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綾沙かへる
綾沙かへる
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君の隣で、夜が明ける。06

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本当はいつも見ていたかったんだ
だからもう少し

そして、このまま

その光を



 時間の流れがこれほど遅く感じた事もなかった。
 戦闘で酷使した身体が休息を訴えていても、根が生えたようにそこから動く気がしない。背中を壁に預けたまま、虚空の一点を見つめる。目を閉じると思考は沈むばかりで、それが嫌だから瞬きすら最低限で。
 失う事の恐怖なんてなかったはずだった。
 護りたいものはある。それが、失ってはならないものだと思ったのは、義務のようなものだ。体面や世間体ばかりを気にした大人達の思惑に乗って、退屈な日常から刺激的な経験を求めて、多分軽い気持ちで戦争に参加した。そもそもそれが間違っていたのだと気付こうともせずに、幾つもの敵機を落として、得意になって。
 「…馬鹿みてぇ…」
 子供じみた好奇心や、虚勢を張って首を突っ込む物ではなかった。
 知識としてしか知らなかった戦争。手強いコンピュータが相手のゲームのように、それに命ある人間が乗っている事など考えずに。
 命は大事だと思う。
 自分や、家族や、友人や、それに関わる沢山の人達が、等しく持つ尊いもの。
 今更気付いた。
 本当の意味で、それを理解していなかった事に。
 もっと早ければ、こんな事にはならなかったのかも知れないと、後悔しても遅い。先に出来ないから「後悔」なのだ。浅はかな自分の、ちっぽけな心はそこから何を見出せるのか。
 何に、気付けたというのか。
 教えてくれたのは、ひとつ年下の少年。
 圧倒的な力を持ちながら、それを違えることなく使う小さな存在。
 自由という言葉は、己がそう認識するか否かで初めて意味を成す言葉だった。例えその名を持つ機体を操っていたとしても、自分が見出したのは『希望』。空っぽの大義を振り翳す大人たちが歪ませた世界の中で、恐らくたったひとつの。
 この世界で、失ってはならない存在。
 この世界は、その光を求めているのだから。

 長く感じられたはずの時間は、実際にはごく短い。
 不意に医務室の扉が開いて、思考の世界は唐突に終りを告げる。どうしたの、と声を掛けられて顔を上げると、看護士がひとり自分を見下ろしている。
 「…あの、キラは?」
 口を突いて出た言葉。自分がメディカルチェックを受けていない事などとっくに何処かに飛んでいる。
 「大丈夫よ。ほら、あなたもこっちへ入って診察しましょう。」
 まだチェック受けてないんでしょう、と言った看護士は笑みを浮かべてディアッカを促した。それに従って、重い足を叱咤して立ち上がる。
 血の匂いに変わって消毒薬の匂いが充満する医務室の中は、疲労感が漂っていた。けれど、重傷の筈のフラガは医師と会話しているし、目の前で倒れたキラもベッドに起き上がって大人しく治療を受けている。その姿を認めて安堵の溜息をつくと、視線を上げたキラと目が合った。そうして、相手は緩やかに微笑む。
 「…あんま、びっくりさせんなよ。」
 呟きに、キラは小さくごめん、と返した。
 簡単な問診、脈拍のチェックを受けて、医師から最低30分以上の休息を言い渡される。頻繁に起こる出撃よりも、今は精神的な疲労感の方が強い。
 再会した友人と、あの人と。
 彼らはこの世界で何を望むのだろう。
 有り難うございますと言って立ち上がると、治療を終えたキラが隣りに並ぶ。
 「…お前、大丈夫なワケ?」
 問い掛けに頷いて、キラはまた微笑う。
 「…はい。向こうに戻りますからついであなたの機体もチェックしてしまおうと思って。」
 いつまた戦闘状態に入るか分からない。戻って来れるという保障はなく。少しでも時間を切り詰めて、自分の機体どころか他の機体までチェックすると言う。出来うる限りの、最高の状態でパイロットを戦場に送り出すために。
 「…いいよ、それはオレがやる。お前、少し休め。」
 まるで、この戦争が終ったら自分は用済みだと言うように言葉を紡ぐキラに少しだけ苛つきながら伝えると、ダメです、と言ってキラは苦笑する。
 「ディアッカさん、休養するようにって言われてたでしょう。顔色悪いですよ。」
 そっくり返してやりたかったが、実際無視出来ない程の手足の重さに溜息をついた。
 「…あのな…いや、いいか。じゃあちょっとサボろうぜ…こっちこっち。」
 不意に思いついたまま、自分に与えられている部屋へと手招きする。不思議そうな顔をしたまま、キラは立ち止まって、でも、と呟く。
 「いいからいいから。いざって時にパイロットが使えませんじゃお話にならないじゃん。」
 現在、戦局は膠着状態に陥っている。どの陣営も、先ほどの戦闘から態勢を立て直すのに、少なくとも60分以上はかかるはすだった。バスターやフリーダム、ジャスティスはともかく、ストライクがあの状態から回復するのにはもっと時間がかかるはずで、修理が完了してもフラガがあの状態では恐らく出撃は無理だ。どう転んでも、次に出る時には自分達にかかる負担は大きく、休息が取れるとは限らない。
 「休める時は最大限に、な。」
 そう言って、キラの無事な右手を掴んで引きずるように歩き始める。
 「うわっ…ちょっと、ディアッカさん!」
 慌てたように赤くなる年相応の顔に、満足そうに笑みを浮かべる。

 繋いだ手の暖かさは、忘れないだろうと思う。
 多分、他の誰もが冷たいと評するだろうそのキラよりも少しだけ大きな手は、疲労の所為か確かに少し体温が下がっているようだった。それはお互いさまで、負傷して出血しているキラの方が余程末端は冷え切っているだろうとも思う。
 それでも、気を遣って休憩に誘ってくれたその心が、温かくてくすぐったい。
 ああまた、とキラはディアッカの少し後ろを歩きながら思う。
 時々訪れる、暖かくて早い鼓動。そうして、少しだけ苦しくて切ない気持ち。
 蟠っていた真実のもたらした衝撃は、少しずつなりを潜めていく。この人はそれを知らなくて、恐らくキラの中で一生、生きている限り守って行かなくてはならない罪の意識。その証拠と共に。そんな暗くて嫌な感情は、ディアッカの顔を見た途端に、僅かな間だけでも忘れる事が出来た。
 自分にまつわるすべての真実は、この先誰にも洩らしてはならず、その研究内容が流出する事も絶対に防がなければならない。
 例えどんなに信頼する人にも。
 どこから出てきたのか、テーブルの上には雑誌と空のビンが置いてある。手を引かれるまま入った部屋の中で、あまりにも戦艦にそぐわない物が放置されている事が先ず目についた。
 「…なんですか、これ…」
 呆れたように呟くと、ディアッカは笑っておっさんが置いてったんだろ、と言った。
 「あのひと、さぁ。結構いろんなもの持ってんのな…で、確か貰いもんで…この辺に…っと」
 個人の持ち物が押し込まれている小さなロッカーの中を漁って、ディアッカはなにかを掘り出した。そうして、それをキラの手の中に落とす。
 「…え…?」
 四角い、可愛らしい箱。見た目の割りに、重みを感じるその箱のラッピングを、キラに持たせたままディアッカは楽しそうに解き始める。
 「だから、おっさんが持って来たんだって…あのロッカーん中、結構色々溜め込んであるぜ。」